悪魔来たりて紐を解く [ 4−5 ]
悪魔来たりて紐を解く

4.非道とファーコート(5)
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「ごめんね。ヨリ、イズミ」
 カフェの化粧室から戻ってくると、理於は先ほどまで宇津見が座っていた席に腰かけた。白目に赤いものが混じっているが、化粧を直したらしくアイメイクは崩れていない。
 宇津見はすでに帰った。少なくとも店内からは出て行った。泉子と依加が理於を引き離し、宇津見に立ち去るよう説得したのである。突然の愁嘆場に店中から視線が集まっていたが、店員が理於に白湯を運んできてくれ、それを飲んで改めてオーダーを出すころには、周囲の客の関心もほとんど薄れていた。
 理於が異様に早くやって来たのは、もともとこのカフェのある地下街にいたからだという。
「理於、ごめん」
 二杯目のコーヒーを飲みながら、依加が言った。
「イズミも一緒だって先に言えば良かったのに、言い忘れてた」
「……ううん。イズミ、ごめんね。びっくりしたでしょ」
「いや――したにはしたけど」
 もともと依加は、宇津見から会いたいと連絡が来た時点で、理於にもそのことを伝えていたらしい。宇津見が指定した店の場所も教え、話の流れによっては合流するか、宇津見と別れた後で理於と会うことを想定していた。
 話の途中で理於からLINEが来て、やっぱり私も行く! と言われた時は、ちょうどいいと依加も思ったらしい。
 ――しかし、カフェにやって来た理於は、泉子の姿もあったことで動揺した。
「当てよっか、ヨリ」
 運ばれてきたコーヒーには手をつけず、理於は言った。
「宇津見くん、最初はヨリと二人で会いたいって言ったんでしょ」
「……そりゃ、イズミはLINEできないから」
「違うよ。イズミには彼氏がいるから。うーくんは同窓会の時からヨリのこと狙ってたの。ヨリもイズミも気づかなかった?」
 理於の顔には自嘲の笑みが浮かんでいる。
 まさか――と泉子は思ったが、横目で依加を窺うと、頬をぴくりとも動かさずにテーブルの上を見ていた。心当たりがあるのだ。ないなら依加ははっきりと否定する。
「気づいたよね、ヨリ」
「いや、同窓会の時は特に。その後のLINEで、何か変だなとは思ったけど――」
「甘えてくるような感じだったでしょ? うーくんはいつもそうやって女の子を口説くの」
 泉子はぎょっとした。宇津見は依加の前にも、理於とつきあいながら他の女性に色目を使っていたのか。
「私が問いつめたり泣いたりすると、うーくんはすぐに謝るの。私のことで相談に乗ってもらって、つい甘えちゃっただけだって。本当に好きなのは理於だけだって。相談してるのは本当だからずるいよね」
 俺は結婚したいと思っているのに、理於ちゃんはいつも話をそらすんだ。こんなこと、他に相談できる人もいなくて。同じ女性としてどう思うかな?
 ――あれは、宇津見の定番の口説き文句だったのか。
「うーくんを両親になんて会わせられるわけない。他に何人の女の人がいるか、結婚を考えてるのが私だけなのかもわからないのに。うーくんも同じ地元で、うちの父は公務員だし。後で破談にでもなったら市内の笑い者だよ」
 そこまで田舎だっただろうか。泉子は考え、確かにそうだと結論づけた。こういうことは人口や経済規模の問題ではないのだ。
「私に彼氏をつくろうとしてくれてたのも、そのせい?」
 依加が尋ねると、理於は小さくうなずいた。
「イズミと会って同窓会することになったって言ったら、うーくん、自分も行きたいってしつこくて。イズミは彼氏がいるからいいけど。今まで誰と浮気されても許してきたけど、同じ高校のヨリだけはやめてほしかったの」
「じゃあ私じゃなくて、彼氏持ちの別の女子を呼べば良かったのに」
「ヨリに会いたかったんだもん。イズミとヨリと三人で」
 理於は駄々っ子のように言うと、涙声をごまかすようにコーヒーを口に含んだ。泉子と依加は顔を見あわせる。
 高校時代の理於はどのグループの生徒とも仲良くしていたが、逆に言えばどのグループにも馴染んでいなかった。コミュ力がありすぎて、かえって誰からも持て余されていたのかもしれない。学校行事などで率先して行動する一方で、煙たがられているような雰囲気もあった。
 泉子が――おそらく依加も――まるでノリの違う理於をあえて遠ざけなかったのは、つまるところ他人に興味がなかったからだが、理於はその温度の低さに安心しているようでもあった。そういえば、依加と過ごす時間が増えたのも、理於が二人に同時に話しかけてくれたからだった。
「理於。同窓会、開いてくれてありがと」
 泉子は自然に口を開いていた。
「理於のおかげでヨリにも会えたし、いろいろ懐かしい話もできた」
「そうだね。まだお礼言ってなかった。ありがとう理於」
 依加も泉子に同調して、理於に語りかける。
「……こんなことに巻き込んで、二人とも呆れたでしょ」
「いや――あの、立ち入ったこと訊くけどさ、理於、別れないの?」
 呆れていないと言ったら嘘になるので、泉子は話の矛先を変えて誤魔化した。実際に訊いておきたかったことでもある。
 理於はコーヒーカップをお守りのように握りしめて、視線を泳がせた。
「別れようと思ったことはある……そう思って、他の人とデートしてみたりもしたんだけど……」
 映画館に一緒に来ていた相手か。泉子は察したが、依加がいるので指摘するのはやめておく。
「でも、無理っぽい」
 たっぷりと溜めを取ったわりに、理於の結論は短かった。その簡潔さから、悩み抜いた末の答えなのだとわかる。
 泉子は理於を説得するのを諦め――もともとそのつもりはなかったが――、そのかわりに言った。
「そう。どうしようもなくなったら連絡して。とっちめてやるから」
「とっちめるって何」
 依加が小さく吹き出した。
「まあ、何でも言ってよ。私けっこう強いから」
「……格闘技でも習ってんの?」
 悪魔に鎖骨を舐めさせたポイントが貯まっているので、浮気男の一人や二人くらい難なく成敗できる。
 理於も依加につられて少し笑い、泉子に言った。
「ありがと、イズミ」
 実際に魔力を使うかどうかは別にしても、その力が自分にあると認識していることは心の支えになるものだ。
 いざという時、自分の味方になってくれる友人がいるということと同じように。


『今日は本当にありがとう
 聞き忘れてたけど、イズミの彼氏ってどんな人?』

 泉子はベッドの上で仰向けになり、タブレットを操作していた。
 理於のメールに対する適当な返事を考えながら、電子書籍を開く。
 『悪魔の手毬唄』は半分ほど読み終えた。映画との違いについていちいち検索したり、ネットに上がっている考察を読んだりするのも面白いので、時間がかかっている。
 寝返りを打とうとして、ベッドが狭いことに気がついた。ゾールがいつの間にか隣に横たわっている。すやすやと気持ち良さそうに眠っていたが、泉子が頬をつつくと機嫌良く目を覚ました。もともと悪魔は眠らなくてもいいはずだ。
「どうした、泉子」
「ん――ゾールの言ってたことは、たぶん当たってたなって」
 悪魔みたいな人間って、どんな人間だと思う?
 泉子が尋ねた時、ゾールはこう答えたのだった。
 それは――悪魔のように見えない人間のことだろう。
「人間はみな多かれ少なかれ、悪魔のようなところがあるらしいからな」
「なんでわかるの」
「愛人にしたいと言って断られたことがない。魔力がほしいと思わない人間はいないということだろう」
「……なるほどね」
「その中でも特に魔力をよく使いたがる人間ほど、魔力を持っていることを隠すのが巧かった。俺の愛人遍歴に基づいているのだから間違いはない」
「伊達に長く悪魔をやってないね」
 ゾールに尋ねてもふざけた言葉しか返ってこないと思っていたので、この答えは意外だった。そして、それが的を射ていたということも。
「言っておくが、あれは悪魔のような人間のことであって、悪魔そのものとは違うからな」
 ゾールはベッドの上で体ごと横向きになり、泉子を見つめた。
 泉子もタブレットを置き、頭だけ動かしてゾールを見る。
「――ゾールは浮気しないよね」
 尋ねるのではなく、実感として泉子は述べた。
 実際は、ゾールは四六時中ここにいるわけではないし、愛人の掛け持ちも不可能ではないと思うのだが、なんとなくそれはないと泉子は感じている。直感としか言いようがないのだが。
「しないぞ。急にどうした」
「いや――別に」
 人間である理於の彼氏は浮気癖が直らないのに、悪魔であるゾールは目移りすらしないというのは不思議な話だ。
 そう思っただけなのだが、ゾールはベッドに頬杖をつくと、妙に色っぽい目で泉子を覗きこんだ。
「やはり妬いているのか。俺が美しいと思ったのは映画の話だぞ」
「妬いてませんって。いつの話してんの」
「そなたの美しい骨に飽きることはないと言ったはずだ」
「はいはい。ゾール、最近ちょっとうざいよ」
 適当にあしらいながら、泉子は携帯電話を手に取り、理於にメールの返信を送った。


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