悪魔来たりて紐を解く [ 4−4 ]
悪魔来たりて紐を解く
4.非道とファーコート(4)
「宮根さん。篠山さん。今日はありがとう」
宇津見が指定してきたのは、駅から続く地下街にあるカフェだった。
同窓会からちょうど一週間経っている。宇津見も依加も仕事は土日休みだったので、日曜日の午後から会うことになった。泉子は図書館に行った帰りである。
依加も泉子も先週と同じような服装だが、宇津見は同窓会の時のラフなダウンコートではなく、遠目にはスーツにも見えるテーラードジャケットを着ていた。同性の友人がいない場所のほうが気を遣うものなのだろうか。
「今日、理於も一緒かと思った」
オーダーを終えて飲み物が来るのを待つ間、泉子はできるだけ気軽な口調で切り出した。
理於が来ないことはメールの段階でわかっていたが、その理由を宇津見に訊いておきたかった。
いや、確認しておきたかったと言うべきか。
「理於ちゃん抜きで急に二人のことだけ呼び出して、何かと思うよね」
宇津見はゆっくりと答えた。同窓会の時も思ったが、宇津見は声や話し方が穏やかである。
「もうわかってくれてると思うけど――二人に相談したいのは、理於ちゃんのことなんだ」
宇津見は泉子と依加の前で、堂々と理於をちゃん付けで呼んでいる。もう取り繕うつもりはないということだ。
泉子はうなずき、隣で依加も同じようにした。
二人とも人の相談に乗るのには向いていないタイプだが、相手が相談したいと言ってきたのを断るつもりもない。
「理於ちゃんは――二人とも、もう気づいてると思うけど、俺と理於ちゃんはつきあってて、俺はこのまま真剣に続けていきたいと思ってる」
「真剣――って」
「つまり、結婚したいってこと」
泉子と依加は同時に息を呑んだ。
同窓会の時点で予測のついたことではあったが、宇津見がこうも単刀直入に切り出すとは思わなかった。
高校時代に同じクラスだったというだけで、ろくに言葉を交わしたこともない、先週まで十年以上も会っていなかった程度の異性二人に。
「理於には――えっと、伝えてあるんだよね」
つまり、プロポーズは済んでいるかという質問だが、この尋ね方で正しいのか泉子にはわからない。結婚を視野に入れた恋愛相談など受けるのは初めてである。
「伝えた。いや、はっきり言ったわけではないけど、理於ちゃんには伝わっていると思う」
「えっと……それで、理於は」
「同じ気持ちでいてくれてると俺は思ってる。でも、具体的なことになると、いつも話をそらすんだ」
「――具体的って」
「たとえば、一緒に歩いていて結婚式場の近くを通ると、きれいだね、素敵だねって言う。入った店で小さいお子さんを連れた人がいたら、可愛いねーってにこにこしながら見てて、自分は絶対に女の子がほしいとか、何歳になったらどんな服を着せたいとか、嬉しそうに話してくれるんだ。でも――そこから俺が、住むところについて考えてくれたかとか、ご両親はいつなら都合がいいかとか訊くと、急に不機嫌になって話題を変えたがるんだ」
泉子は依加と顔をあわせたくなるのをこらえたが、たぶん依加も隣で同じような反応をしていると思う。
理於は、おそらく宇津見が危惧しているとおり、結婚したいと思っていないのだろうか。
結婚式や新居や子どもについて、気ままに空想を膨らませるのは一種の趣味のようなものだと思う。結婚願望のない泉子でさえ、ブライダル関連の施設や商品を見ると気分が上がるし、二歳の姪を筆頭に小さい子どもを見れば表情がゆるむこともある。
しかし、自分が結婚式を挙げる、子どもを持つということは、また別の次元の話である。
理於ならアンテナが反応してから行動に移すまでが早いし、結婚を現実のこととして考えているなら、式場や子どもといったキーワードから即座に自分のやるべきことを導き出しそうだ。
それをしないということは、やはり、宇津見と結婚したくない――か、すんなり結婚する気になれない理由があるとしか思えない。
が、それをそのまま宇津見に伝えるわけにもいかない。
「宇津見くんは、理於の気持ちを知りたくて私たちを呼んだんだよね」
依加が隣で言った。
「私たち、理於が先週の同窓会を開いてくれるまで、理於とは高校以来会ってなかったんだ。だから、役に立てなくて悪いけど、理於がいま仲良くしている友達とか、仕事関係の人とかに聞いたほうがいいんじゃない」
「それが――友達に紹介してよって言っても、また今度ねって言うだけで会わせてくれないんだ。会社の同僚の人たちにも」
つまり、宇津見と理於には共通の知人が一人もいないのか。高校時代の同級生を除いたら。
「先週久しぶりに会った二人に、こんなこと相談するなんて、俺も気が引けるけど、他に誰もいなくて。二人は高校時代から理於ちゃんと仲が良かったし、同じ女の子の目から見て、何かわかることがあれば教えてもらえないかな」
宇津見は泉子と理於の目を交互に見つめた。紺のジャケットの背筋は伸びたままだが、顔はうつむきがちなのでやや上目になっている。それなりの長い期間、同じ悩みを引きずってきて、疲れ始めているのかもしれない。
励ましの言葉は泉子の頭の中にもいくつか浮かんだ。恋愛相談に乗るのは慣れていないが、紋切り型の気休めならいくらでも言える。
マリッジブルーってやつじゃない? 本心では結婚したいと思ってても、具体的な話になるとさすがの理於も怖じ気づいてるとか。
一度、理於にはっきり訊いてみたら? 案外どうってことない理由かもしれないよ。
それか、今度は私たちと理於の三人で会って、それとなく理於の気持ちを聞き出してみようか。
――言おうと思えば言えるが、泉子の口はどうしても開かない。
映画館の暗い照明の中にいた、細身のコートの男性がどうしてもちらついてしまう。
あの日、泉子は理於の印象が変わったように感じたのだった。純白のファーコートに身を包み、ナチュラルメイクに映えるやわらかな笑みを浮かべていた。明るくおしゃべりなところは変わらなかったが、いくつか別の単語が浮かんできて、その場では無意識に打ち消したのだった。
モテ。媚び。男ウケ。
あまり使いたくない言葉だ。仲の良い友人に対してはなおさらである。
理於は――あのふんわりした微笑みを、複数の男性に振りまいているのだろうか。
「あのさ、話は変わるんだけど」
依加が急に言ったので、泉子は黒い妄想から抜け出すことができた。
テンションは低いながらさっぱりした依加の声に、うつむいていた宇津見も目の色を変えて顔を上げる。
「同窓会の時、覚えてる? 理於、私に彼氏を作ってくれようとしてたよね」
「……ああ。そういえば」
「ああいうこと、理於はよくやってるの? 友達とか同僚とか、誰かに誰かを紹介したり、そういうこと」
宇津見は依加の目を無言で見返していた。
「……いや。俺は理於ちゃんの女友達に会ったことがないから。よくわからないな」
「あー、そっか」
依加は納得したようにつぶやいた。
泉子は依加の意図がわからず、話の矛先を持て余す。
「篠山さんは、彼氏がいるんだよね」
「え。あ――まあ」
「だったら、同じ女性としてどうかな。結婚したくないと思うのって、どういう時だと思う?」
相手に愛想を尽かしているとき。結婚したい人が他に存在するとき。
しかし、理於は映画館の男性のことは泉子に紹介せず、宇津見とつきあっていることは同窓会で隠そうともしなかった。宇津見が本命だと言っていいと思う。
「仕事が忙しいとか――まだ独りの生活を楽しみたいとか?」
これは泉子が結婚したくない理由である。今に限らず、半永久的にずっとだが。
「――そんな理由なのかな」
「うん。案外、簡単なことかもよ」
「でも、それならはっきりそう言ってくれればいいのに」
話が一巡してしまった。こんな答えなら泉子でなくても言えるだろう。
「もうさ、理於にはっきり訊いちゃえば」
依加が言った。しびれを切らしたわけではなく、それが一番いいと思っている口調で。
泉子も同じことを考えていた。つきあっていて、喧嘩中というわけでもないのだから、恋人に自分の不安や疑問を打ち明けてしまえばいいのだ。宇津見は物腰が柔らかいし、険悪にならず突っ込んだ話をすることくらいわけはないと思う。愚痴を吐きたいだけなら同性の友人に相談すればいい。
それとも、宇津見は泉子と依加に期待しているのだろうか。私たちが理於に訊いてみようか、と提案してくれることを。
申し訳ないが御免である。他人の恋愛沙汰に首を突っ込みたくないし、宇津見にはそれほどの義理もない。これが逆だったら――理於に縋られて宇津見の気持ちを聞き出すということだったら――一肌くらいは脱いだかもしれないが。
宇津見は泉子の言葉に答えず、コーヒーカップの持ち手を弄んでいた。心なしか不機嫌に見えるのは、やはり泉子たちに何かを期待して、そのとおりの言葉を引き出せないからだろうか。
「――あ」
テーブルの端で何かが光ったと思うと、依加が声を上げて自分のスマホを手にした。
「ちょっとごめん――あ?」
手もとを見るなり、依加が目を丸くした。視線を上げかけ、慌てたように元に戻す。
依加がスマホを操作する間、泉子と宇津見は所在なく待っていた。
やがて手を止めた依加が、泉子、宇津見の順に視線を向け、口を開いた。
「理於からなんだけど。今からここに来るって」
「えっ」
「えっ」
泉子と宇津見の声が重なった。
「ここへって。場所は知ってるの?」
「いま私が教えた。宇津見くん、さっき私たちに話してくれたこと、理於にそのまま伝えなよ」
依加の意図していることは泉子にもなんとなくわかった。
理於からどんな連絡が来たのかはわからないが、おそらく依加が誘導して、理於がこの場に加わるように仕向けたのだろう。宇津見と理於に直接話し合いをさせるために。
お節介ではない。面倒くさくなったからだ。泉子も同じ気持ちだからわかる。
「そうだよ、宇津見くん」
泉子はここぞとばかり依加に加勢した。
「それが一番いいよ。私たちも一緒にいれば喧嘩にはならないと思うし」
同席くらいはしてやるから、あとは恋人同士で話しあって解決してくれ。
泉子と依加が念をこめて宇津見を見つめると、宇津見は気まずそうにうつむいた。
「いや――そんな急に言われても」
「急じゃないよ。ずっと悩んでたんでしょう」
「――なんでイズミも一緒なの?」
一人だけ、明らかにトーンの違う声が割り込んだ。
泉子と依加がそろって顔を向けると、カフェの店内に理於が立ち尽くしていた。先週と同じトレンチコートに清楚なスカートをあわせた姿で。
早っ、と泉子が反応する前に、理於が足早に歩いてきて宇津見に詰め寄った。
「なんでイズミも一緒なの? イズミには彼氏がいるんだよ!」
「いや、理於ちゃん、これは」
「うーくん、ヨリだけじゃなくて、イズミのことまで狙ってるの? お願いだからやめてよ! 同じ高校の友達だよ!?」
呆気にとられる泉子と依加の前で、理於は宇津見に涙声で叫び続けていた。
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