悪魔来たりて紐を解く [ 4−3 ]
悪魔来たりて紐を解く

4.非道とファーコート(3)
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「市川くん、商社で働いてるんでしょ。海外出張とかもあったりするの?」
 コーヒーにミルクを注ぎながら、理於が今度は男性たちに話題を振っている。
「いや。俺はそういうのは」
「どんなお仕事なの? 新卒で入って、もうそろそろ中堅だよね。昇進の話とかあるんじゃない?」
 根掘り葉掘りと言って遜色のない勢いで、理於はインタビューを続けている。周囲の客や店員からは合コンかと思われているだろう。エントリーしているのは理於ではなく、隣で眠そうにしている依加だが。
「いや。俺はないから」
 謙遜しているのか単に話したくないのか、市川はそっけなく話を切り上げた。どうも無口な性格らしい。そういえば、高校時代も声を聞いた記憶がほとんどない。
 市川を含む三人の男子は、今日の主旨をあらかじめ理於から聞いていたのだろうか。聞いていたにしては食いつきが悪いし、聞いていなかったにしては迷惑そうにも見えないので、どちらなのか泉子には判別がつけづらい。
「湯野くんは? 公務員だよね。今の配属どこだっけ」
 理於はめげずに別の男子へのインタビューに取りかかっている。
 商社マンに公務員。三人ともそこそこ整った容姿で、そこそこ清潔感のある服装をしている。理於なら高校から連絡の続いている友人も多いとは思うが、その中からこの三人を選抜したのか。
 湯野は市川よりは話し好きのようで、理於に話を振られて嬉しそうに応えている。
 泉子がちらりと隣を窺うと、依加は無表情でコーヒーをかき混ぜていた。砂糖もミルクも入れていなかったというのにだ。
 この状況で理於の行動を止めるには、依加は彼氏を持つつもりはないと伝えるしかないのだが、男子三人の前で言うわけにはいかない。理於だけを連れて中座しようとも、インタビューが途切れる気配がまるでない。
「ふーん――お役所ってやっぱり大変そう。家事とかしてる暇ないでしょ」
「あっ、お役所で思い出した! 理於のお父さんも公務員だったよね? お元気?」
 湯野の話を理於がまとめたのを見計らって、泉子はすかさず口を挟んだ。他人の会話に割り込むようなことはめったにしないので、声が不自然に上ずってしまったかもしれない。
 こうなったら、男性陣でも依加でもなく、理於自身を話の主役に据えるしかない。理於はもともとおしゃべりで、自分のことを話すのが大好きである。
 理於の父親が地方公務員だったのは確かだ。泉子の父親も同様で、何かの流れでその話をしたことがあった。あちらは市の、こちらは県の職員なので、父親同士に接点はなかったはずだが、理於との数少ない共通点だった。
「あー、そういえば。理於、市のゆるキャラの写真見せてくれたよね。なんて名前だっけ」
 依加が急に覚醒したように会話に加わる。泉子の意図したことを汲んでくれたのに違いない。依加にしては――会話力に関しては泉子も人のことは言えないが――良い話の切り口である。
 男子たちも顔を見あわせ、「ゆるキャラなんていたっけ?」「ほら、あの丸っこいやつ」と好反応である。
「知らない。覚えてない」
 盛り上がりかけた空気を冷たい突風で吹き飛ばすような、低くて強い声がした。
 全員が一斉に理於の顔を覗きこむ。
 理於はコーラルピンクの唇を食いしばるようにして、自分のコーヒーに目を落としていた。
 ひょっとして、父親のことは触れられたくない話題だったのだろうか。理於が親と不仲だという話は聞いたことがないが、二十代も終わりに近づけば親との関係も変化する。あるいは、父親が体を壊していたり、すでに亡くなっていたりする可能性もある。
 泉子は不用意に話題にしたことを後悔したが、フォローの言葉を考えているうちに、別の声が空気を塗り換えた。
「理於ちゃん、みんな心配してるよ。お父さんもお母さんもお元気なんだから、そう言えばいいだけなのに」
 宇津見の声だった。泉子の正面に座っていたので、理於を見つめる心配そうな表情がはっきりと見えた。
「元気だなんて、うーくん会ったこともないくせに」
「俺が会いに行きたいって言っても駄目って言っただろ。だからご両親のどっちかが入院でもしてるのかって訊いたら、そんなことない、二人とも元気だって。なんでムキになってはぐらかすわけ?」
「ムキになってなんか――うーくん、みんなの前でそんな話して、私の逃げ場を無くそうって言うの?」
 理於と宇津見、対角線上に座っている二人が、いつの間にか互いに言葉をぶつけあい、他の四人は口を挟むこともできない。
 これはいったい何なのか。
 理於ちゃん。うーくん。
 両親に会いに行きたいという言葉。
 つまり、この二人はつきあっているのか。そう言えば、理於は依加に対し市川と湯野を推したが、宇津見のことは話題にしようとしなかった。これからかとも思っていたが。
 でも――泉子は二週間前の映画館でのことを思い出す。
 理於は彼氏と一緒だった。シアターに向かう入口から振り向きざま理於を呼んでいた、黒いコートの細身の男性。あれは宇津見だっただろうか。
 映画館は照明が控えめで、離れた位置にいる人間の顔はよく見えなかった。シルエットや雰囲気も、注視していたわけではないので今は思い出せない。宇津見であれば泉子とも面識があったはずだが、泉子が宇津見をほとんど覚えていなかったのだから、宇津見も泉子を認識できず、歩み寄ってきてくれなかったことに説明もつく。
 あるいは、二週間のうちに映画館の彼氏と別れ、宇津見とつきあい始めたか――いや、それでは宇津見が理於の両親に会いたがるのは早すぎると思う。
「――あのさ」
 気まずい沈黙を破ったのは依加だった。先ほどまで身を小さくして、なるべく会話に巻き込まれないよう注意していたというのに、打って変わって自分から空気を先導しようとしている。
「とりあえず、デザート食べよ。溶けるし」
「あっ――そうだね!」
 泉子も依加に同調しようとして、思いがけず高い声が出た。
 泉子と依加。気遣いの会話などからもっとも遠いところにいる二人が、気を遣って話題を転換させることになるとは。
「――うん。食べ物を無駄にするのは良くないね」
 宇津見も気持ちを切り替えたのか、表情を和らげてスプーンを手にしている。
 理於はそんな彼氏――でいいのだろうか――を、まだ何か言いたげに見つめていたが、自分の皿に視線を移すと、ぽつりとつぶやいた。
「ごめん……みんな」
「いや、理於、私らじゃなくてデザートに謝りなって」
「そうだよ。理於のジェラートだいぶ溶けてない? 私のと換えてあげよっか」
 泉子も依加もテーブルに身を乗り出して、通路側にいる理於に必死で話しかける。
 この先、今と同じくらい気まずい沈黙に出くわしたら、「自分やヨリでさえ気を遣うレベルで気まずい」という表現を思い出しそうである。自分の心の内でしか使えないが。
 デザートはティラミスとジェラートの盛りあわせだった。ジェラートはきれいな紫色で、溶けかかってはいるがそれがかえって美味しそうである。
 ゾールに持ち帰ってやりたい、と泉子は思った。
 悪魔とのしょうもない会話が恋しくなることがあるとは思わなかった。

「というわけで、今日はこれ買ってきた」
 コンビニで仕入れたジェラートのカップを、泉子はゾールに差し出した。フレーバーは葡萄、洋梨、バニラ、ピスタチオの四種類。ゾールと愛人契約を結んでからずっと寒い季節だったので、アイスを買ったのは初めてである。
「泉子は食べないのか」
「私は昼に食べたし、もう遅いから」
 泉子は立ち上がり、ゾールが選んだ葡萄以外のジェラートを冷凍庫にしまった。
 帰りが遅くなったのは、依加とカフェに移動して話し込んでいたからである。はじめは理於のことを話していたが、次第にお互いの近況報告が始まり、仕事のことから最近観た映画まで話してるうちにあっという間に時間が過ぎた。高校時代は仲良くしていても大したおしゃべりはしなかったのに、十数年分の話題の蓄積は侮れない。
 また連絡すると言いあって別れたが、おそらく依加は連絡してこないし、泉子もしないと思う。泉子は依加のそういうところが落ち着くし、依加もそう思ってくれていたらいい。
 依加のおかげで気疲れはだいぶ薄れたが、理於のことがすっきり解決したわけではない。
 食事を終えて解散となると、理於は宇津見に支えられるようにして去っていった。宇津見は目立たない性格だが、理於には優しいらしい。両親に会いたがっているのを見ると、理於との将来も真剣に考えているようだ。
 しかし、理於は宇津見を両親に会わせることを頑なに拒んでいる。
 そして――映画館で泉子が見た、もう一人の男性。
 恍惚としてジェラートを口に運んでいるゾールの隣で、泉子はタブレットで『悪魔の手毬唄』の小説を開く。ダウンロードしたきりまだ読み始めていないが、映画を観て間もないので印象は強烈に焼きついている。
 悪魔とは誰のことなのか。
 電子の表紙や目次を見るともなく眺めていると、テーブルの上で携帯電話が震えた。
 まさか理於――と思い、飛びつくように取ったが、メールの送り主はなんと依加だった。連絡は来ないと思っていた矢先に、いったい何事だろう。

『お疲れ
 さっき宇津見くんからLINE来た
 イズミと話したいって言われたんだけど、どう?』

 依加はLINEをしているのか。意外である。そう言えば、店の席で料理を待つ間、泉子以外の五人はスマホをふるふるしていた。
 いや、反応するべきなのはそこではない。

『理於と四人でってこと?』

 泉子は手短に返事を打って送信した。言葉が素っ気ないのは高校時代からお互い様なので気にならない。
 ゾールがジェラートのスプーンをくわえたまま、無邪気な瞳で泉子を眺めている。折り返しのメールを待つ時間がやけに長く感じる。
 しばらくして、泉子の携帯電話が再び震えた。

『いや。三人でだって』


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