悪魔来たりて紐を解く [ 4−2 ]
悪魔来たりて紐を解く

4.非道とファーコート(2)
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「イズミ!」
 泉子が店の入口に近づいていくと、理於が右手をまっすぐ上げて左右に大きく振った。
「ごめん理於。遅刻した?」
「まだ十分前。私たちが早く来すぎたの」
 待ち合わせたのは、駅近くの商業ビルに入っている、イタリアン料理店である。何種類ものパスタが飾られたショーウィンドーの前に女性客が群がり、ガラス張りの壁に沿ってすでに長い列ができている。
 同窓会の会場としてこの場所を選んだのは理於で、参加者の予定をそろえて日時が決まるやすぐに席を予約してくれた。おかげで泉子たちは並ばずに済む。
 理於の立ち場所の前まで来た泉子は、理於と並んで立っていた小柄な男性に気づいて顔を上げた。
宇津見(うつみ)くん。覚えてる?」
 理於がにこやかに紹介すると、当の男性は無表情のままぺこりと会釈した。
「あ――篠山(ささやま)です。三年のとき同じクラスでしたよね」
「どうも」
「二人とも、なんでそんな畏まっちゃってるの? 仕事じゃないんだから」
 理於は明るく呆れているが、宇津見とは在学中に話した記憶が皆無である。理於に言われて顔と名前は一致したが、下の名前は正直言って思い出せない。
 理於からは、男女三人ずつ、全部で六人で集まろう! とメールで知らされていたが、男子は誰が来るのか教えてもらっていなかった。聞いても泉子はぴんと来なかったと思うが。
「女子はあとヨリだけ。男子は市川(いちかわ)くんと湯野(ゆの)くんが来てくれるよ」
 理於が思い出したように教えてくれたが、やはり泉子には心当たりがない。名前に聞き覚えはあるものの顔や人となりが思い出せない。
 そもそも、理於から同窓会と聞いた時は、てっきり仲の良かった女子だけで集まるのかと思っていた。
 男女同じ比率でセッティングされ、当日まで誰が来るかわからないとは、まるで合コンのようではないか。行ったことはないが。
 泉子は理於の全身にさりげなく目を走らせた。
 もう三月も下旬なので、さすがにファーコートではなく、ベージュのトレンチコートを着ている。ウエストから裾までのラインがきれいに広がった、ドレスのように見えるデザインだ。髪型は映画館で会った時と同じダークブラウンのセミロング、メイクはやはりブラウン系のナチュラル寄り。
 特別めかしこんでいるわけではないが、さりげなく女性らしさを前に出した装いは、合コンっぽい――のだろうか。
 いやいや、理於には彼氏がいるはずだし。
「あ、来た来た! 三人一緒だよ!」
 泉子の邪推に気づくはずもなく、理於が明るい声を上げ、泉子にしたのと同じように大きく手を振った。
 人だかりをかき分けるようにして、三人の男女が歩いてきた。
 右端のパーカを着た女性は泉子を見てあっという顔をした。泉子もそれに気づいて小さく手を上げる。
 宮根(みやね)依加(よりか)――通称ヨリ。高校時代の泉子が一番仲の良かった女子生徒だ。
「ヨリー! 市川くん、湯野くん、こっちだよ!」
 大きく手を振りながら叫んだのは、もちろん泉子ではなく理於だ。
 三人は理於の前まで来ると、誰からともなくぺこりと頭を下げた。
「どうも。お待たせして」
「堂島さん、今日はありがとう」
 口々に言う彼らに、理於が笑顔で応じる。
「これで全員だね。みんな、お互いのこと覚えてる?」
 依加と男性たちが曖昧な反応をする。
 泉子も似たようなもので、理於と依加はもちろんわかるが、男子たちのことは名前と顔をばらばらにうっすら記憶がある程度だった。高校時代に一度は同じクラスになったことがあるはずだが、何年生の時なのかわからない。
 理於が率先して各人を紹介すると、他の五人の間にどこかほっとした空気が流れた。卒業後も全員と繋がっていたのはどうやら理於一人らしい。
「イズミ、しばらく」
 ひとしきり再会の儀式が済むと、依加がさりげなく立ち位置を変えて泉子に声をかけてきた。
 オーバーサイズの白いパーカに若草色のロングスカートという出で立ちは年相応か、あるいはそれ以上に大人っぽいが、ぶっきらぼうな声や表情は高校時代と変わらない。
「久しぶり。ヨリ、元気だった?」
「まあまあ。イズミも変わらないね」
 ……沁みる。
 泉子はそうつぶやきたくなるのを抑えた。
 依加の低めの声を聞いていると、職場の人間関係で疲れた耳が奥まで洗われていくようである。
 高校時代も、この声とテンションの低さに共鳴するように引き寄せあい、気がつくと仲が良くなっていた。たぶん依加も同じように感じていたと思う。
 移動教室や昼休みのたびに行動をともにすることはなかったが、気がつくと一緒にいて気の向くままに雑談し、気がつくと別れていた。卒業後もしばらく連絡が続いたのは理於と同じだが、途切れるのは依加のほうが早かった。双方が人づきあいにコストをかけないタイプだと必然的にそうなる。
 それでも、久しぶりに依加と会うと、大した会話はしていなくても気持ちが和む。根本的に相性がいいのだと思う。
「じゃあ入ろうか。ちょうど予約した時間だし」
 理於が全員を見渡して声を張る。背の高さで言えばこの中で一番小柄だというのに、よく動く表情と行動の機敏さでしっかりと空気を先導している。
 人だかりと行列で混みあっていた外と違い、店内はすっきりシンプルな内装で落ち着いていた。価格設定が高めなせいか客層も社会人が中心のようだ。
 観葉植物とパーテーションで区切られた、半個室のような席に通されると、壁一面が窓になっていて見晴らしが良かった。ビルの最上階に近いのでちょっとした展望台のようである。
「あ、待って。イズミが奥へ行ってくれる?」
 男女に分かれて席に着こうとすると、奥から詰めようとしていた依加を理於が引きとめた。かわりに泉子が軽く押されて奥へ向かう。
「ヨリはこっち。真ん中ね」
「……どこでもいいけど」
 依加が首を傾げつつ椅子を引いたので、泉子もそれに従う。
「席順に何かあるの? 理於ちゃん」
 男性の一人で泉子の向かいに座っていた宇津見が、コートを脱ぐために立っている理於に尋ねる。
 理於ちゃん。その呼び方に疑問を持つ暇もなく、理於の明るい声が響き渡った。
「だって、今日の主役はヨリだから。三人の中でフリーはヨリだけなんだよ」
 理於はふわりと微笑み、宇津見以外の二人の男性に目くばせをした。

「――あー」
 パウダールームの大きな鏡を前に、依加が大きく両腕を伸ばしている。
「お疲れ、ヨリ」
「イズミもお疲れ――まだ終わってないけどね」
 食事が終わり、コーヒーとデザートが出てくる前に、二人は示しあわせて中座してきた。店外にあるトイレは少し列ができていたが、手洗い場の脇にあるパウダールームは幸いなことに先客がおらず、二人でソファに身を投げ出して手足を伸ばした。
 疲れた。高校時代の友人たちと食事をしただけなのに、なぜか残業した日よりも疲れた。
 泉子以上に疲れたのは依加だろう。ソファの背もたれに頭まで寄りかかっている。時間があればこのまま靴も脱ぎそうだ。
 同窓会という名目の食事が、合コン――ではないものの、依加に彼氏を見つける会だった。そのことを泉子はもちろん、依加も席に着いてから知ったらしい。
 どうりで、仲の良かった他の女子ではなく、名前と顔も一致しない男子が三人も呼ばれていたはずだ。依加も男性たちへの認知度は泉子と似たようなものだった。
「ヨリ、理於とは今も連絡とってたの?」
「いや。高校卒業してからは全然。急にメール来て、イズミと映画館で会ったよって教えてくれてさ。その流れで同窓会しよって誘われたから、てっきり三人で会うんだと思ってたのに、エレベーター前で急に男二人に名前呼ばれてびびった」
 つまり、依加は誰か来るか以前に、男子も来るということ自体を知らされていなかったというわけだ。
 理於は最初に宣言したとおり、依加を食事会の主役として扱い、あれこれ質問して話題を引き出しては、すごい! さすが! と持ち上げていた。男性陣も同調して興味を示していたが、当の依加のテンションが低いままなので、カップル成立の兆しは欠片も見あたらず、なぜか泉子がいたたまれない気分になった。
 理於が、泉子に彼氏がいると誤解していなかったら、今日の依加のポジションに立たされたのは泉子だったのだろうか。映画館で二人分のフードを持っていて良かった、と思わぬところでゾールに感謝する。
「一応訊くけど、ヨリ、彼氏ほしい?」
「いや別に」
 考えこむ隙も見せず、かと言って不自然な即答でもなく、ゆるゆると依加が答える。
 依加は垢抜けたと思う。ほとんど化粧気のない顔や伸ばしっぱなしの黒髪は高校時代のままなのに、妙に雰囲気があって横顔が絵になる。
「理於ってさ、昔からあんなノリだっけ」
 背もたれから身を起こしながら、依加は気だるげに尋ねた。
「よくしゃべるのは昔からだね。行動が早いのもそうだった」
「そう言われてみればそうなんだけどさ。何かね……」
 依加が口ごもった。その先を言ったら悪口になると、泉子もなんとなくわかる。
 泉子はおしゃべりな人間が苦手だと思っていたし、今でも基本的にはそうだ。相手のペースにあわせて相槌を打ったり興味を示したりするのが面倒だからだが、こちらを一切気遣わず一方的にまくしたてるタイプの饒舌家であれば、案外気疲れせずにつきあえるものだと知ったのは、高校で理於と仲良くなってからだった。
 理於は二年の時も三年の時も決まったグループに属さず、誰彼かまわず話しかけてすぐに仲良くなっていた。文化祭や体育祭でも率先してクラスを引っ張っていくタイプで、やる気がありすぎてうざいと一部では陰口を叩かれていたが、泉子にとっては放っておけば勝手に話を進めてくれる楽な相手だった。
 多少まわりが見えていないところもあるが、行動力があって物怖じしないコミュ強(という言葉は高校当時にはなかったが)。自分のやりたいことに他人を巻き込むことはあっても、他人の生活や態度に介入してくることはなかった。
 ――フリーの友達に恋人を見繕ってやろうなどと、お節介なことを考えて実行に移すことも。
「――あ、五分過ぎた」
 依加が自分のスマホに目をやってつぶやいた。そろそろ戻らなければ不自然になってしまう。
 化粧を直すと言って出てきたので、泉子は申し訳程度に唇にグロスを載せ、馴染ませながら立ち上がった。


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