Sasha [ 2−4−3 ]
Sasha 第二部

第四章 二つの会談(3)
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 王城の一階の広間は大円状で、三階まで吹き抜けた造りになっている。二階三階にはバルコニーに空洞の窓が並び、そこから下の広間が見えた。
「ここから聞くの?」
 窓の一つを覗いて、サーシャは聞いた。
「それじゃあ下からも丸見えじゃない」
 タチアナは促すと、円形のバルコニーを半周ほど歩いて、一つの窓を示す。その前には太い柱が立っていた。この前にいれば、確かに広間からは見えないだろう。逆にこちらからも見辛いが、角度を変えれば広間の半分くらいは見渡せる。何より、高い天井のおかげで人の声はしっかり聞き取ることができそうだ。
 二人はあれこれ立ち位置を思案して、最良の状況で立ち聞きできる体勢を整えた。
「あの」
「何よ」
「いつもこんなことしてるの?」
「うるさいわね。女人禁制なんだからこのくらいの対策は必要なのよ」
 ということはしているのか、と思いつつ、サーシャは柱の影から下を見下ろした。
 広間には長い机が一台だけ置かれ、両辺に椅子がずらりと並んで人が座っている。高さがあるため一人一人の顔までは見えないが、一番左にイリヤがいるのはいち早く発見できた。
 上座と下座には大きな背もたれの椅子が置かれ、それぞれに人が腰掛けている。その二人が二派の代表者だと、すぐにわかった。とすると、イリヤのいる上座の正面席に陣取っているのは。
「タチアナ嬢。あの方が父君ですか?」
「そう。で、向かい側にいるのが新女王派の代表」
 長い机を隔てて、下座の端に目を移す。サーシャは小さく叫んだ。そこに座っていたのは、囚われた日にあの館で会った人物、サーシャを民衆の前に引き出して魔女だと騒ぎ立てた、あの男だったのだ。
「ウラジミル大臣よ。あなたもよく知ってるでしょ」
「やっぱり、あの人が」
「そうよ。十二歳になる一人娘がいて、その娘を女王にするって言い出したの。冗談じゃないわ」
 タチアナは泥土でも見るような目つきで、大臣を見下ろした。
 長い机はちょうど中間で二派に分かれているらしく、上座側と下座側の間には張り詰めた空気が広がっていた。まだ会談は始まっていないのか私語が聞こえるが、二派の境目には明らかな隔たりがある。相手側の方を指差して耳打ちし合う者も目立った。
「いつ始まるの?」
「父さまが新女王派からの議案に目を通し終わったらよ」
「結構長くかかるぞ。向こうの奴ら、束にするほどの書類を提出してたから」
 三つ目の声は、二人のどちらのものでもなかった。サーシャとタチアナは顔を見合わせ、ゆっくり振り向く。ニコライが壁に寄り掛かって腕組をして立っていた。
「ちょっと。なんであなたがここにいるの」
「秘書官の一番下っ端じゃ、会談には出席させてもらえないしさ。暇だし気になるからおれにも聞かせろよ。ついでにもう一人」
 ニコライは親指で隣を指した。美しい古城の廊下には不釣合いな、貧相な姿が立っている。
「――イヴァン殿」
「暇だからちょいと城ん中でも見せてもらおうとうろついてたところに、この兄さんに会ってね」
 サーシャが目を丸くする隣で、タチアナはため息をついた。
「――いいわ。おじいさんはその辺で目立たないようにしてて」
「じいさんはあんまりだな。おれはこれでも……」
「あなたの年なんて聞いてないから! ニコライ、会談を解説してよ」
「なんでおれが」
「あなたも官職でしょ、一応」
「一応……」
 サーシャは目を丸くして、二人を見比べた。
 そのとき、階下から低い声が聞こえた。
「随分な懐刀をお連れですな、セルゲイ殿」
 摂政派の側に座る者が一斉に顔を上げた。声の主であるウラジミル大臣は、下座端で嘲笑を浮かべている。呼びかけこそセルゲイに向けられたものだったが、その視線は明らかにイリヤの上にあった。
「あの少年が大きくなって、まさかこの場に席を持つ日が来ようとは。セルゲイ殿も奇抜なことを考えられる」
「本当に。帝国の血を利用しようなど、シーアの誇りを持つ者には想像もできませんね」
「帝国の貴公子殿、あちらでの七年間はいかがでした? もっとも、彼の国ではどこの血が入っていようがお構いなしだそうで、この国よりは居心地が良かったのでは?」
 新女王派の席に嘲笑が湧き起こる。
 摂政派の人間はそれぞれいたたまれなさそうに首を動かし、イリヤと新女王派を見比べた。だが、摂政その人とイリヤ本人は視線一つ動かさず、手元の書類に目を落としている。
「一言くらい言い返しなさいよ、もう!」タチアナが言った。「相手にする気にもならないのはわかるけど、あれじゃ言われっ放しじゃないの!」
 サーシャはやりとりを聞いていたが、次に広間から聞こえてきた声に、耳が捕らえられた。
「帝国では近々、十六の小娘を皇位に就かせるとか」
 反射的に広間を見下ろす。呟いたのは、新女王派の一人だった。
「それはそれは。成り上がりの皇家もとうとうそこまで来ましたか」
「十六でしたら可愛らしいお人形におなりでしょう。皇座に座らせておくだけでもそれなりの効果はあるかもしれない」
「いや、どんな女帝陛下が誕生するのか興味深いところですな」
 サーシャは何も言わず、ただ広間を見下ろした。ろくに国交のない他国での噂など、この程度のものかも知れない。ことにシーアには、既に形だけとなった女王の国。帝国で女君主が即位すると聞いても、その娘が実際に政務を執ると考えられるほうがおかしいのかも知れない。
(でも、レストワールの重臣たちも、きっと同じようなことを考えているのだ。十六の小娘など、皇座に飾っておくお人形だと)
 タチアナは何か言いたげな顔をしながらも、一言も発しなかった。ニコライも口を閉じたまま広間を見下ろす。イヴァンに至っては壁にもたれ、退屈そうに辺りを見回しているだけだった。
 サーシャは俯いて、広間に視線を流した。
 そのときだった。
「それは、どうでしょうか」
 静かな声が響いた。
 広間に着席している者も、上から立ち聞きしていた四人も、一斉に視線を向ける。
 摂政の傍らで黙っていたイリヤが、初めて口を開いたのだった。彼は読んでいた書類から顔を上げ、新女王派の席に向かって言った。
「レストワール皇家の唯一の世継ぎである皇女が、ただの人形だと。あちらの人間がそんな娘に皇位を任せると、本当に思いますか?」
「成り上がりの国の考えることだ。小娘一人の器量を推し量る力もない」
「そうですか? 少なくともあちらは、国境の外にも及ぶだけの視野があると思いますが」
 ウラジミル大臣の顔が歪む。
 タチアナがサーシャの隣で、音を立てないよう拍手をした。
「減らず口を叩くな、若造が」
 大臣が言葉をぶつける。
「帝国の血とは言え、半分は女王陛下の血を引いていると思ったが……七年のうちにすっかりあちらの人間になり下がったな」
 イリヤは言い返さず、黙って正面を向いた。
「長年の王統は途絶えたも同然だ。この上は新しい女王を立てて、シーアの伝統を受け継ぐしかない!」
「途絶えていません」
 再び全員の視線が集まった。
「王統は途絶えてはいません。このまま受け継いでゆく道はあります」
(まさか)
 サーシャは階上で、胸を押さえた。
(あのことを? タチアナ嬢との婚姻を)
「ソフィア女王は生前、ご自分の世継ぎを指名しておられました」
 広間が凍ったように静かになった。上にいる四人も目を見開いた。サーシャは息を呑んだ。
「……指名だと?」
 大臣が思わず立ち上がり、声を震わせた。
「どういうことだ! 一体誰に王位を渡すと言うのだ?」
「七年前、女王陛下はご崩御される直前、ある遺言を伝えられました」
「誰に」
「レストワールから、政権交代の立会人としてやってきた一人の使者です」
 サーシャはタチアナを見た。
「そんな人がいたの?」
「確かにいたわ。若い男が一人。ほとんど形だけだったけど、ソフィア女王とも代理を通してお話したそうよ」
 そう言うタチアナも、広間のやり取りに目を見張る。
「その時、女王は使者に、ある遺産を託されたそうです」
「遺産……?」
「もしご自分の死後、シーアの政権を巡って国が荒れるようなことがあれば――この遺産を見出した者に王統を委ねると」
 一瞬の沈黙の後。
 広間が大きく揺れた。あちこちから混乱の声が沸き上がる。摂政派も新女王派も、それは同じだった。平静を保って黙っているのは、イリヤと、その上座に座る摂政だけだった。
「いきなり大事になったな」
 ニコライが広間を見下ろして、呟いた。
「聞いてないわよ、そんなの!」
 広間の騒音の中、タチアナが叫んでも下には気付かれない。
「よりによって、ここで明かすとはな。これはもう一もめ起きるぞ」
「でも転び方次第で、政権争いの終わりが見えるかも知れないわよ」
(女王の、遺産)
 サーシャは声に出さず呟いた。
 イヴァンが一人後ろに立って、パイプを弄んでいる。
「証拠はあるのか。女王がそう仰ったという証拠は」
 大臣が声を張り上げた。その声は、ほとんど痙攣に近かった。
「王城の書簡室に、女王の遺言の代筆があるはずです。必要な時が来るまで、公開は禁じられていましたが」
「では、遺産はどこにある」
「女王は公平に徹するため、部外者であるレストワールの使者に全てを任せられました。その使者がこの国のどこかに残して行ったのか、それとも国外に持ち出したのか……誰にもわかりません」
 大臣は額を押さえて座り込んだ。
 席のあちこちで囁き合う者、耳打ちする者、イリヤを凝視する者、広間は一向に静まらない。
「とにかく、こういうことですな」
 上座にいた摂政が、冷静に声を響かせた。
「その女王の遺産が見つかり次第、シーアの政権の行方が決まる、と」
 静まり返った。何人かは顔を見合わせる。
(女王の遺産……)
 サーシャは反芻した。
 それが、この古王国を救う鍵。


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