約束のサンタクロース
前編
ダメかも知れない、と思ってはいたけど、やっぱりそうだった。隣の県に住む彼からのメール。
『ごめん。クリスマスイヴ、駄目になった。』
先を読まなくても理由はわかっていた。見習いでバイトしてるお店の仕事。何を隠そう彼が働いているのは、この季節たぶん日本中のどの商売より忙しい、洋菓子屋さんなのだ。当然、クリスマスとその前の数日間はケーキの注文に追われて、自分がクリスマスを満喫してる余裕なんてない。
だから、イヴにはるばる遠距離恋愛の彼女のところまでやってきてくれるなんて――無理だろうな、とは、思って、いたけど。
街路樹にまとわりついたイルミネーションが、やたらチカチカと目に映る。すれ違う人追い越す人、みんな派手に着飾って足並み軽やかだ。アーケードに流れる音楽はもちろん「ジングルベル」。歩いても歩いても同じメロディが付いてくるし、通りかかった雑貨屋さんからはオルゴールの「もろびとこぞりて」が聞こえてきて、もうわけがわからない。どのお店の前にも、雪だるまかクリスマスツリーが番犬のように立っている。不二家のペコちゃんまで赤い帽子に赤いコートのサンタ姿。
ばっかみたい。どうせあと二日したら、こんなの一気に町中から消えるのに。十二月二十六日に半額で売ってるクリスマスリースほど虚しいものはない。だいたい、クリスマスはイエス・キリストの誕生日じゃなかったっけ。信者でもないのに何やってるんだか。本当に日本人はいい加減だ。
――と、イヴを一人で過ごす寂しいあたしは、にぎわう街路を早足で進んで行く。
まだ帰ることはできない。家にいれば家族とそれはそれで楽しいイヴを過ごせるのに、嘘をついて出てきたのだ。だって、「彼にキャンセルされた」って第三者に話したら、ますます実感が沸いて落ち込んじゃう。同情されるのも嫌だ。
そんなわけで、あたしはクリスマスを彼氏と過ごすべくめいっぱい着飾って家を出る、幸せな女の子を演じてきたのだった。
午後六時も近付く十二月の街はすっかり夜の中だ。すれ違う人はみんな腕を組んで楽しそうで、一人で歩いてるのなんてあたしだけじゃないかと、つい被害妄想に陥ってしまう。
イルミネーションのバカ。そんなにキラキラしてたら涙が光って、あたし通行人のさらし者じゃないか。
もっとも、この日に一人で泣いてる女の子に気をかけてくれる人なんて、裏心ありありのナンパ野郎くらいだろうけどね。
「どうか、されましたか?」
なんて、優しい言葉に騙されちゃダメだ。
「どうしたんですか? お嬢さん」
ほっといてよ。そりゃあ彼に会えなくて寂しいけど、軽い口車に乗せられるほど愛情には飢えてないわ。
「お嬢さん?」
――って、あれぇ……?
あたしに声をかけてきたのは、ナンパ野郎でも、被害妄想から見える幻覚でもなかった。
いつの間にか歩調を止めてしまったあたしの前には、薄い白髪の上に毛糸の帽子を載せた、小さなおじいさんが立っていたのだ。
「どうされました?」
おじいさんは小さな目であたしを覗き込んで、もう一度聞いた。
涙を見られたこと、更に心配までされたことにいたたまれなくなって、あたしは慌てて目をこする。
「なんでもないです。ゴミが入っただけ」
「いいえ。さっきから泣いてたでしょう」
なんでわかるんだ。
ぱっと見たところ、物静かで人の好さそうなおじいさんだ。本当に心配してくれているのはわかる。
でも、ほっといてよ。
こんな日に女の子が泣きながら歩いてたら、だいたい理由はわかるでしょ。
「大丈夫です。ほんとになんでもないんです」
「サンタクロースが、来ないんですか?」
――は?
あたし、あからさまに目を丸くした。
この人、今なんて言った?
「今日は、クリスマスイヴでしょう」
はい、知ってます。
「サンタが来てくれないんですね。あなたのところにも」
はい、確かに来てません。
サンタだけじゃなく、一番会いたい人もね。
「実は私も、ここでサンタクロースを待っているんですよ」
そうですか。それはご苦労様。
あたし、改めておじいさんを見る。
背は、あたしの目の下くらいまでしかない。本当に小さいおじいさんだ。ニコニコして、子供みたいに邪気がない。
……まさかボケてないでしょうね。髪の白さのわりに口調はしっかりしているし、背筋もしゃんと伸びているけど――。
「大丈夫ですよ、ボケていませんから」
おじいさん、ニコニコしたまま言う。あたしの心が読めるのか、この人は。
「……サンタクロースって、バスで来るんですか?」
あたしたちの隣には、停留所のポールがてかてか光りながら立っている。
「はい。私のところにはね」
それはまた近代的な。ああ、この町には雪なんて積もらないから、トナカイのソリには乗れないもんね。
「お嬢さんのところには、来てくれますか?」
目をそらした。
あたしが一番来てほしいサンタクロースは、今ごろ生クリームの上にチョコのおうちでものっけてる。
「あたしのところには、来ません」
言い捨てると、おじいさんはちょっと悲しそうな目をする。
「まだ、わかりませんよ。イヴは始まったばかりなんですから」
「来てくれません。どんなに待ってたって」
「それじゃあ一緒に、私のサンタが来るのを待ちませんか?」
浮かびかけた涙が引っ込んだ。
「……ここで?」
バス停の横には、さびかけた細いベンチがある。
「そう、ここでです」
おじいさん、ニッコリ笑う。
……彼氏に捨てられたかわいそうな女の子は、イヴの夜を見知らぬおじいさんとバス停のベンチで過ごしましたとさ。
ああ、なんていい話。
「わかりました。座りましょう」
自嘲的に言い捨てたあたしに、おじいさんはニコニコしながらうなずいた。
「バス見送るの、何本目ですか?」
切り出したのは、満員のバスがあたしたちの前を去った後。乗っていく人も降りてくる人も、みんなめいっぱい着飾って楽しそうだ。ちくしょう。
「六本目ですよ」
おじいさんの答えに、あたしはぎょっとして振り向いた。
ここは駅前の通りとは言え、そんなに大きくない。バスは一系統しか通っていなくて、それもせいぜい一時間に三本だ。
「二時間近くも前から待ってたんですか?」
「ええ。四時ごろからですね」
隣に座るおじいさんは、のどかに答える。
夕方からこんなに暗くなるまで、この人ごみの中をバス停に一人座っていたおじいさん。
――サンタクロースを待ちながら。
「四時半にはバスが着くと、サンタは言っていたんですよ。でも、その時来たバスには乗っていなくてね」
あくまで、のんびりと。
まるで、宅配便を待つような口調で。
「きっと電車に乗り遅れるか、何か事情があったんでしょう。でも、そのうち来てくれますよ」
「……本当に?」
「はい。もちろんです」
おじいさんは、あたしを見てにっこり笑った。
「孫が言っていたんです。クリスマスにはサンタクロースが来て、いちばん欲しいものをプレゼントしてくれるんだと。子供も大人も、世界中のすべての人に」
「すべての人に……」
じゃあ、あたしはどうしてここに、知らないおじいさんと座っているんだろう。
あたしだって、小さいころはサンタクロースを信じていた。たくさんのプレゼントを山のように抱えてやってくるおじいさん。大きくなるにつれてその夢は消えていったけど、その代わり、クリスマスはもっと大切な日になった。
去年のイヴは、何週間も前からどのお店に行こうか、どんな服を着ようか、プレゼントは何にしようかと、そんなことで頭がいっぱいだった。
結局、目星を付けたお店はどこも予約が間に合わなくて、一つ年上で一人暮らしをしていた彼の部屋に行った。
ツリーはなかったけど小さなキャンドルを買ってきて、火を灯して、明かりを消して。オレンジの光の中で二人とも何も言わず、唇だけ触れた温かさを覚えている。
次の年も、その次の年も、ずっとそんなクリスマスが過ごせると思っていたのに。イヴの夜の街はこんなに明るくて、みんな幸せそうに笑っているのに。あたしだけ一人。
彼がパティシエの見習いバイトを始めて引っ越して、会える回数は極端に減った。最後のデートは十月末の彼の誕生日。二ヶ月も会っていない。
ケーキもプレゼントもいらない。一緒にいてくれるだけでいい。
知らない誰かのためにケーキなんか作ってないで、あたしの側にいてよ。
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