テューダーの薔薇 [ 9−3 ]
テューダーの薔薇

第九章 テューダーの薔薇 3
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 シェリフ・ハットンに何人めかの使者がやってきて、エリザベスをロンドンに連れていくと申し出た。エリザベスが同じ文句をつかって断ると、使者はそれ以上は押し進めようとしなかった。
 ボズワースでの戦闘からすでに一月以上が過ぎており、ヘンリーはロンドンで着々と足場を固めつつあるようだ。戴冠式の準備も進んでいると今日の使者が話してくれた。王妃のいないヘンリーは、このままでは一人で王冠を戴くことになる。
「早くお帰りください、レディ。ロンドンの臣民も新たな王妃を心待ちにしております」
 使者はそうたたみかけるが、決して他の手段には出ようとしなかった。ウォリック伯エドワードが連れ去られた時とは違い、どの使者も護衛以上の兵士を連れていない。エリザベスを言葉で促しはしても、武器や脅しを使うつもりはないようだった。
 ヘンリーがエリザベスを信用しているということだろうか。それとも、是が非でもエリザベスをロンドンに呼びたいわけではないのだろうか。
「一つ、お聞きしたいことがあります」
 エリザベスが口を開くと、使者は改まって耳を傾けた。
「先の議会で可決した法律によると、わたしはエドワード四世の嫡子ではないとされています。陛下はわたしを私生児のまま王妃になさるおつもりでしょうか」
「その法文でしたら、陛下が近いうちに破棄なさいます。前王が自分が王位につくために定めた恥知らずな法ですから」
「でも、父の古い結婚を証言した司祭もおりましたでしょう。そう簡単に覆せるのでしょうか」
「陛下のご裁量では可能です。ですからレディ、お心安くロンドンにいらして、陛下とともに冠を戴いてください」
 そう言いつつも、使者はエリザベスをレディと呼び、王女とは呼ばない。エリザベスと妹たち、そして弟たちは、法の上ではまだ父の庶子のままなのだ。
 ヘンリーがエリザベスを、つまりエリザベスの王位継承権を手に入れたいのなら、一刻も早くその法案を破棄するはずだ。しかし彼はまだそうしていない。それほど難しいことではないはずなのに、なぜすぐにしないのだろうか。

「ぼくとリチャードの行方がわからないからだ」
 察しの良くなったエドワードは、姉からの報告を受けて即座に答えた。
「そう思う、エドワード?」
「思うさ。ベスも同じだろう?」
 エリザベスはうなずいた。そうではないかと思ってはいたものの、エドワードの言葉ではじめて確信が持てた。
 ヘンリーは王都に着いてすぐ、真っ先にロンドン塔に向かったはずだ。そこで義理の弟となる王子たちを――できればその遺体を確認するために。二人の姿が見あたらないとわかってからは、血眼になって捜しているだろう。弟たちの生死がわからないままではエリザベスの王位継承権を回復できず、結婚もできない。
「このままぼくたちが見つからなければ、ヘンリーはどうすると思う?」
 エリザベスは少し考え、弟の顔を見て言った。
「偽装をするのではないかしら」
「どんなふうに?」
「たとえば、ヘンリーがロンドン塔に着いた時、あなたたちはすでにリチャード王に殺されていた――とか」
 エドワードは息を呑んだ。そこまでは考えていなかったようだ。
「でも、証拠がない」
「ええ。だから確実に信じてはもらえないでしょうね。でも、あなたたちが殺されたという噂はかなり広まっていたし、行方不明なのはまぎれもない事実よ。信じようとする人はきっと少なくないわ」
 そして、信じたい人間も決して少なくない。
 エリザベスは自分の言葉に身が震えるのを感じた。
 このままでは、リチャードが甥の命を奪ったという噂が、公然のうちに裏付けされてしまう。あれほどエリザベスが考え、疑い、悩み、ようやく事実ではないとわかってほっとしたのに、イングランドの歴史にはそれが事実として記されてしまう。
「そうなる前にぼくが兵を挙げて、ヘンリーの前に姿を現せばいい」
 エドワードは力強く言い、エリザベスの手を握った。
「ベスを僭称王の妻にはさせないから、安心して」
「ありがとう、エドワード」
 ラヴェル子爵が逃亡中だということはすでにエドワードにも伝えてある。スタンリー家の邸宅で何度か顔を合わせ、シェリフ・ハットンへの道中で手紙を預かってくれた子爵のことは、エドワードもよく覚えていた。エリザベス以上に希望を持ったようだ。
 エリザベスも使者が来るたびに子爵の消息を尋ねたが、これといった変化は聞かなかった。ヘンリーはまだ子爵の行方をつきとめていない。それは、子爵の身柄が無事であるということではあるが、エリザベスにも子爵の行方がわからないということでもある。子爵がヨーク家に尽くしてくれることは確信しているが、ロンドンからもノッティンガムからも遠く離れたこの地まで、一度は廃位された少年王のために来てくれるだろうか。

 弟のエドワードが王位を宣言してから、エリザベスには夜ごとに欠かさないことがあった。
 下の妹たちが眠りについたのを確かめると、セシリーに先に休むように言い、別の部屋に向かう。寝室から遠くないその部屋には、ロンドンから運ばれてきた姉妹の荷物が置いてある。
 エリザベスは自分で燭台を掲げ、一人でその部屋に入った。いくつもある衣装箱の一つを開き、中からさらに小さな木箱を取り出すと、床に置いてその蓋を開けた。
 リチャードが託してくれた、弟たちから母への手紙である。
 これを預かった日のことはよく覚えている。エリザベスはリチャードを信頼しておらず、またリチャードに信頼されてもいなかった。弟たちには会わせてもらえたものの、それからどうなるのかはわからなかった。だからエリザベスは、自分の潔白を必死で訴えた。ヘンリーとはもう何のつながりも持っていないし、弟たちの居場所は母にも誰にも伝えていないと。それを聞くとリチャードは笑った。そして、この手紙を託してくれた。
 エリザベスは手紙の一通を取り出し、自分の胸に押しあてた。この手紙と、これを書いた弟たちを、必ず母のもとに返してみせる。
 戦死者の多さに打ちひしがれた時も、妹たちをなだめるのに疲れてしまった時も、この手紙がエリザベスを支えてくれた。
 ラヴェル子爵の生存がわかってからは、この箱の前で思うことも変化していた。リチャードとの約束を果たせる日は近いかもしれない。子爵がこの城に来てくれたら、まずエドワードに会ってもらい、王位を宣言したことを伝え、そして――
 エリザベスは悲鳴を上げかけた。何かが肩に触れ、そのまま顔にかぶさってきたからだ。口を押さえられていたせいで声は出なかったが、かわりに身をよじらせてそれから逃れようとした。
「お静かに、レディ。ご無礼をお許しください」
 耳の後ろで聞き覚えのある声がした。それを聞いた瞬間、全身を凍りつかせていた恐怖がとけた。
「いいですか、手をはなします」
 エリザベスはうなずいた。自由になった顔を振り向かせて背後を見ると、蝋燭の明かりが予想どおりの姿を照らした。ラヴェル子爵だった。
 彼は身をかがめ、エリザベスの耳もとでささやくように言った。
「驚かせてすみません。身を隠す必要があったもので。この城にはヘンリーの兵士はいないのですか」
「ええ」
「それは良かった。陛下はどちらに?」
「――え?」
「イングランド王エドワード五世陛下はどちらです。この城にいらっしゃるでしょう」
 子爵は騎士らしからぬ大声を出し、エリザベスの鈍さを叱咤した。エリザベスは目を覚まされたように悟った。
「弟のために来てくださったのですね」
「他にどんな用があると言うのです」
 このイングランドで、エリザベスにこんな無礼な口をきく騎士は一人しかいない。まぎれもなくラヴェル子爵である。
 エリザベスは急いで手紙を片づけ、燭台を手に立ち上がった。
 あらためて見ると、子爵は今までに見たこともないような質素な服を来ていた。宮廷に仕える貴族にも見えなければ、反乱を企てている騎士にも見えない。群衆にまぎれてヘンリーの追跡をかわしながらここまで来たに違いない。
「王はこちらです。ご案内しますわ」
 エリザベスが部屋の外へ促すと、子爵は黙って後をついてきた。
 弟たちの寝室には明かりがついていた。一度は眠りについたはずだが、気配を感じとって起き出したのだろうか。兄に起こされたのであろう下の弟のリチャードと、ここしばらく同じ部屋で眠っている従弟のジョンもいた。その部屋で、エドワードは立ち上がって子爵が来るのを待っていた。
「陛下」
「ここだ、ラヴェル子爵」
 エドワードに呼ばれると、子爵は歩み出て少年王の前に膝をついた。
「来てくれるのを待っていた」
 その言葉どおり、エドワードは少しも驚いていなかった。当然のように子爵に手を取らせ、その忠誠を受け入れた。寝間着姿で、そばには弟と従弟しか従えていないというのに、プリンス・オブ・ウェールズとしてかしずかれていた時よりも堂々としていた。
 子爵はひざまずいたままエリザベスに尋ねた。
「ウォリック伯エドワードさまがロンドンに連れ去られたというのは本当ですか」
「ええ」
「残念です、ご一緒にお連れしたかったのですが。お二人のことは必ず無事にお連れしましょう」
「連れていく? ここに兵を集めるのではないのですか」
 エリザベスは思わず高い声を出した。
 子爵を中心にヨーク家の味方を密かに集め、このシェリフ・ハットンで正統の王の旗を掲げるのだと思っていた。ヘンリーの軍が弟のことも子爵のことも捜しまわっているというのに、そんな中へ弟たちを連れ出すなどとは考えもしなかった。
 子爵は気の毒そうに首を振った。
「レディ・エリザベス、味方の数が足りません。ボズワースでリチャードのために戦った者の多くは殺されてしまいました」
「聞いています。でも、生き残った人もいるでしょう。彼らを少しずつ呼び寄せて、ここをヨークの砦にすることはできないのですか」
「時間がないのです。人を動かせば必ずヘンリーの目を引きます。じゅうぶんな軍勢にならないうちに、お二人がここにいることを知られてしまうかもしれません」
「味方はどのくらいいる?」
 エドワードが子爵に訊いた。
「コルチェスターにいるスタフォード兄弟はすでにヨークのために戦う意志を固めています。陛下のお従兄のリンカン伯も脱出する機会さえあれば我らと手を組んでくださるでしょう。他にもあてにできる騎士はおりますが、彼らを一点に集めるには時間がかかり過ぎます。挙兵の前にヘンリーに見つけ出されてしまいます」
「ヘンリーはやはり僕たちを捜しているのか」
「間違いないでしょう。すでに、陛下がここにいらっしゃることを感づいているのかもしれません。しかしレディ・エリザベスがいらっしゃる城に兵を送りこむこともできず、二の足を踏んでいるのではないでしょうか」
 エリザベスは弟たちに飛びつきそうになった。今はエリザベスが口実をつけて使者を追い払っているが、これがいつまで通用するかはわからない。事態がいつまでも動かなければ、ヘンリーも次の手段に出るだろう。エリザベスを連れ出すという名目で、弟たちを捜し当てられてしまう。
「兵を挙げるよりも、お二人を安全な場所に移すのが先です。ヘンリーの追跡が及ばない場所にお連れして、それから味方を集めましょう。よろしいですね」
 子爵は振り返り、エドワードではなくエリザベスに訊いた。正統の王と認めてはいてもエドワードはまだ子どもであり、子爵が決断を求めるのは姉のエリザベスのほうなのだ。
「僕たち、またどこかに行くの?」
 エリザベスが答えられずにいるうちに、下の弟があどけない声を出した。不満そうではあるが、どこかあきらめたような顔をしている。王位の行方次第であちらこちらに連れまわされることを理解しているのだ。
 エリザベスはそのリチャードを見て、エドワードを見た。
 行かせたくなかった。一年以上ものあいだ引き離され、生死もわからず、やっと会えてそばにいられるようになった弟たち。このまま一緒にロンドンに帰り、母に会わせてやりたかった。
「行かなければならないのなら、エリザベス、一緒に来て」
 エドワードの静かな声に、エリザベスも子爵もはっとした。子爵は、少年王の姉まで保護することは考えていなかったのだろう。明らかに戸惑っていたが、真っ向から反対することもしなかった。
 エリザベスはエドワードを見た。
 行かせなければならないのなら、一緒に行きたい。母のかわりにそばにいて、弟が再び王になるのを見届けたい。
「いいえ、エドワード」
 エリザベスは首を振った。
「わたしはロンドンに戻るわ」
「ロンドンに」
「ヘンリーは、あなたたちがこのシェリフ・ハットンにいたのではないかと疑っている。わたしが行ってそれを否定してみせるわ」
 そして、王妃になってヘンリーを安心させ、弟たちの行方から彼の気をそらしてやる。そのあいだに弟たちが身を隠し、無事に逃げられるように。
「だめだ。ベスにそんな犠牲は払わせない」
 エドワードは姉の言葉からそれ以上を感じとったようだった。エリザベスの前に駆け寄り、姉の肩をつかんだ。
「犠牲ではないわ、エドワード。ほんのひととき、王妃の席に座らせてもらうだけよ」
「ベスが一瞬でも僭称王の妻と呼ばれるなんて耐えられない」
「それなら、早く王になって。王位を取り戻して、わたしをヘンリーから救い出して」
 エドワードがエリザベスを見つめる。弟の大きな瞳に自分の顔が映っているのを見ると、エリザベスは口にしたばかりの言葉を取り消したくなった。
 王位になどつかなくてもいい。姉を救い出そうなどと考えなくてもいい。このまま逃げて、隠れて、どこか安全な場所で生き延びてほしい。弟たちが無事でいてくれるなら、二度と会えなくても、ヨーク家に王位が戻らなくても構わない。
 その言葉はほとんど喉までこみ上げたが、エリザベスは寸前で呑み込んだ。弟から目をそらし、かわりに両腕で彼を抱きしめた。
「聖域のエドワード。世界のどこにいても、神さまがあなたをお守りくださるわ」
 エドワードの腕がエリザベスを抱き返し、そして離れた。
「急いでお支度を。明るくなる前に去らなければ」
 姉弟の腕が離れたのを見ると、子爵が短い言葉で促した。エリザベスもうなずいた。
「持ち物は置いていきなさい。服を選んであげるから、急いで着がえて」
 体を動かしはじめると同時に、頭の中も流れるように動き出した。弟たちにいちばん目立たない服を着せ、城から出ていかせる。人目につかない出入り口はラヴェル子爵が知っているだろう。城のまわりにヘンリーの手の者はいないはずだが、用心に越したことはない。妹たちを起こす暇がないことが心残りだが、夜が明けたらエリザベスが話してやろう。そして、二人がここにいたことを誰にも話してはならないと、堅く言い含めなければならない。
 十月半ば、イングランド北部の地は夜になるとかなり冷える。二人には質素ながらあたたかい服装をさせなければ。
「リチャード、こちらへ来て」
 エリザベスは下の弟を呼んだが、彼は姉から服を引ったくってそっぽを向いた。
「一人で着られるよ」
「急がなければならないのよ」
「わかってるよ」
「子爵のおっしゃることをよく聞いてね。わがままを言って困らせたり、言いつけに逆らったりしないでね。お願いよ」
「うるさいな、ベスは。わかってるったら」
 弟はエリザベスに背を向けたまま、宣言どおりてきぱきと着がえていた。どんな顔をしているのかはエリザベスにはわからない。抱きしめてキスしてやりたかったが、それを阻むように子爵が声を上げた。
「急いでください。レディ、お二人の靴は?」
 エリザベスははっとした。弟たちは寝台から出てきたままの裸足だった。急いで靴を探すが、二人が使っている靴はどれも高価で、服に比べて明らかに目立ってしまう。
「使用人の靴を借りましょう。できるだけ丈夫で足に合うものを。長い距離を歩きますから」
「探してきます」
 エリザベスは部屋を出ようとして、扉の近くにいたもう一人の少年に気がついた。ジョンはエリザベスと子爵が入ってきてから、一言も口をきかずに姉弟を見守っていたのだった。
「ぼくも」
 そのジョンが口を開き、エドワードに歩み寄った。
「ぼくも行きます。連れていってください、陛下」
 エドワードが支度の手を止め、ジョンの顔を見た。同い年の従兄弟は黙ったまま挑むように見つめあった。エドワードは射止められたようにしばらく動かなかったが、やがて自分からジョンに近づき、手を差し出した。
「そうだ、ジョン。きみも一緒に行こう。ヨークの王位を一緒に取り戻そう」
「だめよ」
 エリザベスは反射的に叫んだ。この時までまったく考えていなかったジョンのことに気づき、同時に彼をどうするべきなのかすばやく考えた。
「あなたが姿を消したことが知られれば、ヘンリーは不審に思うわ。エドワードたちと一緒に逃げたのだと気づかれてしまうかもしれない」
 そうなったら、ヘンリーは何にかえても弟たちを捜し出そうとするだろう。それだけは避けなければならない。
 シェリフ・ハットンにははじめから弟たちはいなかった、戦の前の後もこの城は何も変わっていないと、ヘンリーに信じさせなければならない。
「レディ・エリザベスのおっしゃるとおりです」
 ラヴェル子爵がエリザベスに加勢した。
「ヘンリーも、王位継承権のないジョンさまのことは拘束しようとしないはずです。表向き恭順を示していればロンドンにいたほうが安全でしょう」
 ジョンは表情を変えず、ただ黙ってうつむいた。
 自分がどれほど酷なことを言っているか、エリザベスはよくわかっていた。敗戦の知らせが届いて以来、ジョンは一度も自分の感情を表に出さなかった。そのジョンがはじめて自分から声を上げ、エドワードについて行きたいと言ったのだ。ヨークの王位を取り戻すために一緒に戦いたいと。
 しかし、エリザベスはそれを阻んだ。この少年から父の無念を晴らす機会を奪い、かわりにその父を死なせた男に従うことを強いたのだ。
「わたしとロンドンに来てちょうだい、ジョン。弟たちのことは何も知らないと一緒に証言して」
 ジョンはようやく顔を上げたが、エリザベスではなくエドワードを見た。少年王がうなずくのを見ると、ジョンは再びうつむいた。それきり口を開かなかった。

 弟たちと子爵を見送ったあとも、エリザベスは一人で迅速に働いた。二人がこの城にいたという証拠を消し去るために。
 夜が明けたら真っ先に城の管理人と話し、弟たちのことを知る全員に口止めしなければならない。妹たちと従妹にはエリザベスがじかに話をしよう。頭を働かせて城のあらゆる場所を思い浮かべ、弟たちが残した痕跡を一つ残らず拭っていった。二人の使っていた部屋は整理し、持ち物は別室に運んだ。妹や従弟の物だと偽れるものはそのように計らい、あとは使用人たちに処分させるように目立たない場所に隠した。
 もう一つ、消しておかなければならないものがある。
 エリザベスはきびすを返し、子爵と出会った部屋に戻った。
 弟たちの手紙は、片づけた時のまま箱の中に眠っていた。エリザベスは燭台を床に置き、両手でその木箱を持ち上げた。夜明けにはまだ間があり、蝋燭が照らさない部分には闇が広がっている。弟たちと別れた時に気がついたが、今日は身を隠すのにふさわしい、月のない夜だった。
 暖炉の前に木箱を置くと、元の位置に戻って燭台を手にとった。衣装箱の一つを適当に開け、中から燃えやすそうな古布を一枚取り出し、再び暖炉まで歩いていった。
 しばらく使っていなかった暖炉はよく掃除され、灰は残っていない。エリザベスはそこに古布を置くと、蝋燭を傾けて火をつけた。火は少しずつ大きくなり、エリザベスの姿を暴き出そうとでもするように、暖炉のまわりを照らした。
 エリザベスは燭台を置き、かたわらにあった木箱を開けた。何も見ず、何も考えないように努めながら、その中の一通を取り出した。古布一枚を燃やす火はすぐに消えてしまう。それを留めようとするように、エリザベスは手紙を火の中に投げ入れた。
 炎が新たな糧を得て、喜ぶように音を立てた。
 エリザベスは別の一通を取り出し、また暖炉にくべた。次の一通も、その次の一通も、同じような速さで手に取り、すぐに火の中に落とした。木箱が空になるまで、決して手を休めなかった。
 最後の一通が火に呑まれるのを見ると、エリザベスは空いた両手で自分の膝を抱いた。暖炉の火は今まででいちばん大きく、部屋の中は真昼のように明るくなっていた。エリザベスはその明かりの前で一人で座りこんでいた。燃え上がった火がすべての手紙を灰に変え、再び小さくなって消えていくのを、最後まで黙って見つめていた。


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