テューダーの薔薇 [ 7−1 ]
テューダーの薔薇

第七章 王妃 1
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 十二夜の祝宴から半月近くが過ぎ、エリザベスは久しぶりにリチャードに呼び出された。顔をあわせるのはあの舞踏会以来はじめてだった。
 エリザベスが入っていくと、リチャードはいつものように執務机に向かっていた。うつむいていたので眠っているのかと思ったが、気配を察したのかすぐに顔を上げた。
「お邪魔してよろしかったのですか、陛下」
「ああ。ありがとう」
「王妃さまのお加減は? 少しは良くなられたのですか」
 クリスマスが終わってからアンがひどく体調を崩したので、エリザベスも心配していたのだ。見舞っても迷惑になると思い遠慮していたが、人づてに容態を聞くだけではかえって不安が募るだけだった。
「だいぶ持ち直した。心配をかけてすまない」
 エリザベスはすすめられた椅子に近づきながら、非礼にあたるのも構わずリチャードの顔を見つめた。明らかに、前にも増してやつれて老けこんでいる。
 アンはクリスマスからずっと病床に臥し、昼となく夜となく咳の発作に苦しんでいたという。一時は司祭がそばに呼ばれたことさえあったと聞いている。
 当然そのあいだにも、ヘンリー・テューダーと支持者たちは侵攻の足を止めてくれない。
「大丈夫ですか」
「当面の心配はなくなったと医師は言っている」
 質問の意味がうまく伝わっていない。
 エリザベスは椅子にかけながら、リチャードの目を見て訊きなおした。
「王妃さまのことも心配ですけれど、陛下は大丈夫ですか?」
 リチャードが顔を上げた。やっと理解したらしく、エリザベスを見て少し笑った。
「ありがとう。義姉上から手紙は来たか?」
 人の心配を寄せつけず、何事もなかったかのように恒例の問いを口にする。
 エリザベスはもどかしく思ったが、言うべきことを思い出して気分ががらりと変わった。正直なところ、リチャードに相談したくて仕方がなかったのだ。
「それが、来ないのです。クリスマスよりも前からずっと!」
 クリスマスに母を招くことが決まった時、リチャードが送った使者とは別に、エリザベスも私的に手紙を書いていた。妹たちとともに招待に応じ、宮廷に来てほしいと。母が一緒のほうが妹たちが喜ぶ、セシリーも婚家の人々を母に紹介したがっている、来てくれれば兄のことや大陸の情勢も詳しく伝えられる、もしかしたら弟たちのことも少し話せるかもしれない――ありとあらゆる弁を用いて母に誘いかけたが、母はついに応じてくれなかった。
 それどころか、エリザベスの手紙に返事さえ書いてくれない。クリスマスの前も、後もだ。妹たちが何か預かっているのではないかと問いただしてみたが、三人はそろって小さな頭を横に振るだけだった。
「こんなことははじめてです。以前は真意がわからないところがあっても、必ず手紙だけは書いてくれていたのに」
 弟たちに会えたことを報告した後、母がいったん落ち着いたように見えたので、エリザベスも安心してしまっていた。母がこのまま今の身分を受け入れて、いつかは宮廷にも来てくれると思っていた。実際はまだ、エリザベスとヘンリーの婚約を解消することさえ許してくれていなかったというのに。
 まさかとは思うが、母はスタンリー卿夫人マーガレットと今も連絡をとっているのだろうか。ヘンリーを味方につけて、弟に再び王冠をかぶらせるために。
 リチャードも座ったまま眉を寄せて考えこんでいる。
「一度、きみに義姉上の様子を見てきてもらったほうがいいかもしれない。手紙さえ来ないというのではきみも心配だろう」
「ええ。そうですわね、王妃さまのご容態がもう少し落ち着かれたら」
 考えてみれば、母に最後に会ってから一年近くにもなる。会いに行く機会は何度かあったが、そのたびに何かの障害が入って行けなくなった。
 エリザベスがこの宮廷にやって来たのは、母に穏やかな暮らしをしてもらうためだったのだ。落ち着いてくれたと思い安心していたが、こうなったからには様子を見に行かなければならない。王妃の病状が悪い時に宮廷を長く空けるのは憚られるが、もう少し経てばその心配もなくなるだろう。
「それから、ドーセット候のことだが」
 リチャードが話を変え、エリザベスは身を堅くした。
「きみの兄上はやはり、ヘンリーとともにフランスに移ったらしい。本人の意思によるのかどうかはわからなかった」
「そうですか。兄は――」
 やはり、ヘンリーのもとで彼の反乱に与するつもりだろうか。
 エリザベスはそう言いかけて、しかし言えなかった。リチャードの前で口にできないことだったからではない。自分の考えがあまりにも恐ろしかったからだ。
 年が変わってすぐ、フランス王シャルル八世は、ヘンリー・テューダーの侵攻を援助する意志を公にした。王冠をめぐって戦が起きることはもう避けられない。そしてその戦で、エリザベスの兄が反乱軍の一員として戦うことになるかもしれないのだ。
「義姉上もご子息のことでは心配なさっているだろう。きみが会いに行って、わかっている限りのことを話してさしあげなさい」
「ええ、陛下」
 エリザベスはぼんやりと答えながら、頭の中では別のことを考えた。
 母は本当に心配しているのだろうか。もしかしたら、兄から手紙が来ていないというのは嘘で、二人は密かに連絡をとりあっているのではないか。母はこのまま兄を通じて、ヘンリーと手を結ぶつもりではないだろうか。
「エリザベス」
 澱んだ空気を裂くような声がして、エリザベスは顔を上げた。
「一人で考えこむのはやめなさい」
「――はい」
 エリザベスは目が覚めたような気がして、素直にそう言った。
 以前にもリチャードに同じことを言われた。一人でなんでも深く考えすぎると。父が亡くなり、自分が母や弟妹たちを支えなければと気負ってきたので、誰かの手を頼るということをすっかり忘れていた。
 けれども、今は違う。今は、手を伸ばせば届くところに、受け止めてくれる別の手がある。
「ありがとうございます、陛下」
 エリザベスは心から言った。リチャードがうなずくのを見ると、心強さがいっそう増した。不安がるよりも今できることをやろうという気になる。
 それが何なのかを考え、やがてエリザベスは立ち上がった。
「王妃さまのお見舞いにあがってもよろしいですか? お加減が悪そうでしたらすぐに下がりますわ」
「行ってやってくれ。アンも喜ぶ」
「母にはこのまま手紙を書き続けます。妹たちのものも添えて。それでも返事が来ないようでしたら、王妃さまが良くなられてから会いに行ってみますわ」
 リチャードはうなずくと、エリザベスから目線をはずして表情を変えた。どれだけ疲れていても、次にするべきことを常に考えているところは変わらない。
 エリザベスもそれ以上は何も言わずに、執務室を後にした。

 王妃の居所に出向くのもクリスマス以来はじめてだった。クリスマスの前の華やいだ空気とは打ってかわって、居所は以前の静けさを取り戻していた。アンの容態がもっとも悪かった時はここも騒然としていたに違いない。もっと早くに来て看病を手伝うべきだっただろうか。
 とにかく、今日はアンの元気な顔を一目見ることができればいい。少しでも話せるようなら、何かアンが喜びそうなことを話してやろう。妹たちも来たがっていたが、急におおぜいで押しかけてはアンの体に障るだろう。次の時に一緒に連れてきてやればいい。
 考えながら歩いていくと、すっかり見慣れた姿が目に入った。アンにいつも付き添っている年配の侍女で、寝室に入ろうとしているところだった。水差しを手に持っている。
「お久しぶりね。王妃さまはいかがですか」
 エリザベスは足を速め、振り向いた侍女に声をかけた。
 侍女は扉の前で立ち止まったが、エリザベスの言葉にすぐに答えず、はじめて見るようにエリザベスを眺めまわした。扉の前で振り返り、まっすぐ正面を見据える立ち姿は、まるでエリザベスの行く手を阻もうとしているかのようだった。
「王妃さまにお会いしにいらしたのですか」
「ええ。ご迷惑かと思いましたが、どうしても心配で」
「お会いにはなれません。このままお引き取りくださいませ」
 エリザベスは一瞬、何かを聞き間違えたのかと思った。断られる可能性を考えなかったわけではないが、侍女の一人に会うなり追い払われるとは思わなかった。相手の声には確かに、追い払うような響きがあった。
「お加減が良くないのですか」
 冷静を保つよう、エリザベスは自分に言い聞かせた。悪く受け取ってはいけない。この侍女は忠義者だ。王妃の身をいたわることを何よりも優先して、エリザベスに礼を尽くす余裕がないのかもしれない。
 しかし侍女は、エリザベスの問いに答えることさえせず、背を向けて中に入ろうとした。
 エリザベスは慌てて前に進み出た。
「待って。質問に答えていないわ。王妃さまはお悪いの?」
「ええ、とても。けれど、もしお加減が良かったとしても、あなたにお入りいただくことはなりません」
「どういうこと?」
「理由はよくご存じのはずです」
「王妃さまがわたしを入れるなとお命じなのですか?」
「いいえ」
 侍女はその短い言葉で、王の姪を自分の一存で追い払おうとしたことを肯定した。まるで自分自身が王妃であるかのような、このうえなく威厳に満ちた態度で。
 エリザベスはわけがわからなかった。王妃に会わせてもらえない理由もわからないが、この侍女にこんな非礼を働かれる理由もわからない。王女の身分を失ってからでも――むしろ失ってからのほうが、宮廷の誰もがエリザベスに気を遣い、かしずいていた。こんなはっきりとした悪意を受けたのは、十九年近く生きてきてはじめてのことだ。
 そうだ、これは悪意というものなのだ。エリザベスの身分ではなく、エリザベスの人格を憎み、傷つけようとするもの。
「説明してください。どのような理由があって、わたしを王妃さまに会わせまいとするのか」
「理由はご存じのはずだと申し上げました」
「わたしは知らないわ。こんな非礼を受けるに足る理由など持ちあわせていません」
「わからないと仰るならけっこうです。どうぞお引き取りください」
「わたしが誰なのか知ったうえでそう言っているの?」
「存じておりますとも。サー・ジョン・グレイの未亡人のお嬢さま」
 エリザベスは声を上げそうになり、寸前でこらえた。
 この侍女は間違っていない。王族の非嫡出子は、本来ならば母方の家名で呼ばれるものだ。エリザベスがプランタジネットを名乗ることができるのは、現王の配慮で許されているからに過ぎない。
 しかし、そんなことをエリザベスに面と向かって言う者はいなかった。非礼だと咎めようかと思ったが、アンが病床に臥しているそばで余計な騒ぎは起こしたくない。
「わかりました。今日は下がります。でも、何の理由があってこのようなことをしたのか、次に来た時には必ず説明していただきます」
 侍女がエリザベスの顔を見た。表情は変わらなかったが、その目に強い感情が走るのをエリザベスははっきりと見た。王女だった時もそうではなかった時も、こんな目を向けられたことは一度もなかった。この世にこれほど強い感情が存在することも、それが自分に向けられていることも信じられない。だが、侍女の目はこのうえなく確かにエリザベスを睨みつけている。そこに宿っている感情が何なのかはエリザベスにはわからなかった。
 侍女はエリザベスからその目を離すと、背を向けて王妃の寝室に入っていった。
 エリザベスの目の前で、扉が音を立てて閉まった。


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