テューダーの薔薇 [ 6−3 ]
テューダーの薔薇

第六章 聖夜にさす影 3
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 クリスマスに向けて宮廷に人が増え始めたころ、エリザベスの従兄リンカン伯ジョン・ド・ラ・ポールは逆にロンドンを去ることになった。シェリフ・ハットンの城を管理し、王の甥と姪の面倒を見るために。
 見送りに来たエリザベスは、従兄から新たな知らせを聞くことになった。
「オックスフォード伯が逃亡して、フランスに向かったらしい」
 オックスフォード伯ジョン・ド・ヴェールはランカスター派の貴族で、大陸のカレーにあるアム城に囚われていた。ランカスター派による救出が試みられているとの情報もあり、ロンドンに移送させるために使者が派遣されたばかりだ。
「オックスフォードが自ら城の隊長を説得して、脱出に協力させたらしい。使者が着く直前のことだったというから忌々しい話だ」
「ヘンリーのところへ向かったのかしら」
「おそらくそうだろう。アム城の隊長や軍も一緒に行動しているかもしれない」
「アム城は今どうなっているの?」
「少数の兵が残って籠城を続けている。オックスフォードが援軍を連れて戻ってきたら厄介だな」
「カレーにいるジョンが心配だわ」
「陛下もそうだろう。場合によっては彼は予定より早く帰国するかもしれない」
 オックスフォード伯は有能な軍人として知られている。その人物がヘンリー・テューダーと合流すれば国王軍にとって手痛い打撃になるだろう。そして、アム城の隊長はエドワード四世の忠臣だったはずだ。エリザベスや母が聖域から出てきてずいぶん経つが、父の臣下の中にはリチャードに従わない者がまだ残っているのだ。ヨーク派が一枚岩ではないことがまたも露呈してしまった。
 エリザベスは寒さを感じ、自分の両腕を抱いて前を見た。ウエストミンスター宮殿は深雪に見舞われ、目の届くあらゆる場所が白で埋めつくされている。サフォーク公爵家の使用人たちがその間を忙しく行き交い、馬車や馬に次々と荷物を積み込んでいる。エリザベスたちから少し離れたところでは、従兄の妻とセシリーが何か言葉を交わしているところだ。
「寒い? それとも怖い?」
「両方よ」
「また話題選びを間違えたかな」
「いいえ。教えてくれてうれしいわ」
 エリザベスは心から言った。リチャードは政治むきの話をあえて姪に隠したりはしないが、すすんで話し聞かせてくれるわけでもない。従兄がすべてを包み隠さずに話してくれるのはありがたかった。
「前とは考えが変わったの。あなたの言ったとおり、耳を塞いでも現実が変わるわけではないのよね」
「勇敢だな。さすがヨークの娘だ」
「自分に関わりのあることだもの」
「では、この話は知っているか? ヘンリーはランカスター家の後継者として、赤薔薇を記章の一つに定めたらしい」
「赤薔薇?」
 聞いたことがなかった。ランカスター家の記章は白鳥であり、ヘンリーの母の家系であるランカスター家の傍流、ボーフォート家の記章は落とし格子だ。
「初耳だろう。おおかた、ヨークの白薔薇を真似た後づけに決まっている」
「何のためにそんなことを?」
「きみとの結婚を演出づけるためさ。赤薔薇と白薔薇の統合、結婚による両家の和解。きみの婚約者はいい趣味をしているな」
 エリザベスは一瞬、背筋が粟立つのを感じた。
 赤薔薇と白薔薇が結ばれ、二つの薔薇が一つになって争いが終わり、平和が訪れる。
 物語の一節のようなこの美しい言葉の裏に、どれだけの打算が、野望が、慢心が隠されているのだろう。
 そして、他でもないエリザベスもまた、その欺瞞の一部なのだ。
「確かに趣味のいい言いまわしね。ヘンリーは王になるよりも、詩人にでもなったほうが良さそうだわ」
 エリザベスはまとわりつく嫌悪感を拭うために、わざと辛辣な言葉を選んだ。
 従兄が喉の奥で笑った。
「どれほど美しい言葉で飾ろうが、反逆は反逆だ。テューダーにプランタジネットの王座は決して継げない。たとえ、きみのような魅力的な王妃を得たとしても」
「そう思う? ほんとうに?」
 エリザベスはすがるように訊いた。自分との婚約がヘンリーに力を与えているとは思いたくない。しかし、エリザベスが王妃になり、エドワード四世の孫が次の王になることを望んで、ヘンリーに付くイングランド貴族はいるのかもしれない。
 リチャードと街に出た時の、市民たちの歓声を思い出す。エドワード四世の娘に誰もが惜しみない敬意と愛情を示していた。ヘンリーはエリザベスを妻に得ることで、あの歓声も同時に手に入れるのだ。
「陛下は、セシリーよりきみを先に嫁がせるべきだったな」
 従兄は問いに答えず、エリザベスの顔を見つめて言った。
 同じことはエリザベスも考えた。ヘンリーの野心の足場になりたくないなら、別の男性と結婚して身を固めてしまうのがいちばんいいのだ。ヘンリーとは結婚しないといくら叫んでも、独り身のままでは周囲の目は変わらない。エリザベスは今も反逆人の婚約者だ。
「わたしを異国の王家に入れたいとお考えなのよ。父がそれを望んでいたから」
「きみの望みでもあるんだろう。異国でイングランドのために働くことが」
「ええ」
「きみが今やるべきことはそれだ。王と王妃によく仕えて、ヨーク家に身も心も捧げていることを世に知らしめる。フランスに逃げた宿なしの偽善者などには興味がありませんとね」
 エリザベスはくすくすと笑った。
「わかっているわ。そのためにもクリスマスの準備に励んでいるところよ」
「そうだった。幸運を祈っているよ」
 従兄は身をかがめ、エリザベスの顔に軽くキスした。
 エリザベスは頬を近づけて言った。
「あなたにも幸運を。シェリフ・ハットンまで無事に着くことを祈っているわ」
「ありがとう。――手紙は必ず届けるよ」
 エリザベスは息を止め、従兄から離れた。
 弟たちへの手紙は数日前に書き終え、従兄の手に託した。二人がシェリフ・ハットンにいることは知られてはならないが、同じ城には従弟妹たちがいるので不自然ではないだろう。
「あの子たちをよろしくね」
「ああ。心配しないで」
 従兄は最後に笑うと、親兄弟と別れを惜しむためにエリザベスに背を向けた。エリザベスはその背中を見つめたまま、しばらく目が離せなかった。これは良いことなのだと自分を慰めても、寂しさは拭いきれない。
 弟たちの消息を知る数少ない人物の一人が、ロンドンから去っていく。



 従兄を見送った翌日、エリザベスはリチャードのところに行って、クリスマスの準備の経過を報告した。リチャードは一つ一つにうなずいていたが、あまり身を入れて聞いていないように見えた。別のことを考えているというよりは、聞く前から相手の話をわかっているような顔だ。
「義姉上にまた使いを送った」
 エリザベスの話を聞き終えると、リチャードはそう言った。
 エリザベスの母は、クリスマスの祝宴への招待に対して、まだ返事を寄越していなかった。エリザベスも私的な手紙で母を促したが、返事はまだ来ていない。
「今度こそ応じてもらえるといいのだが」
「母がこれ以上、返事を遅らせるようでしたら、わたしかセシリーが尋ねに行って参りますわ」
「セシリーは義姉上のもとに一度は帰ったのではなかったか」
 そのとおりだった。セシリーは結婚式を挙げて婚家の領地に向かう途中、母の住まいに立ち寄ったのだ。今日ここにセシリーも連れてきて、リチャードの前で母の話をさせれば良かった。
 エリザベスは仕方なく、妹から聞いたことを覚えている限り話した。
「セシリーの話では、特に変わったことはなかったようです。誰かと連絡を取りあっているような様子もないと」
「それはもう心配していないからいい」
「でも、ヘンリー・テューダーがフランスに逃げる前のことですわ」
「ドーセット候のことも何も聞いていなかったか」
 エリザベスはうなずいた。妹の両肩をつかんで、トマスからの手紙らしきものを見なかったか問いつめたが、セシリーは見ていないと思うと言った。もともとセシリーは細かいことに目が届くほうではないし、自分が結婚したということで頭がいっぱいだったようだ。
 それに、ヘンリーが逃亡したという知らせが広まったのは、セシリーの訪問よりずっと後のことだ。母がその知らせを聞いて何を思ったのかは、エリザベスも推しはかることしかできない。
 なんとしてでもクリスマスに母と会い、さまざまなことをはっきりさせておきたい。スタンリー卿夫人との連絡は途絶えたのか、兄のトマスはいつ帰ってくるのか、エリザベスが異国に嫁ぐことに賛成してくれるのか。
「どちらにしても、明日になれば使者が帰ってくる。それを待とう」
「はい、陛下」
 リチャードはこのごろ少しやつれたように見える。以前からあまり笑わないたちではあったが、ときどきひどく疲れたような顔をしている。これだけ懸案が多ければあたりまえだ。
 エリザベスは急に思いつき、颯爽と立ち上がった。
「明日と言えば、王妃さまのドレスの生地を一緒に選びますの。十二夜の祝宴で着ていただくために。陛下も見にいらっしゃいません?」
「遠慮しておく」
 予想どおりの返事を得て、エリザベスは思わず満面の笑みになった。
「冗談ですわ。祝宴の日にご覧になって、びっくりしていただきたいもの。わたしが腕によりをかけて王妃さまをもっと美しくしてさしあげますから、楽しみになさっていてくださいな」
 リチャードがエリザベスの意図に気づき、かすかに笑った。笑うと顔に刻まれた疲れがかえって目立ったが、少なくとも重苦しい空気は消えた。
「ありがとう。アンはこのごろ楽しそうにしていることが多い。きみのおかげだ」
 エリザベスは立ったまま向きを変え、リチャードと向かいあった。
「王妃さまのご病気は、かなりお悪いのですか?」
 立ち入ったことだろうかと思いつつ、つい気になって口にしてしまった。
 アンはリチャードが言うように明るくふるまっているが、一人息子を亡くす前に比べると目に見えて弱っている。床に臥している姿はしばらく見ていないが、時おりひどく咳き込んで話を続けられないことがある。エリザベスは介抱しようとするが、古参の女官が心配ないと言って王妃に寄り添い、エリザベスに退出を促すのだった。
「良くはない。医師は季節のせいだろうと言っている」
 はぐらかすかと思ったが、リチャードは率直に答えてくれた。
「暖かい時季が来ればきっと良くなられますわ」
「そうだといいのだが」
「わたしにできることがあれば教えてくださいな。なんでもいたします」
「ありがとう」
 リチャードはエリザベスを見てほほえんだ。今日はこれで二度目だ。
 子どものころのエリザベスは、父の笑顔を見るのが好きだった。美しい双眸が誇りと愛情でさらに輝き、さすがわたしの王女だ、と言ってもらえるのが嬉しかった。そのためならどんなことでもできた。
 今は、この人のこの微笑を見るためになんでもできる。
「その代わりと言ってはなんですけれど、わたしのお願いも聞いてくださる?」
「叶えられることなら。言ってみなさい」
「クリスマスの舞踏会で、わたしをダンスに誘ってくださいな」
 リチャードが怪訝な顔になり、従僕たちが笑いかけて慌ててやめた。エリザベスはにっこりほほえんだ。
「王宮の舞踏会ですもの。陛下が踊らなければ始まりませんわ」
「もう踊り方を忘れた」
「あら、それなら練習していただかなければいけませんわ」
「そんな暇はないのだが」
「わたしと踊りたがる殿方はテムズ川の河口まで列が続くほど大勢いますのよ。そこを陛下だけ特別に優先してさしあげるのですから」
 エリザベスは笑みを絶やさずにリチャードの返事を待った。
 今度も断られない自信はあった。王宮での祝宴なのだからまずは国王夫妻が踊るべきだが、アンは体が弱っているので舞踏には参加できない。かといって下手に別の女性をあてがっては、妙な野心や憶測に巻き込まれかねない。エリザベスならばその点で心配がいらない。
 リチャードは姪の顔を見つめ、半ば呆れたように言った。
「きみはときどき賢すぎる」
「お褒めにあずかって光栄ですわ」
 エリザベスはぬけぬけと切り返すと、身を翻して部屋の入り口に向かった。
 衛兵が開いた扉を抜けたところで、やってきた人物とぶつかりそうになった。慌てて立ち止まり、一歩下がって顔を上げると、驚いた顔のラヴェル子爵と目があった。
「レディ・エリザベス、失礼いたしました。お怪我はございませんか」
「いいえ。わたしこそ不注意でしたわ。申し訳ございません」
「こちらにいらしたとは思いもしませんでした」
 子爵は扉ごしに部屋の中を見た。エリザベスからの角度では見えないが、子爵が見た先にはリチャードがいるはずである。
「ご報告があって寄らせていただきましたの。そうしたら陛下が、少しの時間ならいいと入れてくださったので」
「そうでしたか。ご報告というと、クリスマスの準備のことで?」
「ええ」
「順調なようで何よりです」
 子爵は人なつこい笑顔をエリザベスに向けた。
 エリザベスは自分がほっとしていることに気がついた。祝宴の準備を手伝うと申し出た時、子爵だけがいい顔をしなかったことが気にかかっていたのだ。
「子爵は、ロンドンから離れていらっしゃったのですか」
 エリザベスは不躾にならない程度に子爵の姿を眺めた。最初に会った時と同じような旅装である。
 いったい、この人は宮廷にいるのか、いないのか、その時々で確かめないとわからないのだ。
「ええ、陛下のご命令で」
「ご命令というと――」
「ご婦人にお聞かせするような話ではございませんので」
 政治むき、というより軍事むきの用だろう。ヘンリー・テューダーのブルターニュ脱出に力を得たのか、イングランド各地で反乱の兆しが芽生えていることはエリザベスも知っていた。アム城の寝返りはその一つに過ぎないというわけだ。
「クリスマスと言えば、母君からのお返事はおありですか?」
 子爵があからさまに話を変えた。エリザベスは少しばかり不満に思ったが、騎士としてはこれがあたりまえの言動だ。従兄のようになんでも話してくれる者のほうが稀なのである。
「まだですわ。いい返事をくれるといいのですけれど」
「そうですね。わたしも一緒に祈りましょう」
「ありがとう存じます」
 エリザベスは子爵と笑いあい、膝を折ってその場から離れた。
 歩きはじめてすぐ、ふと振り返った。先ほどまでエリザベスがいた王の執務室に、ラヴェル子爵が入っていくのが見えた。
 気のせいだったのだろうか。会話を終えたあと、後ろ姿を見られているような気がしたのは。


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