濫読令嬢の婿えらび
5.第二の求婚者
「それで、お申し出を受けることにしたんですの?」
「ええ」
鏡台の前で自分の姿を見つめながら、アマリエは背後にいるモーズリー夫人にうなずいた。
「ミスタ・マクローリンは、キースの大事な仕事相手だもの」
ヘイゼルダイン貸本屋の談話会も四日目である。アマリエは今日も出席するために、モーズリー夫人に髪を結ってもらっている。
ローマン・ヴィンセントに見初められ、逃げられた最初の二日と違って、三日目はこれといって変わったことがなかった。キースと一緒に店を後にしようとしていたら、マクローリン出版の大柄な社長が近づいてきて言ったのだ。自分の息子をアマリエに引きあわせたい、と。
「マクローリン出版のご子息たちでしたら、以前お父さまと一緒にここにいらしたことがありましたね」
「あれは長男と次男。その下に大学に入っている末の息子さんがいて、わたしに紹介したいのはその方ですって」
「学生さんなのですか」
「十九歳だそうよ。読書がお好きだからわたしとも気があうだろうって、ミスタ・マクローリンはおっしゃるんだけど」
初心な末息子に女のあしらい方のひとつも教えてやってほしいと、マクローリンは例の大声で笑っていた。その時のことを思い出し、アマリエは結われかけの頭を抱えそうになる。
マクローリンの長男も次男も、父親からその生きた年数だけを差し引いたような人物だった。体が大きく、声も大きく、笑えない冗談を言っては自分たちが率先して笑う。出版の仕事をしているだけあって教養は深く、本のことにも詳しかったが、アマリエをそうした話題の相手とは考えていないようだった。末弟も彼らにそっくりだとしたら話がはずむとは思えない。
考えるほど気が進まない申し出だったが、受けるだけ受けてみることにしたのは、マクローリン出版がキースの主要な取引先のひとつだからだ。
「キースには言わないでね、モーズリーさん」
「何をですか?」
「わたしがキースのためにミスタ・マクローリンの息子さんと会おうとしていること。そんなこと言ったら、キースは会うのをやめさせようとするだろうから」
「確かにそうですね。――さあ、これでどうです?」
モーズリー夫人は手を離し、鏡の中で一歩さがった。左右で編んだアマリエの髪は耳の上でくるりと巻いてある。
モーズリー夫人は服や髪型の趣味がいい。貸本屋にもある服飾雑誌を愛読しており、流行については年ごろのアマリエよりも詳しいくらいだ。
「素敵だわ。ありがとう、モーズリーさん」
「ますますお母さまに似ていらっしゃいましたね」
モーズリー夫人が鏡の中のアマリエを見つめ、愛おしそうに言った。
アマリエが覚えていない母のことをモーズリー夫人が知っているのは、彼女がもとはアマリエの生家の家政婦だったからだ。キースはモーズリー夫人の話と、彼女から借りた母の絵姿を手がかりに、何年もかけてアマリエを見つけ出したのだ。
アマリエは鏡に向かって微笑むと、立ち上がった。
「お待たせ、キース」
アマリエは階段の手すりから身を乗り出し、一階の玄関前にいるキースに呼びかけた。
クリーム色のドレスの裾を持ち上げて駆け下りるアマリエを、キースは一言も発さずに待っている。アマリエが何を着ようが、どんな髪型をしようが、キースはあまり関心がないようだ。ときどきそれが物足りなく思うこともあるが、見てくれが理由で苦い思いをしたばかりの今はかえってありがたい。
コートを着たキースと並んで、ふたりで玄関の石段を降りる。スクエアと呼ばれる、三面を住宅に囲まれた広場には、キースが呼んでくれた箱馬車が待っている。成功した実業家にしてはキースの暮らしは質素なもので、住居は二階建てのタウンハウスのみ、自分の馬車も持っていない。アマリエにはことあるたびに足りないものはないか、使用人を増やそうかと訊いてくれるのだが、自分は家と店を往復するだけの生活を続けている。
「毎日迎えに来なくても大丈夫よ、キース」
馬車が走り始めると、アマリエは前に座るキースに言った。いつものようにアマリエが進行方向の席、キースがその向かいである。
「歩いてでも行ける距離だし、本を借りに行く時はいつもひとりなんだから」
「今はそういうわけにはいかないだろう」
談話会の期間中も、キースは朝早くから仕事場である貸本屋に出かけ、午後になるとアマリエを迎えに屋敷に戻ってくる。アマリエが帰る時も馬車を調達して送ってくれるが、その後もひとりで店に引き返すことが多い。
それでなくてもキースは多忙である。貸本屋での業務に加え、取引先や上客を増やすための社交。地方にある支店を見に行くために何日か家を空けることもある。働きすぎではないかとときどき心配になる。
「奥さんをもらわないの、キース?」
アマリエが言うと、キースは怪訝な顔をした。
「なぜそこに話が飛ぶ」
「お仕事で忙しい男の人には、奥さんの支えが必要らしいから」
「きみにしてはありきたりな……自分が結婚したらそういう妻になるつもりなのか?」
「――さあ、どうかしら」
わかったような口をきいてみたが、アマリエもそういった夫婦を実際に知っているわけではない。本や人の話からそういうものだと理解しているだけだ。
家庭の守り手として夫を支え、子どもを産み育てるのが女性の務め。女王陛下でさえもその義務からは逃れられない。
これが当世の理想とされる女性像だが、アマリエは自分がそうなれるとはあまり思えない。
「今はキースの話でしょう。キースは結婚しないの?」
「する必要があると思ったらする」
「わたしがお嫁に行くのを待ってくれているんだったら気をつかわないで。わたし、キースの奥さんだったら仲良くできると思うわ」
「きみのほうこそ気にしなくていい。自分のことだけ考えていてくれ」
もったいないな、とアマリエは思う。
キースは優秀な、そして成功している経営者だ。口数は少ないが根が真面目で優しいし、近くで見ていると顔だちも悪くない。妻になって彼を支えたいと思う女性は少なくないはずだ。事業のために築いた社交界のつてをたどれば、それこそマクローリンにでも頼めば、すぐに何人もの候補を紹介してくれそうである。
しかし、キースはそういったことに関心を示さない。貸本屋の事業と、恩人の娘の将来のことで頭がいっぱいのようである。
そういえば最近もうひとり、結婚に興味のない男性と会って話をした。
アマリエは少し考え、思い出した瞬間に考えたことを後悔した。オクリーヴ伯爵エドワード・アシュバートンだ。
同じ二十代後半の独身男性でも、キースとあの伯爵はまるで違う。キースは仕事やアマリエを優先して自分のことを二の次にしているが、伯爵は自分が遊び歩きたいがために独り身を貫いているのだ。そのためなら会ったばかりのアマリエの評判を犠牲にしてもいいと思っている。
「大丈夫か、アマリエ」
よみがえる怒りが顔に出ていたのか、キースがアマリエを見て言った。
「気が進まないなら今日は欠席してもいいが」
「え? ああ、違うの。ミスタ・マクローリンの息子さんのことを考えていたわけじゃないから」
そちらはそちらで気が重いが、かといって逃げ出すつもりはまったくない。キースのためだと思えばこのくらいは耐えられる。
キースは、サー・ジョサイアの娘をふさわしい相手に嫁がせて安心したいのだ。アマリエが結婚すれば父から借りた財産も返せるし、過去を清算したような気になれるのかもしれない。そうやって落ち着いたら仕事にも集中でき、やがて自分の結婚のことを考える余裕もできるだろう。
キースのためにも、早く良い婿を見つけ出したいと、アマリエは思う。
「ミスタ・ダンフォード! 来てくれて良かった、てっきりすっぽかされるかと思いましたよ」
アマリエとキースが貸本屋に入るなり、マクローリンの大きな体がどしどしと近づいてきた。
「遅れてしまって申し訳ありません、ミスタ・マクローリン」
「いやいや。美しいご婦人ならこちらも待つ甲斐がある」
マクローリンはひとりでどっと笑った。アマリエのことを話題にしているのに、アマリエの目を見ようとしない。
談話会に訪れていた客たちの視線がそこら中から集まってくる。経営者であるキースがやって来たこと、マクローリンの声が大きいことも一因だろうが、彼らの多くはアマリエに目を向けている。財産つきのアマリエ・ヘイゼルダインが、今度は誰を婿候補に考えているのか。
こんな状態で若い男性を紹介されたら、完全に見せ物である。
「これでも若いころは、女房の姿が見えるのを一途に待っていたものですよ。今ではこちらが姿を見られる前に隠れるようになってしまいましたが」
「ミスタ・マクローリン、ご子息はどちらに」
「おお、そうでした。さっきまで近くにいたんですが――ああ、あんなところに。おい、クレイグ!」
マクローリンの太い声が店内に響きわたり、書架の前にいたひとりの青年が振り向いた。手にしていた本を戻し、アマリエたちがいる出入り口の側へ歩いてくる。
「おまえ、何をやっとるんだ。ここへ呼んだ理由を覚えとらんのか」
「貸本屋に来て本を読んで何が悪いんです」
「今日はここのお嬢さんに挨拶させると言っただろうが。――すみませんね、ミスタ・ダンフォード、アマリエお嬢さん。これが末の息子のクレイグです」
「はじめまして」
ぶっきらぼうに言い捨てた青年を見上げて、アマリエは自分の目を疑った。
マクローリン出版の三男は、父親や兄たちとは似ても似つかない、ほっそりとした、静かな物腰の青年だった。帽子の下に見える茶色の髪は学生らしく長めだが、清潔に切りそろえられている。黒っぽい目は切れ長で、唇はまっすぐ引き結ばれており、美男子というわけではないが、裏表のなさそうな毅然とした面構えだ。
「ここの経営者のミスタ・ダンフォード。そしてこちらが、ミス・ヘイゼルダインだ。きれいなお嬢さんだろう」
父親に促されてクレイグはアマリエを見たが、大して興味もなさそうにすぐ目をそらした。
「女性の顔のことはよくわかりません」
「おまえ、それはないだろう。いや失礼しました、アマリエお嬢さん。こいつはこのとおり、気の利かない男でして。お気を悪くしてなければいいんですが」
気を悪くするどころか、アマリエは予想とまったく違うクレイグの姿から目が離せなかった。つまらない冗談を言わないところも、アマリエを見て美辞麗句を連ねないところも、実直な性格のあらわれに見える。何より、父親に呼びつけられるまで書架の本を熱心に見ていたことに気を惹かれた。読書好きだというのは本当なのだろう。
視線に気がついたのか、クレイグが再びアマリエを見て、今度はもっと長く目をあわせる。
「――というわけでして、アマリエお嬢さん。面白みのない息子ですが、この談話会の間だけでもお相手をしてくださるとありがたいのだが」
「喜んで、ミスタ・マクローリン」
アマリエが即答すると、クレイグの目が意外そうに開いた。
「こいつはこんなですが、本だけは子どものころから読ませてますから、話の種には不自由しないと思いますよ。なに、交際だの結婚だのと真面目に考えてくださらなくてもいい。倅はまだ学生ですからな」
いちいち話の長いマクローリンがようやく言葉を切らせ、キースと一緒に店の奥へ移動していく。キースは一度だけ振り返ってアマリエを見たが、口は開かなかった。
「――うるさいのが行った」
隣でクレイグがぽつりとつぶやき、アマリエは思わず吹き出した。
「ごめんなさい。わたしに会うために気が進まないのに出てきてくださったのね」
クレイグは形のいい眉を小さく動かし、あらためてアマリエを見た。
「親父がなんて言ったのかは知らないけど、おれはきみにものすごく会いたかったわけじゃない」
「ええ、わたしもそうよ」
「――なんだって」
「でも、せっかく貸本屋に来たんだから、少し本を見ていかない? さっきは何を読んでいたの?」
くだけた言葉を使ったのは、クレイグが学生で未成年だからではない。彼の態度や言いぐさが率直だったので、アマリエもそれに倣っただけだ。このほうがお互い時間を無駄にせず話を運ぶことができる。
表情を少し動かすと、クレイグは少年のように幼く見えた。今年で十九歳ならアマリエと同年代だ。縁談の相手というより友人のように接することができるかもしれない。
「いいのか、それで。せっかく社交場に来ているんだから、もっと他の人と話したらどうだ」
「貸本屋に来ているんだから本を見たっていいでしょう」
「本が好きなのか」
「ええ、大好き」
アマリエがにっこり微笑むと、クレイグの表情が今まででいちばん和らいだ。笑い返してくれることはなかったが、アマリエは気にしない。無口で無表情な男性にはキースで慣れている。
「だったら、一緒に見に行ってもいいけど」
おずおずとクレイグが切り出し、アマリエは笑顔のままうなずいた。
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