ドロッセルマイヤー [ 2−2 ]
ドロッセルマイヤー2


[ BACK / TOP / NEXT ]


 今年のクリスマスディナーにはいつも以上に手をかけた。りんごと干しぶとうを詰めた鵞鳥、バターで焼いた鯉、アーモンドをたっぷり入れたマルチパン、色あざやかなたくさんの温野菜。
 食事が終わってお菓子の時間になると、わたしは小皿を手に持っておじさまの隣に座った。
「食べてみて。わたしがつくったの」
 おじさまは小皿を受け取ると、そこに載っているきらきらした果物を眺めた。
「洋梨といちじく?」
「そう。日持ちするようにお砂糖で煮たの」
「ありがとう。いただくよ」
 おじさまが果物にフォークを入れるのを、わたしは祈るような気持ちで見守った。
「おいしい」
 わたしは思わず笑顔になり、自分のお皿をつついた。
「本当はパン生地でくるんでお菓子にするつもりだったの。でも、思ったよりおいしくできたから、そのまま食べてもらおうと思って」
「すごくおいしいよ。きみはどんどん料理が上手になるね」
 わたしは笑みを抑えきれなかった。毎年のクリスマスにわたしが何をつくったのか、おじさまはちゃんと覚えてくれているのだ。
「コーヒーを淹れてくるわ。それともグリューワインのほうがいいかしら」
 ゆるんだ顔を見られるのが恥ずかしくて、わたしは急に立ち上がった。
 おじさまがわたしの腕を軽く握った。
「そんなに気をつかわなくていいんだよ、マリー。もうじゅうぶん、もてなしてもらったから」
「気なんてつかってないわ。わたしがそうしたいだけだもの」
 おじさまの手につかまれた腕が、そこだけ火にあたったように熱い。
 わたしは振り向くこともできず、立ち上がったまま目の前の光景を見つめた。テオとクララがクリスマスツリーの前に座りこみ、手にいっぱい取ったお菓子を見せあっている。
「コーヒーとワイン、どちらがいい?」
 わたしはおじさまに顔を向けた。
 おじさまはわたしを見上げて、ちょっと驚いたように笑った。
「じゃあ、ワインをもらうよ」
 わたしはうなずき、一人で台所に向かった。
 冬の夜にふるまうグリューワインには、輪切りにしたレモンと、スパイスと、はちみつをたくさん入れる。ワインは父さまと母さまが亡くなる前から地下の食糧庫にしまってあったもの。ふだんは料理か薬にしか使わないから、クリスマスイヴにおじさまに飲んでもらうのが唯一のそれらしい出番だ。
「ありがとう」
 おじさまは熱いマグカップを両手で受け取った。そのまま口もとまで持ち上げたけれど、すぐに傾けて飲むことはしない。蒸気と香りを楽しむものなのかしら。
「いつも人のことばかり考えなくていいんだよ、マリー。これはきみのためのクリスマスでもあるんだから」
「ありがとう、おじさま」
 わたしが顔を向けて言うと、おじさまは何も言わずに笑った。ろうそくの光を受けてみどりいろの瞳が輝いた。
 わたしはどきどきして、また目をそらしてしまった。何か言わなければと思い、急に大切なことを思い出した。
「自転車に乗れるようになったわ」
 一年前のクリスマスイヴに、おじさまがわたしにくれたプレゼントだ。おじさまに会ったら必ずこのことを話そうと思っていたのに、今の今まで忘れていたなんて。
「ほんとうかい、マリー?」
 おじさまの明るい声が隣から聞こえる。
 わたしは目をそらしたまま、うなずいた。
「はじめは転んでばかりだったけど、今はすっかり上手になったのよ。村の人たちにも褒められたわ」
「どこへ乗っていくんだい」
「いろいろよ。ちょっと遠くのお店に買い物に行ったり、よそのおうちに借り物やおすそわけをしに行ったり。自転車に乗るようになってから、人とお話することも増えたみたい」
「髪を結うようになったのも、そのせい?」
 わたしは顔を上げた。
 おじさまはにやりと笑みを浮かべて、わたしを見ている。みんなお見とおしみたいだ。
「村の女の人たちが気にかけてくれるの。もう年頃なのに、髪を下ろしたままだと子どもっぽいって、その場で簡単に結ってくれたり。スカートの型紙も貸してくれて、それを使ってたくさん仕立てたの。ルイーゼもいろいろ手伝ってくれたわ」
「似合ってるよ。さっきは本当に見ちがえた」
「ありがとう。このほうが自転車にも乗りやすいし、家の仕事をする時も楽だし、わたしも気に入ってるの」
 自転車のせいで髪を結うことになるなんて、練習を始めた時は思ってもみなかった。
 変わったことはそれだけじゃない。外へ出かけることが増えたぶん、村の人たちと顔をあわせることも増えた。
 そして気がついた。わたしたち五人きょうだいを気にかけてくれる大人は、おじさまとトゥルーテばあやだけじゃなかった。教会で会う村の神父さまも、テオとクララが通う学校の先生たちも、型紙を貸してくれたおばさんたちも、雪かきを手伝いに来てくれたお隣のおじいさんも、みんながわたしたちのことを見守り、心配してくれていた。めったに外に出ていかなかったわたしのことまで。
 わたしは顔を向け、ろうそくとお菓子で飾ったツリーを見上げた。
 このツリーだってそうだ。フリッツだけでこんなに大きな樅の木を運んでこられるわけがない。自分の家族のために木を探しに行く男の人たちが、フリッツを一緒に連れていってくれたのだ。去年もおととしも、そんな簡単なことに気がつかなかったなんて。
 いったん話をするようになると、村の人たちとふれあう機会はどんどん増えていった。ルイーゼみたいに遊び友だちがたくさんできたわけではないけど、学校に一緒に通った女の子たちともよく話すようになった。教会や買い物の帰りに集まっておしゃべりしたり、料理やお菓子を分けあったり、村の行事にも誘われて出かけるようになった。
「自転車に乗るようになって、家の外によく出るようになって、気がついたことがあるのよ」
 わたしは話を続けた。おじさまがいてくれる時、こんなにたくさん話すことがあるなんてはじめてだ。
「へえ、どんなことだい?」
「わたしは、家の中にいるのが好きなんだってこと」
 意外そうな顔をされるかと思ったけど、そうでもなかった。おじさまが続きを促すように黙っているので、わたしはいそいそと話し続けた。
「今まではわたし、家の外に出るのが怖いから、家の中にいるんだと思っていたの。でも、外はそんなに怖くないんだってわかっても、やっぱり中にいるのがいちばん好きだと思ったの」
 家の中はあたたかくて安心できるだけじゃない。たくさんの仕事があって、いろんな工夫やひらめきが必要で、けれど成功すればみんなを喜ばせることができる、素敵な場所だった。
 いったん外に出てみなければ、わからなかったことだ。
「家の中を居心地よくして、おいしい料理をたくさんつくって、みんなを見送って、また出迎えるのがわたしは好きなの。だから家の仕事のこと、前よりもがんばってばあやに教わってるのよ」
「それでこのおいしいデザートができたわけだ」
 おじさまが小皿の上に残った果物を指し示す。
 わたしは笑顔でうなずいたあと、ちょっと不安になって続けた。
「がっかりした、おじさま?」
「がっかり? どうして?」
「おじさまはわたしに、フリッツみたいに上の学校に行って勉強したり、ルイーゼみたいにおしゃれして出かけたりしてほしかったんでしょう?」
「わたしがきみにしてほしかったのは、自分の好きな場所へ行って、好きなものを見つけることだよ。きみはちゃんとそのとおりにしてくれた」
 わたしはゆっくりとほほえんだ。恥ずかしくてうつむきそうになったけれど、おじさまから目をそらさないよう自分に言い聞かせた。
 おじさまもわたしのことを優しい笑顔で見つめている。
 わたしはみどりいろの瞳を見つめながら、こみ上げてきた言葉を呑みこんだ。
 気づいたことはもうひとつあるのよ、おじさま。
 家から外に出て、いろんな場所に行って、やっぱり家がいちばん好きだと気がついたように。家から外に出て、いろんな人と会って話をしても、やっぱりおじさまのことがいちばん好きだって。
 声に出すことはとてもできなかった。わたしは一年前、おじさまに自分の気持ちを伝えて、あっさりかわされている。あの時は思いいたらなかったけれど、わたしは体よくふられたのだ。そんなわたしがこの言葉を口にしたところで、それからどうなるというのだろう。
「目の中に何か見える?」
「……いいえ」
 わたしはおじさまの瞳をよほど強く見つめていたらしい。気まずくなって目をそらしたけれど、おじさまは笑ったままわたしを見続けていた。
 おじさまの声は見た目よりも若い。というより、見た目もわたしが思っていたより若いのかもしれない。会ったばかりのころは漠然と大人だとしか思っていなかったけど、村の人たちの顔を見ることが多くなってから、年上の人の年齢もなんとなくわかるようになってきた。四十代――三十代――もしかしたら、もっと若いかもしれない。
「不思議だなって思ったの」
 わたしは思ったことを口に出した。それがおじさまの問いへの答えになったのはたまたまだ。
「何がだい?」
「はじめて会った時から四年も経って、弟たちや妹たちはどんどん大きくなるのに、おじさまはだんだん若くなっているような気がするの」
「ああ、それは」
 おじさまはまったく間をおかず、まるで知っていたかのように続けた。
「きみがそれだけ、大人になってきたということじゃないかな」
「そうなの?」
「自分の年が上になってくるとね、老成していると思っていた人が意外に子どもっぽく見えたり、ずっと年上だと思っていた人が身近に感じたりするものだよ」
 わたしはどきどきする胸をおさえて、おじさまの話に聞き入った。
 本当にそうなの? フリッツが自分が大きくなったことを忘れて、わたしを見て小さくなったと言うみたいに、おじさまが若くなったように見えるのは、わたしがそれだけ大人になったから?
 もしそうだとしたら、おじさまから見たわたしも少しは変わっている?
 一年前とは違う意味で、わたしの言葉を受け止めてくれる?
「もう、あの人形師の老人には見えないだろう、マリー?」
 わたしの高揚も知らず、おじさまはからかうように言った。
「そんなこと言ったかしら、わたし」
「はっきり言われてはないけどね。クララときみは、魔法か何かを使ってほしそうな目でわたしを見ていたから」
 わたしは頬が熱くなるのを感じ、同時にふくらみかけた希望がしぼんでいくのがわかった。
 わたしの現実ばなれした空想を、おじさまは見抜いていたのだ。聖ニコラウスを今も信じているクララと同じで、夢見がちな子どもだと思われていたのだ。
「今は思ってないわ、そんなこと」
「そうだね」
「だって、しかたないじゃない。わたしたちはおじさまのこと、何も知らないんだもの。四年前にいきなり現れて、遠縁って言ってもどういう関係なのかもわからないし」
「きみたちのお母さんのいとこだよ。言ってなかったかな」
 おじさまはあっさり答え、わたしは顔を上げた。
 ルイーゼとテオが長々と暗唱したのより、ずっと短い説明だ。
「正確には、義理のいとこだね」
 わたしは小さく、あ、と声を出した。
 この先を聞いてはいけないと、直感でわかった。
 待って、言わないで、おじさま。
「亡くなったわたしの妻が、きみのお母さんといとこだったんだ」

 ツリーの前でテオが何か叫んでいるのが聞こえる。
 いつの間にか、プレゼントを開ける時間になっていたのだ。おじさまはわたしから離れてツリーまで歩き、置いてあったプレゼントをひとつずつ指で示していった。弟たちと妹たちはそれぞれのプレゼントを開け、中から出てきたものに歓声を上げていた。
 わたしはその中には加わらず、ひとり座っておじさまを見つめていた。
 おじさまのことは何も知らなかった。年はいくつなのか、何の仕事をしているのか。何が好きで、何が嫌いなのか。四年前、どうしてわたしたちの前に現れ、わたしたちの親がわりになってくれたのか。
 聖ニコラウスでも、人形師でもない、帝都で暮らしている普通の大人だということはわかっていた。それ以上のことを知ろうとしなかったのは、知りたくないことを知ってしまうと予感していたからなのだろうか。
「マリー」
 フリッツがツリーの近くからわたしを呼んだ。
 わたしは立ち上がり、弟たちと妹たちのところに向かった。プレゼントの箱をすべて開けたら、今度はわたしたちがおじさまに贈る番だ。わたしはまだプレゼントを見ていないけれど、今はそんなことはどうでも良かった。
 ルイーゼが椅子のひとつを動かして、おじさまにそこに座るよう頼んだ。ツリーがいちばんきれいに見える場所だ。おじさまが不思議そうな顔でそれに従うあいだ、わたしたちはツリーの前に横一列に並んだ。わたしの右隣では、クララがいつになく緊張して、小さな体をこわばらせていた。
「おじさま、今年も来てくれて、それにプレゼントを持ってきてくれて、ありがとうございます」
 いちばん端にいたフリッツが、あらたまった様子で口を開いた。ルイーゼが走り寄ってきて反対がわの端、わたしの左隣に立った。
 どういたしまして、とおじさまは返した。まだ何が始まるのかわかっていない。
「今年はぼくたちからもプレゼントを贈ることにしました。聴いてください」
 フリッツはわたしたちのほうを向き、片手を小さく上げて拍子をとった。
 わたしたちは歌いはじめた。教会で習った賛美歌のひとつで、この村の子どもなら誰でも知っているメロディだ。
 おじさまは椅子に座って、身じろぎひとつせずにわたしたちの歌う姿を見つめていた。
 帝都に住んでいるただの勤め人。わたしたちの母さまの義理のいとこ。何年か前まで、誰かの旦那さまだった人。
 わたしはおじさまのために歌いながら、自分に向かって問いかけた。
 この先、自分の知らなかったおじさまを知っても、それがどんなことであったとしても、後悔せずにいられるだろうか。


[ BACK / TOP / NEXT ]

Copyright (C) Kizugawa Yui.All right reserved.