ドロッセルマイヤー2
上
クリスマスまで四週間を残した日曜日、今年さいしょの雪が積もった。いよいよ待降節のはじまりだ。村のどの家にも四本のろうそくが立てられ、日曜日ごとに一本ずつ灯していく。外を歩けば必ず、どこかの子どもたちがクリスマスキャロルを歌っているのが聞こえてくる。
「帽子」
「手袋」
「万年筆」
第一主日のミサを終え、わたしたちきょうだいも教会から家へ帰るところだ。並んで歩きながら、誰からともなく話しあいがはじまった。今年のクリスマスイヴに、おじさまに何を贈るかという相談だ。
わたしは末の妹のクララと手をつないで、出てきた意見にひとつひとつ注文をつけた。
「手袋はサイズがわからないし、帽子は都会に行かないといいものは買えないわ。万年筆は手入れがたいへんだから、使ってもらえるかわからないんじゃないかしら」
「じゃ、マリーは何がいいのさ」
下の弟のテオが、雪に足跡をつけながらわたしを見る。
「マリーはときどき、おじさまと二人だけでおしゃべりしているじゃない。おじさまの好きなものは何か聞いてないの?」
上の妹のルイーゼも隣で聞いてくる。
わたしは前に続く道を見て、白い息を吐きながら、途方にくれた。
「知らないわ」
まだ子どもの妹や弟はもちろん、十七になったわたしでも、大人のほしいものはよくわからない。トゥルーテばあやのことは毎日見ているけれど、おじさまには一年に一度しか会えないのだから。はじめて会った時から四年になるというのに、わたしはおじさまのことをほとんど知らない。年はいくつなのか、何の仕事をしているのか。何が好きで、何が嫌いなのか。わたしたちに会いに来てくれるクリスマスイヴ以外は、どんなふうにして過ごしているのか。
おじさまが来てくれるイヴは今年で五回目になる。わたしたち五人きょうだいはいつも素敵なプレゼントをもらっているのに、おじさまにプレゼントをしようと決めたのは今年がはじめてだ。思いついたのはわたしだけど、ルイーゼもテオも大喜びで賛成した。けれど、何をあげるのか決めることになると、みんなそろって頭をかかえてしまった。
「おじさまのこと何も知らないのね、わたしたち」
「そもそも、おじさまはうちの何なんだっけ」
「えーと、父さまのはとこの奥さんのいとこだよ」
「違うわよ。おばあさまの妹の旦那さまのいとこの甥の奥さんの義理の弟よ」
ルイーゼとテオが記憶を比べあっていると、わたしに手を引かれていたクララが小さくくしゃみをした。
「クララ、寒いの?」
クララはわたしの足もとで、分厚いコートと帽子とマフラーに埋もれた頭を振った。家を出る時に少し咳をしていたので、たくさん着込ませてきたのだ。やっぱり連れてこなければ良かっただろうか。
「早く帰りましょ」
わたしはクララの手を握りなおし、家への道を急ごうとした。すると、クララがその手を引いてとめた。
「時計」
「え?」
「時計がいいと思う。おじさまへのプレゼント」
わたしはクララの顔を覗きこみ、ルイーゼとテオもそばに寄ってきた。みんなに注目された小さなクララは、恥ずかしそうに説明した。
「父さまのお部屋にあった、小さな時計。あんなのがいいと思う」
懐中時計のことだ。父さまが亡くなってからは書斎の机にしまってあるけれど、いつか弟が使うかもしれないので手入れは欠かさずしている。
おじさまと懐中時計。それはわたしの頭の中で、ぴったりと重なった。
なぜなら、クリスマスの劇に出てくるあの人は、人形師であると同時に時計師でもあるからだ。
「時計って、高いんじゃないの?」
わたしの想像を邪魔するように、テオが現実的なことを言った。
「それに、おじさまは確か持ってたと思うわ」
ルイーゼも観察力を発揮しながら口を挟む。
わたしはふたりを見比べて、いっしょうけんめい言葉を探した。クララがめずらしく自分の考えを口にしたのだから、できればそれを叶えてあげたい。それに、わたしも時計はいい考えだと思うのだ。
「時計がふたつあってもいいんじゃないかしら。お店によっては安く買えるかもしれないし」
「いいと思うよ。おじさまは、ときどき仕事場に時計を忘れてくるみたいだし」
思いがけない助けが入って、わたしはぽかんとした顔を横に向けた。ルイーゼも、テオも、クララも、同じようにする。そこに立っていたのは、高校に通うために下宿住まいをしているはずの、上の弟のフリッツだった。
「フリッツ、いつの間にいたの。今日の夕方まで帰らないと思ってたのに」
「下宿の片づけが早く終わったから、さっさと列車に乗ったんだ。みんな、ただいま」
フリッツの言葉にわたしたちは歓声を上げた。きょうだい五人がそろうのは秋の休暇以来だ。わたしとルイーゼは口々におかえりと言い、テオは兄さんに飛びかかった。クララは空いているほうの手を差し出し、フリッツに握ってもらって笑顔になった。
わたしは妹のそんな顔を見ながら、さっき気になったことを聞いてみた。
「ねえ、フリッツ。仕事場に時計を忘れてくるって、おじさまがそう言ったの?」
「うん。手紙で」
わたしはまたぽかんとした。
「手紙?」
「学校のことで相談に乗ってもらっているんだ。何度かやりとりしているうちに、おたがい雑談も書くようになって、それで知った」
おじさまには一年に一度、クリスマスイヴにしか会うことができない。帝都に住んでいることとわたしたちの遠縁であること以外、おじさまのことは何も知らない。
それは、わたしたち五人とも同じだと思っていた。
みんなで昼食を終えると、わたしは話があると言ってフリッツを外に呼び出した。もっと早く話したかったのだけど、トゥルーテばあやと再会を喜んだり、お茶を飲んで体をあたためたり、荷物をほどいたりしているフリッツを邪魔するわけにはいかなかったのだ。
真昼になって日が射してきたので、積もった雪は溶けはじめていた。クリスマスイヴもこうであってくれたらいいのに。
フリッツはどうして呼び出されたのかわからないらしく、玄関のドアを閉めたわたしを見て、とぼけたことを言った。
「マリー、ちょっと小さくなった?」
「フリッツが大きくなったのよ」
十五歳のフリッツは家に帰ってくるたびに背が伸びていて、わたしなんてとっくに追い越されてしまった。いつかおじさまみたいに背の高い大人になるんだろうか。
「そんなことより、フリッツ、本当におじさまと文通しているの?」
「うん」
フリッツはさらりと答えた。
「しょっちゅうではないけどね。あんまり書くと迷惑かもしれないから、本当に相談したい時だけにしてる」
フリッツは長男らしいしっかり者だ。大学進学を目指して勉強中で、それもおじさまに頼らず奨学金を受けようと思っている。そのフリッツが相談したい時だけと言うのだから、本当に大切な時にしか書いていないに違いない。
フリッツだけずるい、なんて思ったらいけない。
「マリーも書きたいの?」
わたしはちょっと慌てた。考えていたことを覗かれたような気がしたのだ。
「そんなこと、ないわ」
「マリーから手紙をもらっても、おじさまはいやじゃないと思うよ。でも……」
「でも?」
「マリーが帝都にお嫁に行ったら、クララが寂しがる」
わたしは今度こそ、慌てふためくのを隠せなかった。
「フリッツ、何言ってるの、お嫁って!」
「おじさまのこと好きなんだろう。奥さんになりたくないの?」
雪の日の冷たい空気の中にいるのに、わたしの顔は日に焼かれたみたいに熱くなった。弟に気持ちを見抜かれていたことはもちろん、思いもよらない言葉が立て続けに出てきたからだ。
「奥さんだなんて、そんな。だって、おじさまは、もう結婚しているかもしれないじゃないの!」
自分の言葉がぐさりと胸に刺さった。いつも考えないようにしていたことを口に出しただけで、こんなに痛いなんて思わなかった。
わたしはおじさまのことを何も知らない。年はいくつなのか、何の仕事をしているのか。帝都で誰と一緒に暮らしているのか。
「おじさまは結婚していないと思うな。家族がいるんだったら、毎年のクリスマスイヴにうちには来られないよ」
わたしは胸の痛みが消えていくのを感じた。フリッツったら、なんて頭がいいんだろう。
「だから、マリーがおじさまに手紙を書いて、仲良くなって奥さんにしてもらうのはいいと思う。でも、ちょっと早すぎないかな」
「早すぎるのはフリッツよ。わたし、奥さんだなんて、そんなこと……」
わたしは途中まで言いかけてから、力なく黙ってしまった。
おじさまの奥さんになりたいだなんて、そんなこと考えたこともない。でも、だったらわたしはどうなりたいんだろう。クリスマスイヴに会って、手紙を書いて、それから?
言葉をなくしたわたしは、フリッツのまわりに目を泳がせた。玄関のドアにはわたしとルイーゼが作ったクリスマスリースが飾ってある。今朝わたしが取りつけたものだ。樅の木でできた輪のところどころに柊をつけ足して、いちばん上には松かさと赤いリボンを飾った。クリスマスイヴまで悪いことが起こらないように、みんな元気でいられるように、おじさまが無事に来てくれるようにと願いをこめた。
「プレゼントのことなんだけど、マリー」
言葉が続かなくなったわたしを見て、フリッツが話を変えた。
「時計はいい考えだと思うし、クララがせっかく言い出したんだからぼくも叶えてあげたい。でも、ぼくは、ぼくたちがおじさまに物を贈るのはどうかと思う」
「どうして?」
「何を贈るにしても、おじさまのお金で買うことになるから」
わたしの弟は本当にしっかり者だ。フリッツの手にかかれば、わたしの子どもっぽい空想なんて簡単にこわれてしまう。
わたしたちは魔法のおかげでこの家にいられるようになったわけじゃない。おじさまが働いて得たお金で食べさせてもらっているのだ。
「フリッツの言うとおりだけど、でも、おじさまにも何かさしあげたいじゃない」
おじさまは会ったこともなかった遠縁のわたしたちを引き受けてくれた。毎年のクリスマスイヴに帝都からこの村へやってきて、わたしたちに素敵なプレゼントと一夜をくれる。それなのに、わたしたちは一度もおじさまに何かを贈ったことがないのだ。
「気持ちはわかるよ、マリー。ぼくだっておじさまに感謝していることをなんとかして伝えたい」
「じゃあ、プレゼントではいけないの?」
「物を買って贈るんじゃなくて、お金では買えないものにしたらいいんじゃないかな」
「お金で買えないもの?」
わたしははっとした。
フリッツは亡くなった父さまに似た顔で、しばらく考えこんだ。
クリスマスイヴの日までは何かと忙しい。家のそうじを念入りにして、クリスマスツリーを準備して、ディナーの献立を考えていると、あっという間に過ぎてしまう。
それなのに、待降節のろうそくに火を灯す時は、毎週の日曜日を待つのがひどくもどかしく思えてしまう。早くこの四本のろうそくに明かりがついて、イヴの日が来てほしい。そうしたら、おじさまに会えるのだ。
わたしは毎日ろうそくを見つめ、クリスマスイヴまでの日を数えた。
今年の冬は雪が多くて、イヴのその日まで積もっては溶けるのを繰り返していた。夜にはやんでいてほしいというわたしの願いは届かず、暗くなってからも白い雪片が家の外を舞っていた。おじさまが来られなくなったらどうしよう。
けれど、いつもの時間になると、玄関の前におじさまが立っていた。やっぱり魔法がかかっているんじゃないかしら。
「クリスマスおめでとう、おじさま!」
そこで繰り広げられる光景は、去年とまったく同じだ。テオが真っ先に駆け出していって、おじさまに飛びかかる。フリッツが礼儀正しく、ルイーゼがちょっと気どってごあいさつする。おじさまは一人ひとりにおめでとうを言ったあと、はにかんでいたクララに手招きして、おめでとうを言いあって手をつなぐ。
両手を子どもたちにふさがれたおじさまは、そこでやっとわたしに目を向けてくれる。いつものように笑顔でわたしのほうを見て、おじさまはそこで固まった。
「……マリー?」
「クリスマスおめでとう、おじさま。火を起こしてあるからあたたまって。寒かったでしょう。その前にコートと帽子をもらうわ」
わたしは早口にまくしたてながら、さっき鏡に映した自分の姿を思い出した。
着ているのは今日のために仕立てた水色のドレスだ。高価ではないけれど張りがあって清楚に見える生地で、スカートは足もとまで覆い隠している。胸元と袖口には濃い青を足して、結い上げた金髪にも同じ色のリボンを飾ってある。
去年までの子どもっぽい白のドレスや、下ろしたままの髪とはぜんぜん違う。
わたしは視線を落として、おじさまの感想を待った。けれど、おじさまが何か言う前にルイーゼが隣に来て、わたしの腕をとってはしゃぐように言った。
「おじさま、マリーの髪きれいでしょ。わたしが結ってあげたの」
わたしはまだ顔を上げられない。髪を上げるようになってからはずいぶん経つけれど、おじさまにその姿を見せるのはこれがはじめてだ。この時のために何度も姿見を覗きこみ、髪に油を足したりリボンを直したりして、ルイーゼが呆れるまで質問を繰り返したのだ。
「おじさま? どうしちゃったの?」
ルイーゼの不思議そうな声が聞こえる。
わたしはおそるおそる顔を上げた。おじさまと視線がぶつかってどきりとしたけれど、慌てたのはわたしだけじゃなかった。おじさまはわたしを見て、急に思い出したように笑顔になった。
「びっくりした。すごくきれいだよ、マリー。すぐには誰かわからなかった」
わたしはやっと緊張から解き放たれて、おずおずと笑顔を返した。
おじさまが褒めてくれるのはわかっていたけれど、それでもやっぱり嬉しかった。
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