ドロッセルマイヤー [ 1−3 ]
ドロッセルマイヤー


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 すべてのプレゼントの箱が開けられ、テーブルの上のろうそくもずいぶん短くなった。待降節のはじまりからこの日まではとても長く感じるのに、クリスマスイヴの夜はあっという間に過ぎてしまう。
 クララは遊び疲れたのか、わたしの隣の席に座ったまま、こくりこくりと首を垂れていた。
「クララ、眠いの?」
「……ううん」
 どちらともとれない答えが返ってきたので、わたしは振り向いて助けを求めた。フリッツと話していたおじさまがすぐに気づき、立ち上がった。
「クララ、おいで。二階へ行こう」
 クララは素直におじさまの肩につかまり、両腕の中におさまった。これもクリスマスイヴの終わりにいつも見ている光景だ。
「暗いから、案内するわ」
 わたしはそそくさと席を立ち、近くにあったろうそくを取った。フリッツがもらった本を手におじさまと長く話しこんでいたので、わたしはなかなかおじさまと話すことができなかったのだ。
「テオ、あなたも来るのよ」
「いやだ。まだ眠くない」
 わたしが呼びかけても、弟は顔さえこちらに向けなかった。テオもクララもいつもの寝る時間をとっくに過ぎている。どうせテオもすぐに眠たくなって座りこみ、このまま床で寝るなんて言い出すくせに。
「いいよ、マリー。テオは後で連れていってあげるから」
 クララを抱きかかえたおじさまが言い、わたしたちはそろって部屋から出た。
 夜も更けて、家の中はすっかり暗くなっていた。わたしが先に階段を上がり、振り向きがちに歩きながらおじさまの足もとを照らした。
 わたしとルイーゼとクララは同じ寝室を使っている。いちばん小さなベッドにおじさまがクララを寝かせ、わたしが毛布をかけてやった。クララはぐっすり眠りこんでいる。明日になって目を覚ましたら、おじさまを見送れなかったことを悲しがるだろうけど、いま起こしてしまうのはもっとかわいそうだ。
 おじさまは眠るクララを優しく見つめている。わたしは末の妹がうらやましくてたまらない。
「きみに似ているね」
 ふいに、おじさまが小さな声で言った。
「そうかしら」
「似ているよ」
 おじさまはクララから顔を上げ、ろうそくの明かりごしにわたしを見た。わたしはどきどきしたけれど、おじさまはそのまま立ち上がった。
 ベッドから離れ、ふたりで寝室を出て歩き出す。
「クララもきみも、くせのないきれいな金髪だね。きみは髪を結ったりはしないの?」
 わたしは思わず自分の髪にさわった。食事の時、おじさまがルイーゼの髪型を褒めたので、ほんのちょっとだけ後悔していたのだ。
「おじさまは、結い上げてある髪のほうが、好き?」
「わたしが好きかどうかは関係ない」
 おじさまが苦笑した。わたしにとっては、それがいちばん大事なことなのに。
 おじさまはわたしからろうそくを受け取り、階段の下を歩いてわたしの足もとを照らしてくれた。帝都にあるおじさまの家には、電気というものもあるんだろうか。この家にいない時のおじさまのことは、あまり想像できなかった。
「フリッツから話を聞いたよ。大学に行くつもりのようだね」
 階段が終わるあたりでおじさまが話を変えた。長いこと話しこんでいたと思ったら、やっぱり進学のことを相談していたのだ。
「ええ。奨学金をもらうためにがんばっているみたい。だから休暇くらいしか帰ってこられないのよ」
「マリー、きみも上の学校へ進んでも良かったんだよ。都会に行けば女性を受け入れている学校はいくらでもあるからね」
「わたしはいいの。フリッツみたいに頭が良くないし、勉強が好きなわけでもないから」
 それに、クララたちを置いて家を出ていくなんて考えられない。わたしにとって、自分のいる場所はいつもここだ。きょうだいたちがいて、トゥルーテばあやがいて、おじさまが会いに来てくれる場所。
 おじさまはわたしの隣を歩き、それきり口を閉じてしまった。わたしと話していてもつまらないと思ったのだろうか。でも、本当のことしか言えないのだから仕方がない。
 クリスマスイヴの夜はいろんな香りが家の中にただよっている。料理に使った香辛料、はちみつ、お菓子に入れたり飾ったりした果物やナッツ。みんな食べ終えてしまっても、台所と食堂の間にはそのなごりが残っている。
「コートを持ってきてくれるかな、マリー」
 おじさまが急に言い、わたしは泣きそうになった。
「もう帰るの?」
「いや、まだだよ。きみも上に着るものを持っておいで。きみへのプレゼントを外に置いてあるんだ。このまま見に行ってくれるかな」
 わたしは立ち止まった。
 プレゼントをもらっても嬉しそうにできないのは、おじさまがいてくれることのほうが嬉しいからだけじゃない。すべてのプレゼントを見てしまったら、クリスマスイヴが終わってしまうからだ。イヴが終わったらおじさまはこの家を去り、一年後の同じ日まで会うことはできない。
「マリー?」
 おじさまはわたしの数歩先で立ち止まり、わたしを振り返った。
 ちょうど三年前、わたしがおじさまとはじめて話した場所だ。わたしはこの家にいたいと願い、おじさまがそれを叶えてくれた。そして、わたしを抱きしめてくれた。
「わたし、プレゼントはいらない」
 冷たい空気を吸い込んで、わたしは声を出した。三年前と同じくらいか、もっと大きな勇気をふりしぼって。
「おじさまがこの家にいてくれれば、それだけでいいの。何もいらないから、かわりにずっとここにいて、おじさま」
 ろうそくの明かりだけに照らされて、わたしはおじさまと向かいあった。
 おじさまは、わたしの気持ちをわかってくれただろうか。
 ううん、きっと、一年前や二年前のイヴから気がついていたに違いない。わたしの言葉に驚いた様子も見せず、ちょっと笑顔をつくってこう答えたのだから。
「来年のクリスマスイヴにまた来るよ。それだけではいけないかな、マリー?」
「また一年も待たなくちゃいけないもの」
「きっとあっという間だよ。必ずまた戻ってくるから」
 わたしは子どものように首を振った。
「父さまと母さまは、そう言って帰ってこなかったわ」
 三年前のあの冬の日、父さまと母さまはふたりでこの家を出ていった。すぐに帰ってくるよ、と言って、そのまま二度と帰らなかった。みんなでクリスマスイヴを祝うのを楽しみにしていたのに。
「どうして、みんな、この家を出ていくの?」
 わたしは、ずっと胸にためていた問いを吐き出した。
「父さまも母さまも、おじさまも、フリッツもルイーゼも、どうしてここから出ていこうとするの? ここにいればみんなで一緒にいられるのに、どうして出ていきたいなんて言うの?」
 わたしがここにいてほしいと思うのはおじさまだけじゃない。本当は、フリッツにも大学になんて行ってほしくない。ルイーゼが友だちと出かけてばかりいるのもさみしい。やんちゃばかりのテオも、小さなクララも、いつかはこの家を出ていくのだと思うとたまらない。
 ここはあたたかくて、楽しくて、怖いことや悲しいことはひとつもない。おじさまの腕の中のように。
「ごめん、マリー」
 おじさまはわたしを見下ろして、ゆっくり口を開いた。
「きみがそう言ってくれても、わたしはここにいるわけにはいかないんだ」
「どうして?」
「帝都での暮らしがあるからだよ」
 おじさまはあっさりと言い、また笑った。
「きみたちがどう思っているのかは知らないけど、わたしは聖ニコラウスでも、劇に出てくる人形師でもない、ただの勤め人だよ。少し話そうか、帝都でのわたしは――」
「やめて」
 帝都でのおじさまのことを知るのは、どうしてか怖かった。一年に一度だけ、クリスマスイヴに現れるおじさまだけが、わたしにとってのおじさまだ。
 なんて子どもっぽいんだろう。聖ニコラウスを信じているクララと何も変わらない。おじさまのことが好きだと言いながら、自分の知らないおじさまと向きあうのは怖いなんて。
「テオが眠ったら出ていくよ、マリー」
 おじさまは優しい声で、けれどきっぱりと言った。三年前のように抱きしめてくれなかった。
「どうしても?」
「どうしても」
 わたしが目線を上げると、おじさまはにやりと笑った。
「わたしに会いたかったら、きみがわたしに会いに来てくれなくちゃだめだ」
 わたしはきょとんとして答えられなかった。おじさまがわたしに会いに来るのではなく、わたしがおじさまに会いに行く? そんなこと、今までに一度も考えたことがなかった。
 おじさまはわたしの戸惑いを見守りつつ、先に歩きはじめた。
「あたたかい服を着ておいで。とにかくプレゼントを見てほしいんだ」

 外に出ると雪が降っていた。前が見えないほどではないけれど、花びらのような小さな雪片が暗闇の中にいくつも舞っていた。
 外を歩くおじさまの動作はきびきびしていて、家の中にいる時よりも若く見えた。わたしが思っている以上におじさまは若いのかもしれない。
 家のまわりを少し歩いておじさまは足を止め、わたしを振り返った。
「マリー、これが今年の、きみへのクリスマスプレゼントだよ」
 一瞬、そこには何もないかのように見えた。おじさまは何も持っていないし、雪明かりだけではろくに景色も見えない。
 目を凝らして見てみると、棒きれのようなものがおじさまのかたわらに何本か見えた。細い棒はよく見るとつながっていて、あわさって何かの形を成していて、ふたつの大きな円を左右に描いていた。
 円じゃない。あれは、車輪だ。
「……自転車?」
 わたしが言うと、おじさまはにやりと笑った。
「あたりだ。乗ったことはある?」
「ないわ。村の人が乗っているのを見たことはあるけれど」
 ルイーゼの言うとおり、わたしは車輪の付いているものが好きではない。雪が積もればすぐに役に立たなくなるし、側にいてほしい人を遠くへ運び去ってしまうし、時には人の大切なものを奪うこともある。
 それに、こんな田舎では、自転車に乗る女の人はまずいない。
「ルイーゼが乗りたがっていたから、きっと喜ぶわ。テオももう少し背が伸びたら乗れそうだし」
「そうだね。みんなにも乗らせてあげるといい。でも、きみも乗ってみてくれないかな。きみへのプレゼントなんだから」
 わたしの言い訳めいた言葉に、おじさまは辛抱づよく返した。今年もプレゼントに喜ばない、かわいげのない娘だと思われただろうか。
 わたしは急いで続けた。
「わかった、乗ってみるわ。でも」
「うん?」
「これに乗って帝都までおじさまに会いに行くのは、ちょっと難しくないかしら」
 雪の中でおじさまが笑った。
「いきなり帝都まで来なくてもいいんだよ。まずは転ばずに乗れるようになるまで練習して、それからいろんなところに行ってみるといい」
「どこへ行くの?」
「どこへでも、きみの行きたいところへ。自転車は列車や車より小さいけど、きみが思っているよりずっと遠くまで行けるんだよ」
 そんなふうに言われても、行くところなんてひとつも思いつかない。学校を卒業してからわたしは家にばかりいて、出かけたり人と会ったりすることが少なかった。これに乗ってどこかへ行く自分がどうしても想像できない。
「見たことがあるなら乗り方はわかるね、マリー」
 わたしはこくりとうなずいた。
「乗ってみてくれるかい?」
 わたしはこくりとうなずいた。
 乗ってみてどうなるかはわからないけれど、とにかく練習してみるしかない。自転車も外に出ることも好きではないけれど、おじさまがくれたプレゼントなのだから。それに、自転車の練習をがんばっていれば、一年が少しは短く感じられるかもしれない。
「良かった。約束だよ、マリー」
 おじさまは笑い、わたしに手を差し出した。
 この雪の中、おじさまは無事に帰れるかしら。わたしはこの時はじめて、家にやってくるおじさまではなく、家を去っていくおじさまを心配した。
「おじさまも約束して。来年また来るって」
 わたしは自分の手を出しながらおじさまの目を見つめた。クリスマスイヴに言わなければならない、いちばん大切なことだ。
「また来るよ、マリー」
 わたしたちはしっかり手を握り、聖なる夜に誓った。

 おじさまは今年もイヴの夜のうちに去っていった。
 次の日からいつもの日常が始まった。わたしと、弟たちと、妹たちと、トゥルーテばあやだけの生活。フリッツは下宿に戻り、ルイーゼはまた遊びに出るようになった。テオとクララの学校が始まるのももうすぐだ。
 雪がとけてすぐ、わたしは自転車の練習を始めた。乗ってみると思っていた以上に難しかった。サドルをまたぐのが大変だし、ペダルの位置はなかなかつかめないし、やっと座れたと思ったら右や左にすぐ傾く。ハンドルにしがみついても安心できず、おかしな方向に曲がりくねっては転んでいた。
 ルイーゼはわたしの乗り方が変だとはやしたてるし、テオはまだ足もつかないくせに自分が乗りたがる。クララは聖ニコラウスの風変わりなプレゼントにぽかんとしつつ、わたしが転んでは起き上がるのを見守ってくれていた。
 村の大人たちは真新しい女性用の自転車をめずらしがり、それ以上にわたしが外にいることをめずらしがった。久しぶりに顔を見る人も多かったけれど、会えば必ずあいさつを交わしあった。みんなわたしが転ぶのを見て笑い、けれど励ましてくれた。
 はじめて自分の足で自転車をこぎ、ほんの少し走れた時のことは忘れない。いつもより高いところから見る、左右に流れていく景色。風がわたしを讃えるように吹き流れた。わたしは誇らしさでいっぱいになり、ハンドルをつかんで背筋をぴんと伸ばした。その直後にまた派手に転んだけれど。
 わたしのこの姿を見たら、おじさまはなんて言うだろう。転んでばかりなのを笑うだろうか。よくがんばっていると褒めてくれるだろうか。髪を振り乱し、スカートの裾を破き、あちこち擦りむいている姿は、ちょっと見られたくないけれど、でも見てほしい。
 がんばって乗れるようになれば、いつかおじさまのいる帝都にも会いに行けるだろうか。
 とりあえず、次のクリスマスイヴまでには自転車をうまく乗りこなして、おじさまをびっくりさせてあげるつもりだ。


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