ドロッセルマイヤー [ 1−2 ]
ドロッセルマイヤー


[ BACK / TOP / NEXT ]


 わたしは姿見の前に立ち、体を傾けたり、揺らしたりして、自分がどう見えるのか確かめた。腰の高い白のドレスは、母さまが最後のクリスマスのために作ってくれたもの。つまり十三歳の時から着ているものだ。わたしはほとんど背が伸びていないから、母さまが作ってくれた服は今でもみんな着ることができる。
 短い袖とスカートにはレースを使ってあって、動くとひらひら揺れるのがとても可愛い。そのひだからのぞく腕も、脚も、はじめてこれを着た時と同じくらいほっそりしている。腰のところで結んだリボンは、わたしの瞳に近い水色だ。
「マリーも髪を結えば良かったのに。今からでもやってあげるわよ」
 妹のルイーゼが隣に映りこみ、わたしの髪にさわった。
 わたしの淡い金髪は結わずにまっすぐ肩に垂らしてある。横の髪だけは三つ編みにして後ろで結んでみたけど、ドレスと同じくどこか子どもっぽく見えなくもない。
「いいの、このままで」
「どうして? マリーの歳なら、ふだんから結い上げても何も言われないのに」
 ルイーゼの栗色の髪はいつもは下ろしてあるけれど、今日だけは大人みたいにまとめてあってとてもきれいだ。
 ルイーゼはわたしたち姉妹の中でいちばんの美人で、わたしより四つ年下の十二歳にはちょっと見えない。学校で仲良くなった友だちと雑誌を見たりして、いつも新しい髪型や仕立てを研究している。髪を上げるのもスカートを長くするのも、トゥルーテばあやがまだ早いと言って許してくれないけれど、今日はクリスマスイヴだから特別だ。
 わたしも十六になったのだから、ルイーゼの言うとおり髪を結い上げて、長いスカートを履くべきなのかもしれない。でも、わたしは母さまの作ってくれた服を着るのが好きだ。父さまがきれいだと言ってくれた髪も下ろしているほうが好き。鏡を覗きこんだ時、見慣れた自分の姿が映るとほっとする。学校を出てからは教会くらいにしか出かけないから、子どもっぽいかっこうのままでいても誰にも気にとめられない。
 姿見から離れようとして、ふと立ち止まる。でも、やっぱり、クリスマスイヴくらいは、もっときれいにしていたほうがいいのだろうか。
 おじさまは、大人っぽくしているほうが好きだろうか……。
「ルイーゼ、そんなことより雪は大丈夫かしら。列車は動いていると思う?」
 わたしが姿見に背を向けて言うと、ルイーゼはきゃっきゃと笑った。
「マリーって、ほんとに心配性よね。『車輪の付いているものは信用できない』なんて、ばあやじゃないんだから」
「だって、雪がひどかったら列車は止まるし、車も動けなくなるのよ。そうなったらおじさまに来てもらえなくなるわ」
「自動車も列車もそんなに弱くないわよ。マリーもたまには町に行って、いろんなものを見てきたらどう?」
「いいわよ。乗りたいと思わないもの」
「わたしは自転車なんかにも乗ってみたいわ。都会じゃ女の人も乗ってるんですって」
 わたしは聞こえなかったふりをした。人が操っている車や列車でさえ心配なのに、自分で自転車を乗りまわすだなんて。わたしたちの両親は車の事故で亡くなったのに、ルイーゼは忘れてしまったのだろうか。
 明るい性格のルイーゼは村にも学校にもたくさんの友だちがいて、よその家に泊まったり遠くへ出かけたりすることも少なくない。大きくなってくるにつれ、家でわたしたちと過ごす時間が減ってきた。
 弟のフリッツもそうだ。今年で村の学校を卒業し、町のほうにある高校に進んだ。この家からは通えないので安い下宿に入っていて、まとまった休み以外はめったに家に帰ってこない。
 でも、今日はクリスマスイヴだ。フリッツは家に帰ってきたし、ルイーゼもどこへも出ていかない。テオも、クララも、トゥルーテばあやもみんな一緒に家にいる。
 そして、おじさまが会いに来てくれるのだ。

 わたしとルイーゼが階段を降りていくと、フリッツもテオもとっくに着替えて待っていた。
「ルイーゼ、その髪どうしたの」
 フリッツがすかさず言うと、ルイーゼは得意げに後ろ姿を見せた。
「自分で結ったの。似合うでしょう?」
「変な髪型! おばあさんみたいだ」
「あんたには聞いてないわよ、テオ!」
 わたしは妹と弟の争いを無視して、台所のほうへ進んだ。トゥルーテばあやに足りないものはないか聞こうとして、台所の椅子に座っている末の妹に気がついた。
「クララ、ここにいたの。眠くない?」
「眠くない。だいじょうぶ」
 クララは真顔で、短く答えた。
 クララはおとなしい女の子だ。七歳にしては体も小さいほうなのか、わたしやルイーゼの幼い時の服があう。今日のために着せてあげたのも、わたしが六歳のクリスマスに着ていたものだ。ひらひらと踊る白い袖に、子どもらしいやわらかい金髪。さっき鏡の中で見たわたしと、どこか似ているみたい。
 わたしがクララのリボンを直していると、玄関のほうが急ににぎやかになった。ルイーゼとテオだ。もうおじさまが来る時間になったのかしら。
「クララ、行きましょ。おじさまをお迎えするのよ」
 わたしはクララの手を引いて、台所から玄関へ急いだ。

 出会ってから三年が経つけれど、おじさまのことはほとんど知らない。おじさまがいる間は弟や妹がひっきりなしにしゃべっているので、おじさま自身のことを聞くひまがないのだ。三年間でようやくわかったことと言えば、帝都に住んでいるということくらい。
 帝国の首都からこの村まで、何時間かかるのかは知らないけれど、おじさまは毎年決まった時間に、わたしたちのところへ来てくれる。
「クリスマスおめでとう、おじさま!」
 わたしが玄関に着いた時には、テオが早くもおじさまに飛びついていた。五人並んでおじさまをお出迎えしたかったのに、ちょっと遅かったみたい。
 高い帽子に、丈の長い外套。はじめて会った時と同じ姿のおじさまは、テオを抱きとめて見下ろした。
「クリスマスおめでとう、テオ。今年もきみが一番だね」
 フリッツとルイーゼが少し遅れて歩み寄り、礼儀正しくおじぎをして見せた。
「クリスマスおめでとう。みんな待っていました」
「おじさま、クリスマスおめでとう! 今年も来てくださって嬉しいわ」
「おめでとう、フリッツ。おめでとう、ルイーゼ」
 おじささまは一人ずつにていねいに答えると、顔を上げてこちらを見た。クララの手を引いて遠まきに見ていたわたしは、どきりとした。
「クララ、おめでとう。こっちへ来て、どれくらい大きくなったのか見せてくれるかい」
 おじさまは片腕をテオにつかませたまま、空いているもう片方の腕を差し出し、はにかんでいたクララに手招きした。わたしが背中を押してあげると、クララはおそるおそるおじさまに近づいた。
「クリスマスおめでとう、おじさま」
 クララは今でも、おじさまのことを聖ニコラウスだと思っている。おじさまを迎える時、誰よりも緊張して、それでいて嬉しそうなのがその証だ。おじさまに頭を撫でられ、手を握られているクララは笑ってはいないけど、心の中ではすごく喜んでいる。
 そしてわたしは、そのクララがうらやましくて仕方がない。
 そんな気持ちで見つめていると、おじさまの顔がこちらを向いた。物欲しそうな目で見ていたことに気づかれてしまったのだろうか。わたしはあわてて平静を装い、この時のために練習しておいた笑顔で、おじさまを待った。
「クリスマスおめでとう、マリー」
 わたしたちは一回ずつで済むけれど、おじさまは五回もおめでとうを言わなくちゃいけない。いいかげん面倒に思ってもおかしくないのに、おじさまの笑顔はそんなことを少しも感じさせない。
「クリスマスおめでとう。コートと帽子をお預かりするわ。寒かったでしょう」
 わたしは緊張を隠すように一気に述べたてた。子どもみたいにはしゃいでおじさまを迎えるわけにはいかない。一家のいちばん上の娘として、お客さまをしっかりおもてなししなければ。
 おじさまは帽子をとって目を細めた。ほんの少し赤みがかった髪が揺れる。
「ありがとう、マリー」
「早くツリーを見に行こう! おじさまが来るまで待ってたんだから」
 テオがおじさまの腕を引っぱってせき立てる。
「ちょっと待ちなさい、テオ。おじさまに温かいワインを差し上げなくちゃ」
「すぐ夕食にするんだからいいじゃないか。もう待ちきれないよ!」
「いいよ、マリー。このまま連れていってもらおう」
 おじさまはそう言うと、左右の腕をテオとクララに引かれ、外套を着たまま家の中に進んでいった。フリッツとルイーゼがその後に続き、トゥルーテばあやもおじさまと挨拶を交わして加わった。
 わたしはおじさまの帽子を腕に抱え、いちばん後ろからついていった。

 おじさまをお迎えしたら、まずみんなでクリスマスツリーを見て、それから夕食にするのがいつものならわしだ。おじさまがくれるプレゼントを見ていいのは、デザートまで食べ終わってから。
 ツリーにする樅の木はフリッツが探してきてくれた。飾りつけはいつもわたし一人でしていたけれど、今年はルイーゼも一緒にやった。テオとクララはおじさまがやって来る日、つまりイヴの夜にはじめてクリスマスツリーを見る。わたしやフリッツが小さかった時は、父さまと母さまがそうやってわたしたちを楽しませてくれた。
 テーブルの上に木箱を置いて立たせたツリーは、飾りつける前よりもずっと大きく見える。赤いりんご、白いろうそく、きらきらした紙に包まれた、たくさんのお菓子。色とりどりに飾られたツリーの頂上には、わたしが縫った小さな天使がいる。
 完成したツリーを見ると、テオは歓声を上げて駆け寄り、クララは言葉もなく立ち尽くした。
「聖ニコラウスが飾ったのかな。こんなきれいなツリーは見たことがない」
 おじさまはクララと手をつないだまま、クララと同じくらい熱心に見とれていた。帝都にはもっと立派なツリーがいくつも飾られているに違いないのに。おじさまがそう言ってくれると、本当にこのツリーが国中でいちばんきれいなんだと思えてくる。
「飾ってあるお菓子を取ってもいい?」
 テオが駆け戻ってきてわたしに聞いた。
「だめ。先に夕食にしましょう。席に着いて」
 クリスマスディナーはばあやが主に作ってくれるけど、今年はわたしもかなり手伝った。ディナーと言っても、いつもの食事よりほんのちょっと贅沢なだけのものだけど、クリスマスツリーを見ながらみんなで囲む大切な料理だ。
 みんなでお祈りを捧げ、小さく乾杯したらディナーのはじまり。わたしたち五人におじさまを加え、トゥルーテばあやも同じ席に着く。父さまと母さまがいなくなってからは、ばあやは毎日わたしたちと一緒に食事をする。だから給仕をしなくてもいいように、テーブルにすべての料理を並べておく。
 魚料理をメインにしたささやかなディナーを終えると、テオとクララが楽しみにしているお菓子の時間だ。ツリーに吊るしてある手作りの焼き菓子を二人とも両手いっぱいに取っている。食事だけでおなかがいっぱいでも、ツリーからお菓子を取るという仕事が楽しいのだ。子どもたちがそうしている間にばあやがシュトーレンを切ってくれる。レープクーヘンやプレッツヒェンのような小さな焼き菓子はわたしとばあやで作れるけれど、一抱えもある大きなシュトーレンは毎年おじさまが買ってきてくれる。
 全員にお菓子が行きわたったら、いよいよプレゼントを開ける時間だ。ばあやがわたしたちに、わたしたちがばあやに用意したプレゼントは、朝からツリーの下に飾ってある。おじさまからのプレゼントは今年もいつの間にかそこに加わっていた。
 劇に出てくる人形師が子どもたちに贈るのは、もちろん彼が手がけた人形たちだ。道化師とその恋人、異国の衣装をまとった男女、勇ましい兵隊たち。彼らは人形師の合図で箱から飛び出し、人形師の意のままに生きているように踊り出す。
 テオやクララが箱にかかったリボンをほどく時、わたしは二人と同じくらいどきどきしている。あの中から出てくるのはどんな人形かしら? 箱を開けてもらうのを待ちきれなくて、子どもたちの手の中から逃げ出すんじゃないかしら。
 でも、中から現れるのは不思議な人形ではなく、ごく普通のプレゼントだ。テオには飛行機の模型、クララにはおもちゃの茶道具。それだって、村の他の子どもたちはまずもらえない、高価なものに違いないのだけど。
 フリッツが立派な装丁の本に、ルイーゼが手編みのレースに歓声を上げているうちに、わたしは席を立って台所に向かった。おじさまにコーヒーを飲んでもらうためだ。
 お盆に茶器を載せて戻ってくると、空になった箱や包装紙で床がいっぱいだった。その隙間をテオが飛行機を手に駆け回るものだから、部屋中が散らかりほうだいだ。後でちゃんと片づけさせなくちゃ。
「ありがとう、マリー」
 わたしがコーヒーを差し出すと、おじさまは子どもたちから目を離して、わたしににっこり笑いかけた。わたしは無言のままトゥルーテばあやのところに行き、彼女にもコーヒーを手渡すと、急いでおじさまの側に戻った。
「きみへのプレゼントをまだ見てもらっていないね」
 わたしはおじさまの隣に腰を下ろした。二人並んでクリスマスツリーを、そのまわりにいる弟たちと妹たちを見ていると、おじさまが話しかけてきた。
「わたしにも、あるの?」
「もちろんだよ。きみのプレゼントを選ぶのがいちばん難しい。去年のも一昨年のも、あまり気に入ってもらえなかったみたいだね」
「そんなことないわ。とっても嬉しかったもの」
 わたしはあわてて言った。おじさまからのプレゼントが嬉しくないわけがない。一昨年もらったあたたかいマフも、去年もらった大人のような白いハンカチも、部屋の引き出しに大切にしまって、一年の間に何度も取り出しては眺めている。
 イヴの当日だけプレゼントにあまり興味が示せないのは、プレゼントよりもおじさまがいてくれることのほうが嬉しいからだ。
 今だって、こうして近くに座って話しているだけで、もう何もいらないとさえ思えてしまう。
「今年はわたしも少し考えたんだ。あとで見てもらえるかな。テオとクララが眠ってからのほうがいいな」
「ええ。楽しみだわ」
 言葉ほどに楽しみにしているようには聞こえなかったに違いない。おじさまと一緒にいるとわたしは緊張してしまい、どんなに嬉しくて、楽しくて、幸せに思っているか表すことができない。
 プレゼントをもらうのも嬉しいけれど、おじさまがもっと家にいてくれるほうが嬉しいのだと、どうやったら伝えることができるだろう。


[ BACK / TOP / NEXT ]

Copyright (C) Kizugawa Yui.All right reserved.