王の鍵 [ 2−1 ]
王の鍵

第二章 海 1
[ BACK / TOP / NEXT ]


 ターシュの大通りを突き抜け、人気のない小道まで来たところで、ライはようやく足を止めた。ユーシアは自由になった両手を膝に当て、荒い息を繰り返した。頭が混乱していて気づかなかったが、相当の速さで走っていたようだ。
 どうにか息を整えて顔を上げると、目の前でライが座り込んでいた。下ろした背嚢に倒れかかるようにして、ユーシアよりもひどく息を弾ませている。
「あの、大丈夫?」
 ユーシアは思わず声をかけた。月が細いので顔色はよく見えないが、ライの様子ははじめて会うなり倒れた時と似ているように思えた。
「大丈夫……少し、休ませて」
「聖堂に戻る?」
「それはだめだ」
 肩で息を繰り返しながら、ライは首を振った。
「ここから西に歩いて、次の村までどのくらいかわかる?」
「二時間くらいだと思うわ。ナクザという村。わたしは行ったことはないけれど」
「そこまで一緒に来て。きみに話さなければいけないことがある」
 ユーシアは来た道を振り返った。港の方角ではまだ赤々とした光が広がっている。祭りの蝋燭がまだ消えきっていないのだ。聖堂はここから見えないが、巫女たちが聖歌を捧げ続けているはずである。
「ナクザまで行っていたら、今日は聖堂に帰れないわ」
「今日だけでなく、ずっとだ。きみはもうこの村にはいられない」
 ユーシアが息を呑むと、ライは背嚢から身を起こした。
「ごめん。前もって説明しておくべきだった」

 ライの息が整うのを待って、ふたりは歩きはじめた。ユーシアが知る隣村の方角に向かって。
「魔術がなぜ禁じられたのか、きみは知っている?」
 歩きながら、ライは早くも話しはじめた。目的地に着く前に少しでも事情を知りたいという気持ちを汲んでくれたのだろうか、とユーシアは思った。
「それは――自然を歪める行為だから」
「理由はそうだ。直接の原因になったできごとは知っている?」
「知らないわ」
「今から千年近くも前、この島で『王』が立とうとしたんだ」
 王という言葉だけなら、ユーシアも歌の中で知っていた。聖歌にも俗歌にも出てくる。伝説の中で、擬人化された精霊たちを束ねる長として。
 現実のこの島で、四州をそれぞれ治めているのは州公だ。王と呼ばれる人間はどこにも存在しないはずである。
「それより以前の島はまだ人間が少なくて、いくつもの部族が別々に集落をつくって住み、別の部族とは土地や食糧をめぐって争っていた。やがて、その中から四つの部族が力を伸ばし、争いを平定して島をすみずみまで開墾した。その四部族の長の子孫が、今の四州公家だ」
 ユーシアが聞いたことのない、この島の歴史だった。ターシュで育った子どもたちは誰も歴史など学んでいない。州公家のなりたちなど、村での暮らしに何のかかわわりもないからだ。
「四州公の初代たちは協定を結び、島を四分割してそれぞれの自治を守り、互いの土地を侵さないことを誓いあった。でも、時が移って代がわりを繰り返すうちに、州公の中には父祖たちの誓いを忘れてしまう者が現れだした。――忘れてはいなくても、破ってもいいと考えたと言うべきかな。州公たちは互いに侵略を繰り返して、島を昔の争乱の中に戻してしまった。島のすべてを治める者になりたいがために」
「それが、『王』?」
「そうだ」
 ライはすらすらと説明を続けていた。ユーシアはその横顔を見ながら、彼はどこでこんなことを覚えたのだろうと考えた。
 漁村とは違う、たとえば州公の城の近くに住む者なら、みな歴史を知っているのだろうか。ライはそういった土地から来た人なのだろうか。
「平和な時代が何百年も続いたから、どの州公家も大した軍隊は持っていなかった。かわりに戦場で活躍したのが、魔術だ。『古いことば』で精霊に命じれば、敵の井戸を枯らせることも、病を流行らせることもできる。州公たちは『古いことば』を巧みに扱う者を雇って、公認の魔術師として魔術を研究させたそうだ」
「戦いは、どうなったの」
「決着がつかなかった。どの州公家も他の三家をしのぐことはできず、膨大な犠牲者を出しただけで終わったそうだ」
 ユーシアは思わず目を伏せた。
 聖堂で巫女たちから聞き、自分でも何度も口ずさんだ『古いことば』。祈りの聖歌に使われているものが、人を殺すために使われていたなんて。
「州公たちは再び協定を結び、今度こそ島の平和を乱さないようにしようと誓った。心でそう決めただけではなくて、実際に島のありようを変えたんだ。魔術が禁じられたのはこの時だ」
「二度と争いが起こらないように、争いに使われる魔術を無くしてしまおうということ?」
「そう。州公家の者もそれに仕える者も、辺境の村に住む庶民まで、『古いことば』を節をつけずに唱えることは禁止された」
「それが、千年近く前?」
「そうだ」
 この話が今の状況とどうつながるのか、見えてきそうで見えてこない。
 禁じられたはずの魔術を使ったライ。見慣れない黒ずくめの男たち。『王の鍵』という言葉。そして、ユーシアが物心ついた時から知っていた歌。すべてがこの話にかかわっているのだろうか。
 ライの話を最後まで聞けば、自分がどこで生まれたのか、知ることになるのだろうか。
「あなたは――魔術師なの?」
 先手を打つように、ユーシアは尋ねた。
「そうだ」
「――わたしの両親を知っているの?」
 思いきって質問を重ねた。いつ知らされることになるかと気を揉んでいるよりは、自分から早く聞いてしまったほうがいい。
 ライが顔を向け、急に険しい表情になった。そして歩みまで止めてしまったので、ユーシアは面食らいながら自分も足を止めた。
「どうしたの?」
「すまない。これを先に言っておくべきだった」
 ライの表情は、これまで見た中でいちばん真剣で、どこか暗かった。
「ここからは辛い話になる――きみにとっても、おれにとっても。話していいかな?」
「いいわ」
「まず――きみのご両親は、もう亡くなっている」
 そうだったのか、とユーシアは思った。落胆や悲しみは特に感じなかった。
 会ったこともない、顔も名前も故郷も知らない両親だ。どこかで生きていたとしても、二度と会うことはないだろうと思っていた。今になって会える可能性が出てきたとしても戸惑うだけだ。
 ライはそう思っていないようだった。ユーシアよりも辛そうに、心から詫びるような表情で、ユーシアを見つめていた。
「すまない。きみに期待を持たせるような言い方をしてしまった」
「いいの。わたしの両親と会ったことがあるの?」
「いや、ない。直接は。ご両親の弟子というのは、書物を通じて教わったという意味だ」
「書物?」
 高価な紙を使い、膨大な言葉を人の手で記してつくる書物は、庶民には目にすることすら稀な貴重品だ。ユーシアがこれまでに見た書物は聖堂にある聖歌集だけで、それもめったなことでは人の目に触れないようにされている。
 自分の両親は、そんな貴重な書物を著すような人物だったのだろうか。ライはその書物を読んだのだろうか。
「きみのご両親は――魔術師だったんだ。進もうか」
 きょとんとしたユーシアの隣で、ライが何かから逃れるように歩きだした。歩調は大して速くなかったので、ユーシアもすぐに追いついた。
「きみのご両親の名前を、言ってもいいかな」
「ええ、いいわ」
「父上がルシアス・ミュリエール。母上はカリーナ・ミュリエール。きみの正式な名前は、ユーシア・ミュリエールだ」
 ユーシアはその姓を頭の中で繰り返した。
 これまで姓なしでも不自由を感じなかったのは、巫女たちもまた姓を持たなかったからだ。巫女や巫人は信仰の道を選んだ時、生まれた家の名を捨てて精霊に仕える個の存在になる。
 しかし、巫女ではないユーシアには、本来は名乗るべき姓があったのだ。はじめて聞いたような気がするその名を、三歳までの自分は知っていたのだろうか。
「わたしの父と母は、魔術師だったの? 書物というのは、魔術についての本?」
「そうだ。おれはその書物を、西州の城で読んだ」
 ディアレス西州と言えば、東州にあるターシュからはもっとも遠い場所にある。そして州公とその家族家臣が住む城は、ユーシアにとっては存在をただ知っているだけのものだ。
「きみのご両親は、州公家に仕える魔術師だった。ハルバート西州公家は他の三家を出し抜くかたちで、魔術の研究を密かに続けていたんだ」
 ライの表情がこわばったのを見て、ユーシアは悟った。ライにとって辛い話というのは、おそらくこの部分だ。
「禁止されたはずの魔術を、他の州公には黙って?」
「そうだ」
「つまり、西州公は『王』になろうとしているの?」
「きみは察しがいいな」
 ライは歩き続けながら苦笑した。
「きみの言うとおり、西州公は『王』になるために魔術を研究させていた。ただし千年前のような争いを起こすつもりはなく、犠牲を出さずに島のすべてを手に入れたいと考えたんだ」
「魔術を使えば、そんなことができるの?」
「できる。きみの父上がその魔術を編み出した」
 ライの横顔を見ながら、ユーシアは目を大きく開けた。
「ミュリエール家は西州公家に代々仕える名家で、『古いことば』を扱うのに長けた者を多く出していた。つまり、魔術師の資質がある者を。きみの父上――ルシアス・ミュリエール卿は長年の研究を引き継いで、西州公が待ち望んでいた魔術をついに完成させたんだ」
「どんな魔術なの?」
「それを手に入れれば、地上にいるすべての精霊を従わせることができる。精霊を従えた者には人間も従う。天候や収穫など、暮らしの糧をすべて握ることになるから。つまり、『王』になることができる魔術だ。西州公家ではそれを『王冠』と呼んでる」
 そんな途方もないものを生み出してしまった人が、自分の父親だというのだろうか。
 自分の両親は貧しい商人か芸人だと、ずっと思っていたのに。
「魔術が完成したのは、いつなの?」
「今から十三年前だ」
 体が小さく震えた。ユーシアがターシュの港で拾われたのと同じころだ。ライの話が自分とかかわりのあるものなのだと実感させられる。
 少し遅れてユーシアは、あることに気づいた。
「十三年前?」
「そうだ」
「でも、西州公はまだ『王』になっていないわよね」
 ライが顔を向け、何かをこらえるようにほほえんだ。
「きみのご両親が立派な方だったからだ」

 話が終わらないうちに、道の前方にぼんやりとした明かりがいくつか見えてきた。隣の村に近づいてきたらしい。
 続きを聞きたいが、まずは宿を探して身を落ち着けてからになるだろうか。ユーシアが考えていると、隣からライが顔を寄せ、耳もとでささやいた。
「走って」
「え?」
「あいつらに追いつかれた。振り向かないで」
 その言葉を聞き終える前に、ユーシアは振り返って見てしまった。
 すっかり暗くなった夜の小道を、ふたりの男が足早に歩いてくる。頭から足もとまで真っ黒の彼らは、祭りでリデルをさらおうとしていた者たちだ。
 ユーシアが振り向いたためか、男たちは急に歩調を速めてついに走り出した。ライが怒ったようにユーシアの手をつかみ、前方に見える村に向かって駆ける。
「あの人たち、もしかして西州公家の人?」
 手を引かれて走りながら、ユーシアは必死で尋ねた。
「違う。バルテス北州の偵察兵だ。北州公家も『王冠』を――きみを狙ってる」
 どういうことなのかと訊こうとしたが、息が切れてきて走り続けるだけで精いっぱいだった。振り向いている暇もないが、黒い男たちの足音が近づいてきているのはわかる。村の入り口まであと少しだが、暗くなって人の往来が途絶えた場所では、姿を隠すことは難しいだろう。
 ライも同じことを考えたのか、ユーシアの半歩前で急に立ち止まった。前のめりに倒れそうになった身をなんとか戻しながら、ユーシアは再びあの『古いことば』を聞いた。
 黒ずくめの男たちは急にきびすを返し、やってきた道を同じ速さで戻り始めた。
 ユーシアは手を握られたまま、ライの顔を見上げた。祭りの場から逃げてきた時のように肩で息をし、額に汗の粒を浮かべている。
「具合が悪いの?」
 ライは首を振り、足を動かして再び隣村のほうを向いた。
「すまない、もうひとつ次の村まで行かないと」
「休んだほうがいいわ。聖堂があれば泊めてもらえると思うから」
「今の魔術は一時的にしか効かないんだ。惑わしから目が覚めればあいつらはまた追ってくる。きみとおれがこの村にいると思って捜しに来る」
 早口でまくし立てているが、明らかに声が細く、視線も地に落ちている。
 ユーシアはきっとなって声を上げた。聖堂で育ったので病人の扱いには慣れているのだ。
「だめ、あなたは休むの。泊まるところはわたしが探すわ」

 隣村のナクザに着いた時はもうすっかり夜で、思ったとおり屋外に出ている人影は見あたらなかった。そのほうが好都合だとユーシアは思った。
 ユーシアはライを引きずるようにして歩かせ、海の見える港近くまで連れていった。ナクザも海に面しており、漁業で生計を立てている家が多いようだ。だからユーシアがあてにしていた建物もすぐに見つかった。漁業組合の事務所で、ターシュにあったものよりは小さいが、やはり煉瓦づくりで出入り口が二ヶ所あった。漁が盛んな時季には人が寝泊まりしていることも多いが、この日は扉の隙間から明かりが漏れておらず、人の気配も感じられなかった。そしてユーシアが期待したとおり、施錠もされていなかった。
「ここに泊まらせてもらいましょう。漁の季節ではないから構わないと思うわ」
 引き戸の内側を確認すると、ありがたいことに閂があった。これで外からの侵入は防ぐことができる。
 ユーシアはライに断って彼の背嚢を開き、蝋燭と石を借りて灯りをつけた。
 建物の奥には漁師が仮眠を取るため、あるいは怪我人の手当てをするための寝台がある。そのうちのひとつに腰を下ろしたライは、ユーシアの仕事を見つめながら疲れた声で言った。
「小さい袋の中に水とパンが入ってる。良かったら食べて」
「あなたは?」
「おれはいらない」
 そう言うと、力尽きたように寝台に横になった。
 背嚢を探っていると、確かに携帯食の入った袋があった。その他に見覚えのある包みを見つけたので開いてみた。祭りでも一緒に食べた、薬草入りの焼き菓子だ。まだ何枚か残っている。
 ユーシアはそれを両手に広げ、ライの寝台の側へ近づいた。
「食べられそうなら一枚でも食べて。これに使ってある薬草は疲れに効くから。あの……何かの病気でないなら」
 見たところライはぐったりと疲れているだけで、病人らしい症状は見あたらなかった。寝台に座らせた時に熱と脈を診たが異常はなかった。全速力で走ったり、重い物を担いだりした後と同じ様子に見える。
「ありがとう」
 ライは素直に手を伸ばし、焼き菓子を一枚取った。
「すまない。話がまだ途中なのに」
「それは明日でいいから。本当に大丈夫?」
「眠ったら直る。魔術を使うと疲れるんだ。精霊に代償を捧げているから」
 意味が一瞬わからなかった。魔術に代償が必要だなんて聞いたことがない。
「『古いことば』で精霊に命じるのは罪深いことなんだ。だから魔術師は代償に、自分の力を捧げなければならない」
「もしかして、はじめて会った時も?」
「ああ、あの時は旅の都合で何かと魔術に頼ることが多くて――代償の大きさは、魔術の種類にもよるけどね」
 ライは焼き菓子をもう一枚つまみ、軽く笑って見せた。
「畑の作物を一気に繁らせるくらいのことなら、代償はそれほど大きくない」
 ユーシアは目を見開き、焼き菓子とライの顔を見比べた。
「あれもあなただったの? 畑の香草と薬草が急に育ったのは、魔術を使ってくれたから?」
「あの聖堂の巫女たちには世話になったから、せめてもの礼にね。まあ、結局おれがこうして食べさせてもらっているけど」
 ライは二枚目の焼き菓子を食べきると、寝返りを打って目を閉じた。蝋燭の灯りに照らされている顔色は思ったほど悪くなかった。本人の言ったとおり一晩も眠れば良くなりそうだ。
 安心したユーシアは、自分の寝支度にとりかかった。寝台は二段式で、あわせて六人が横になれるようになっている。その中からライの隣を選んで腰を下ろす。着替えもせず、顔も洗わない状態で眠るのは気が引けるが、仕方がない。
 編んだ髪をほどきながら、ふと聖堂のことを思った。祭りの夜、巫女たちは夜通し聖歌を歌い続ける。ユーシアの不在に気づくのは明け方になってからだろう。心配をかけないうちに帰ることはできるのだろうか。
 自分の両親がわかったことも、巫女たちには伝えておきたい。大巫女が言ったとおり、ライがユーシアと同郷の人らしいということも。ディアレス西州で暮らしていた父が途方もないできごとにかかわっており、そのためなのか自分も見知らぬ男たちに付け狙われていることも。
 今日だけでわかったことを頭で反芻していると、とうてい眠れるとは思えなかった。けれど体のほうは疲れきっていたようで、心地よい睡魔が訪れるのを感じたユーシアは目を閉じた。


[ BACK / TOP / NEXT ]

Copyright (C) Kizugawa Yui.All right reserved.