Flower Days
13.Gerbera
朝の7時30分。
奥の時計を確認して。
わたしは、お店の外へ歩いていく。
うわあ。
空気がなんだか、ふわふわしてる。
あたりいっぱいに満ちるお日さまのにおい。
春が来たんだ。
高校に入ってから。
先生と出会ってから、2度目の春。
サクラ草、プリムラ、マリーゴールド。
マーガレットにデイジーにカーネーション。
今年も、お花たちの天国がやってきた。
今日は3月の中旬。
あと1週間で、3学期も終わり。
春休みは何をしようかな。
お店をいっぱい手伝って。
お花のことをたくさん勉強して。
あきちゃんや学校のみんなと遊んで。
それから……先生にも、会いたいな。
「花穂」
声に振りかえると、お父さんが立っていた。
「寄せ植えの水やり、頼むよ。何ぼーっとしてるんだ?」
「ううん、春だなあと思って」
「ほんとにあったかいなあ。それが終わったら、ちょっと奥へおいで」
「うん?」
わたし、首をかしげながらもうなずいておく。
何だろう。
朝から、お父さんが改まるなんて。
「お父さん? 終わったよ」
寄せ植えのお花にお水をあげて。
わたしは、お店の奥に入っていく。
時計は7時40分。
先生が来るまで、もう少しあるよね。
「ご苦労さん。花穂、こっちへ来て」
お父さんが手招きして。
わたしは、言われるままに近づいていく。
「いつも店のこと、ありがとうな。お父さんもお母さんも、花穂がいてくれて本当に助かってるよ」
「やだ。どうしたの? 急に」
「花穂。他にやりたいことがある時は、店のことは気にしなくていいんだぞ」
――え。
何を言われたのか、わからなくて。
お父さんの続きを、ただただ待っている。
「花穂は勉強もがんばってるし、友達もたくさんできたみたいだし、学校と店をよく両立してるよ。でもどうしてもやりくりできない時は、迷わず店のほうをあきらめていいんだからな」
「え、でも……」
「店を継ぐって、お姉ちゃんに言われたのを気にしてるだろう?」
いきなり言い当てられて、びくっとする。
そう。
もうずっと前から、花菜ちゃんは軽口でそう言ってた。
〈Flower Days〉は、わたしが継ぐんだって。
もちろんそれは、花菜ちゃんの気の早い冗談だけど。
わたしは本気で考えなかったわけじゃない。
「もちろん、考えてくれるのはお父さんも嬉しいよ。でも花穂はまだ高校生なんだから。今はあせらないで、自分のやりたいことをやりなさい」
「お父さん……」
「ボーイフレンドもできたんだろう?」
「えっ」
明るい笑顔でそう言われて。
わたしのほうが、うろたえて真っ赤になっちゃう。
お父さんに、先生のこと話したっけ。
紹介はしたけど、詳しいことは話してないよね。
それとも、気付いてたのかな。
わたしが毎朝、同じお客さんとおしゃべりしてるの。
「……ありがとう、お父さん」
わたしは、春を抱きしめながら。
「でもわたし、やっぱりお店も手伝いたい。学校のことも、先生のことも大事だけど、〈Flower Days〉も、わたしのいちばんやりたいことのひとつだよ」
「そうか……」
「どうしてもいっぱいいっぱいになりそうだったら、甘えるから。だから今はまだ、お花のこといっぱい教えて?」
お父さんは口を閉じて。
満足そうに、わたしを見つめて。
それから、大きくうなずいた。
「でも、今日の夕方は休みだ」
「え?」
「今日は、花穂の誕生日だろう? 16歳おめでとう」
「あ……」
そうか。
ど忘れしてた。
3月は、お花屋さんがいちばん忙しい時期なんだもん。
「おはようございます」
ふいをつくように、お店から声がかかる。
「あ、先生……」
「花穂はちょっと待ってなさい」
「え?」
出て行こうとしたわたしを止めて。
お父さんは、ひとりでお店の外に向かう。
何?
先生がせっかく来たのに。
まさか、『うちの娘はやらん』とか言って殴ったり――。
……なんてね。
するわけないよね、あのお父さんが。
「花穂、出ておいで」
ばかみたいなこと考えてるうちに。
お父さんが呼びかけてきた。
わたしは返事して、お店に出る。
スーツ姿の先生が、お父さんと向かい合って立っていた。
お父さんは、わたしを振りかえって、にっこりして。
「夕方は休みだからな」
念を押すように言い残して、自分は奥に引きかえした。
……何だったんだろう。
「おはようございます、先生」
「ああ」
にっこり笑って、わたしが声をかけると。
おなじみのぶっきらぼうな返事とともに。
先生は、わたしに何かを差し出した。
「……え?」
先生が手にしていたのは、小さなブーケ。
あわいピンクのガーベラが3輪。
その周りを、白いカスミ草が囲んで。
ガーベラと同じ色のリボンで、きれいにラッピングされている。
「誕生日」
「え」
「今日で、16歳だろ。おめでとう」
「あ……」
顔が一気にほころんでいく。
わたしは、溶けていきそうな気分で笑顔になる。
「ありがとうございます」
先生の手から、ブーケを受けとる。
花びらたくさんの可愛いガーベラ。
丸い円を描いて、『わたしを見て』って言ってるみたい。
とっても素直で、春らしい大好きな花。
「うちに頼んでくれたんですか?」
笑った顔のまま、わたしは聞く。
さっきお父さんが先に出たのは、このためだったのかな。
「そう。1週間くらい前に注文して、さっき店長に出してもらった」
「じゃあ、お花を選んだのはお父さん?」
「違う……おれ」
「え、ほんと?」
思わず声が高くなる。
それが本当なら、すごく嬉しい。
「本当だよ」
先生の顔、かなり赤くなってる。
「どうしてガーベラにしたんですか?」
「……なんとなく、おまえのイメージだから」
「そうですか? どんなところが?」
「いかにも花ってところが」
先生の大ざっぱな解説に。
わたし、思わず吹きだしてしまった。
確かに、ガーベラは形も色も正統派。
いかにも花って感じがする、親しみやすいお花。
「それから」
わたしが笑っちゃったせい?
先生は、少しだけ不機嫌そうに声を落として。
「色が……おまえらしいなと思って」
「わたし、ピンクのイメージですか?」
先生がうなずく。
「春らしいから」
「え」
「はじめて会った時から思ってた。1年中、春みたいなやつだなあって」
いつか言われた、同じセリフを。
先生は、もう一度わたしにくりかえす。
「花穂がいると、どんな花でも元気に咲きそうな気がする」
……うわあ。
「先生」
「ん?」
「今、いちばんおっきいお花が咲いた気がします」
わたしが1年中、春でいられるのは。
先生がいてくれるから。
わたしの中に、お花を咲かせてくれるから。
はじめて会ってから、もう1年。
たくさんの花びらが、わたしの中で開いてる。
「それは良かった」
少し投げやりにつぶやいて。
先生は、ふっと微笑む。
「今日の夕方、店はいいんだって?」
「はい。お父さんが休ませてくれました」
「仕事が終わったら、学校に迎えに行く」
「本当ですか?」
笑いあう。
約束しあう。
ずっとこうして、一緒にいたい。
たくさんのお花を、ふたりで咲かせたい。
「じゃあ、また」
腕時計を見て。
先生は、お店から歩き出す。
「いってらっしゃい!」
大きく手を上げて、送り出す。
わたしの元には、先生がくれたガーベラのブーケ。
お店には、たくさんの春の花。
やってきたばかりの春は、まだちょっと冷たいけれど。
空を見上げれば、優しい青と優しいお日さま。
今日はきっといいお天気。
「花穂!」
後ろからあきちゃんの声。
「誕生日おめでとう。――でも、のんびりしてる場合じゃないぞ」
「え、もうそんな時間?」
「そうだよ。急げ!」
「はーいっ」
今日もたくさん、いいことがありますように。
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