Flower Days [ 12 ]
Flower Days

12.Iris
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 白いスプレー菊。
 紫のスターチス。
 黄色いフリージア。

 お花たちは地面の上でも、鉢の中でもなく。
 水の上に咲いている。
 器の中で、のびやかに、毅然と背を伸ばして。
 そのたたずまいは、精巧なオブジェみたい。

「生け花って、好きな花を好きに生けていいもんだと思ってた」

 並んでいるお花のオブジェを見つめて、先生がつぶやく。

「知らない人は、たいていそう思いますよね」
 隣で笑うわたし。

 ピンクの蕾を付けた桃の枝。
 ふわふわの、毛虫みたいな花を咲かせる猫柳。
 さわやかな緑の雪冠杉。

 器の上の植物は、みんなお行儀がいい。
 はじめから、どういうふうに咲くか決められていたみたい。
 きれいなラインを描いたまま、少しもそれを乱さない。

「ちゃんと型が決まってて、花材と合わせるのはすごく難しいんです。枝のカーブや蕾の数だけで、微妙に表情が変わってきちゃうんですよ」

 ここは、文化会館の小さな展示室。
 2月の寒い日曜日。
 わたしと先生は、ここの華展を見にやってきたの。

 鉢植えやブーケのお花も大好きだけど。
 水の上に咲く花は、また違った魅力を持っている。

「これは、あやめ?」

 先生が、作品のひとつを見て聞いてくる。
 そんなことがすごく嬉しくて。
 わたしは、うきうきしながら答えてしまう。

「いいえ、アイリスです。っていうのは、あやめの仲間の総称なんですけど。あやめそのものは生け花には使えないんですよ」

 紫がかった紺色のアイリスは、本当にあやめに似ている。
 でも、あやめよりはずっと小さい。
 水の上で、すっと伸びた葉の間に咲いている。
 質素で、それでいて存在感のあるお花。

「花穂」

 背後から、落ち着いた女の人の声がして。
 わたしと先生は、同時に振り向いた。

「おばあちゃん!」

 和服に身を包んだ、灰色の髪の女性。
 お父さんのお母さん。
 つまり、わたしにとってはおばあちゃん。

「来てくれてありがとうね、花穂。寒かったでしょう」
「ううん。久しぶりの華展だから、絶対に見たかったもん。きれいだね」

 おばあちゃんは、お父さんの実家におじいちゃんと住んでるんだけど。
 その家で、華道教室を開いているの。
 そして、わたしもそこの生徒。
 2年くらい前から、週に1回、おばあちゃんの家に通っている。

 今日の華展はおばあちゃんと、先生仲間との共同展。

「花穂、そちらさんは……?」

 おばあちゃんが、先生を見ておっとりと言う。
 わたしは慌てて口を開いた。

「船戸和臣さん。えっと……」
「花穂さんにお世話になってます。船戸です」

 わたしが、何て言うべきか迷っているうちに。
 先生が先に、おばあちゃんにお辞儀した。
 おばあちゃんはぱあっと笑顔になる。

「花穂の祖母でございます。こちらこそ、花穂がいつもお世話になっております」

「あら、花穂ちゃんの彼氏?」
「まあまあ、はじめまして」

 周囲から突然、そんな声が沸きだして。
 あっという間に、たくさんの女の人が集まってくる。

「花穂ちゃん久しぶりね。まあ、娘さんらしくなっちゃって」
「彼ができたんだから当然よね」
「ねえ、わたしたちにも紹介してよ」
「はじめましてお兄さん。花穂ちゃんとはどこでお知り合いに?」

 わ、わ、わ――。
 和服姿の女性が何人も、わたしたちふたりを取り囲む。
 わたしは、困りながらも笑顔になるけど。
 先生を見ると、かわいそうなくらい戸惑っていた。

「おばあちゃんのお花のお友達です」

 わたし、こっそり耳打ちする。

 みんな、おばあちゃんと同じお花の先生。
 何人かはうちの近くに住んでいて、〈Flower Days〉のお客さんでもある。
 お店で、おばあちゃんの家で、華展で。
 何度も会ってお話している、顔見知りの人たち。
 30代の若い先生から、おばあちゃんぐらいの人までさまざま。

「船戸和臣です。花穂さんとは、お店で」
「まあまあ、お客さんだったの」
「花穂ちゃん、看板娘だものねえ。いつか見初められると思ってたわ」
「それで船戸さん、おいくつ?」
「花穂ちゃんよりずいぶん大人よねえ。お仕事は?」
「いつからお付き合いしているの? 花穂ちゃん」

 それから数十分間。
 苦笑するわたしと、仏頂面になった先生は。
 次々と迫ってくる質問に、せっせと答えていた。


「ごめんなさい、先生」

 わたしがそう言ったのは。
 華展を出て、駅に向かう帰り道。
 隣を歩いていた先生は。
 少しびっくりした顔で、こう聞いた。

「何が?」
「質問ぜめにあわせちゃって。困ったでしょう?」
「確かに参ったな。すごい勢いで聞いてくるから」
 先生は、本当に参ったという顔で。
 でも少しおいてから、付け加えた。
「でも、いい人たちだな」
「はい。素敵なお友達です」

 本当はね。
 ちょっとだけ。
 ううん、すごく、嬉しかったの。
 〈花穂ちゃんの彼〉とか、〈お付き合いしている〉とか。
 他の人に、はっきり言ってもらったの、はじめてだったから。

「あ、それからもうひとつ」
「何だ?」
 わたしは、先生を見上げて付け加える。
「今日は華展に来てくれて、ありがとうございました。わたしにあわせて付き合ってくれて」

 『好き』って。
 先生が言ってくれてから、もうすぐ一月。
 でも実は、これがはじめてのデートだったの。
 あれからすぐに新学期がはじまって。
 先生はお仕事に。
 わたしは、お店と学校に忙しかったから。

「いや……けっこう楽しかった」
「ほんと?」
「よくわからないけど、花はきれいだと思ったし。それに……」
「それに?」

 少し詰まった先生に、首をかしげる。
 先生は、少しだけ赤くなっていた。

「おまえらしいし」

 くすぐったい言葉って、こういうのかな。
 わたしは、えへへと笑って。
 歩きながら、少しだけ先生に寄り添ってみる。

「先生?」
「何だ」
「手、つないでいいですか?」

 先生は、思案するように前を見てから。

「だめ」

「――え」

 わたしは凍りついて、寄り添った体を元に戻す。

「……うそ。冗談だよ」
「何それっ。何で、そんなこと言うんですか!」
「いいですかって聞くから、つい、だめって言ってみたくなった」
「意地悪ですね」

 ほっぺたをふくらませるわたし。
 その手に、ふいに、あたたかいものが触れた。
 見るとわたしの手を、わたしのじゃない手が包んでいて。
 ぴんと張りつめた冬の空気の中。
 そこだけが、びっくりするくらいあったかかった。

 寒さは続くけれど、春はすぐそこ。
 新しい蕾が、芽を出そうとしている。


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