Flower Days [ 11 ]
Flower Days

11.Cyclamen
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 クリスマスが終わって。
 大晦日。
 お正月。
 短い冬休みが過ぎていく。
 あれから、先生とは一度も会えない。

 そして今日は、1月上旬。
 冬休み最後の日。

「花穂? 起きてる?」

 引き戸を開けて、花菜ちゃんが入ってくる。
 花菜ちゃんは大学が補講期間で、2日前から帰ってきていた。
 今回も突然で、お父さんを怒らせていたけどね。

「どう? 熱は」
 花菜ちゃんが、ベッドの側で聞いてくれる。
 わたしは横たわったまま。
 重い頭を、そちらに向ける。

 お正月の途中から。
 わたしは風邪をこじらせて、寝たり起きたりをくりかえしていたの。

「うん……だいぶ下がったみたい」
「ほんと。もう一息ね」
 花菜ちゃんの手がおでこにふれる。
「お見舞いに来てくれた人がいるのよ。その様子なら会えるね」
「お見舞い?」

 誰だろう。

 わたしが問いかえせないうちに。
 花菜ちゃんはふふと笑って、部屋を出ていく。

 お店の裏側と2階の全部が、わたしたちのおうち。
 〈Flower Days〉は、可愛らしい洋風の外装だけど。
 家は和洋ごちゃまぜの、よくある民家。
 2階にあるわたしの部屋も。
 たたみの上にじゅうたんを敷いて、その上にベッドを置いてる。

 階段は部屋の前にあるから、人が上り下りするのがすぐわかる。
 今も、ほら。
 1階から上ってくる、足どりの音。
 花菜ちゃんは下で待ってるのかな。
 足音の持ち主は、ひとりしかいない。

「どうぞ」

 ノックの音に答える。
 ベッドの上で、ごそごそと起き上がりながら。
 がらりと戸が開く。

「あ」
「え」

 現れた人物と、顔を見合わせて。
 ふたりの声が、同時に音を出す。

「せん……」
「久しぶり」

 先生が、わたしの部屋に入ってくる。
 わたし、あわてて自分の姿を見下ろした。
 パジャマ、汚れてたりしないよね?
 どうしよう。
 ずっと寝てたから、髪なんてぼさぼさ。

 そんなこと考えているうちに。
 先生は歩いてきて、ベッドの側に立ち止まった。

「……あけましておめでとう」
 先生が、無表情のままそう言う。
 わたしは思わず、ベッドの上で顔を背けた。
 だって、なんだか、顔を合わせられない。
 あんなことがあったのに。

「風邪はどうだ?」
 先生が聞いてくれるけど。
 わたしは、振り向けないまま。

「これ、お見舞い」

 先生の声とともに。
 視界の端に、鮮やかな色が映った。
 深いピンクと、ちょうちょみたいな花びらの形。

「外で何か買おうかと思ったんだけど、何がいいか思いつかなくて。ここに来たらこれがいっぱい並んでたから、お姉さんに売ってもらった」

 冬の鉢花の女王様、シクラメン。
 うちでも毎年、たくさんの種類が並ぶ。

「聞いてるか?」

 先生が、しびれを切らしたみたいに言った。
 わたしは返事もしないで。
 ずっと、部屋の壁を見つめている。

「……この間は、悪かった」

 心臓が跳ね上がる。
 でも、それに気付かれないよう必死で黙る。

「おい」
 不機嫌な声が飛んでも、黙っている。
「こっち向け」
 命令されても、黙っている。
「怒ってるのか?」
「……怒ってません」

 だって、まともに顔を見られないんだもん。
 好きですって言ったのに。
 すごくどきどきしてたのに。
 先生は、本気にしてくれなかった。
 ううん。
 本気にしてもらえると思ったほうが、おかしかったんだよね。
 わたしは子供。
 すねて帰っちゃったりして、本当に恥ずかしい。

 でも、先生。
 なぐさめに来ただけなら、もう何も言わないで。
 しょうのない子をあやしに来ただけなら。
 放っておいてもらったほうが、ずうっといい。
 お願いだから。

「……先生」

 沈黙がつらくなったわたしは。
 とにかく何か話そうとして、ふと視線をずらした。
 先生の手にあるシクラメンの鉢植え。
 飛び出したのは、とても可愛げのない言葉。

「その花、お見舞いに持ってきちゃいけないんですよ」

「――えっ?」
「鉢植えには根っこがあるから、病床に〈寝付く〉とかけて、縁起が悪いって言われるの」
「……」
「良かったですね。上司さんとかのお見舞いじゃなくて」

 顔を見ないまま、いつもより低い声を出す。
 ほら。
 なぐさめがいもない、ひねくれた子供でしょう?
 だから、もう帰って。
 これ以上、わたしを嫌な子にさせないで。

 だけど。

「この花、嫌いか?」

「――大好き!」

 とっさに振り向いて、叫ぶ。
 毎年シクラメンがお店に並ぶと、冬だなあって気がする。
 瑞々しい緑の葉っぱも。
 かがり火と呼ばれる、不思議な花の形も。
 みんな印象的で、大好き。

「それなら、良かった」

 ……あ。
 何やってるんだろう、わたし。
 条件反射に叫んで、振り向いて、
 絶対に見たくなかった顔、見合わせちゃった。

「そのまま聞けよ」

 先生は苦笑して、わたしを見つめる。
 2週間ぶりに見る、先生の顔。
 やっぱりなつかしい。
 やっぱり、大好きだよ。

「この間は……ごめん。ごまかしたりして」
「……ごまかした?」
「ちゃんと、言われた意味はわかってた。でもとっさに言葉が出てこなくて、つい」

 先生の口調は、いつもより少しだけ早い。
 こっちを向けって言ったくせに。
 自分は、視線をそらしてわたしを見ない。

「先生?」

 ベッドの上から見上げて、聞いてみる。
 先生は、シクラメンを床に置いて。
 わたしの側まで歩いてきた。

「はじめて会った時、チューリップ、売ってくれただろ」
「はい……」
「あの時も、花のことばっかりひとりで話し続けてたな。なんだこいつって思ってた」

 ぐさっ。
 その言葉、少しだけ痛いよ。

「おれはもともと、花には大して興味がないんだ」

 わたしが傷ついているのも知らず。
 先生は、淡々と話を続ける。

「あんたにいろいろ教えてもらうのも、楽しくないわけじゃなかったけど、正直言って毎日通うのはしんどかった」
「はい……?」
「教えてくれるのが、あんたじゃなかったら」

 え?
 先生、いったい、何が言いたいの?

「わからないのか?」

 先生が身をかがめる。
 会いたくなくて、会いたかったひと。
 その顔が、ぐっと近くにある。

「好きだ」

 つぶやかれたのは、たったの3文字。
 だけど、それだけで。
 わたしは完全に、金しばりにかかっていた。

 信じられない。
 信じられない。
 これが夢じゃないって、どうやったら自分に言い聞かせられる?

「いつから、ですか?」

 やっと聞けたのは、それだけ。
 先生は、不機嫌そうにしながらも、
「たぶん――例のチューリップの時から」
「え」
「でなきゃ、知り合ったばかりの高校生を職場に連れて行ったり、友達にすすめられただけでクリスマスに誘ったりしない」

 あの時も。
 あの時も。
 舞い上がっていたのは、わたしだけじゃかったの?
 心の中に咲いた花を。
 大事に育てたかったのは、わたしだけじゃなかったの?

「花のことなんて、本当は二の次だった。あんたが教えてくれるから、こりずに毎朝寄り続けたんだ」

 長い台詞の語尾は、ほとんど投げやりだった。
 よく見ると、先生の顔。
 ほんの少しだけ、赤くなってる。

 このひとだ。
 わたしが、会いたかったひと。
 ずっとずっと、伝えたいことがあったひと。

「先生」

 近くなった顔を、もっと近づけて。
 わたしはやっと、笑う。

「好きです」

 本当に伝えたかった言葉。
 今なら、まっすぐ顔を見て言える。
 先生も、まっすぐに返してくれる。

「――おれも好き」

 花たちの多くが眠る、寒い冬。
 ひときわ鮮やかな、シクラメンのかがり火に照らされて。

 わたしの花は、満開を迎えました。


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