Flower Days
9.Lily of the Valley
「あ、スズランが来たね」
いつもの朝。
いつものお店。
いつものあきちゃんが、わたしにそう言った。
「うん。昨日届いたの」
「またこんなにたくさん? でも可愛いよね。あたし、花の中でいちばん好き」
「えー!」
あきちゃんの言葉に。
わたし、ちょっとだけびっくり。
「……何よ。意外?」
「だ、だってあきちゃんはどっちかって言うと、ガーベラとかハイビスカスとか、華やかで存在感のあるお花のような……」
「スズランみたいに楚々とした花は似合わないって?」
「そんなこと言ってないよー」
口をとがらせるわたし。
あきちゃんは、くすりと笑って。
側にあった、スズランの鉢植えをのぞき込んだ。
わたしの両手に載るくらいの、小さな鉢。
大きな葉っぱに守られるようにして。
白い鈴が、可憐に揺れている。
愛らしいスズランの花。
名前には〈蘭〉が付くけど、本当は百合の仲間。
清楚なこの姿を見れば、それも納得できるよね。
「本当に可愛いね。このちっちゃい花がいっぱいくっついてる感じとか」
身をかがめて、あきちゃんが言う。
「でしょでしょ? ドイツスズランなの。鉢が小さいからプレゼントにもいいでしょう? ラッピングもうちでするよ」
「またはじまった。あたしに商売しても売れないってば」
「知ってるもん。でもあきちゃん、本当にスズランがいちばんなの?」
「そうよ」
あきちゃんは言って。
かがめた背を、元に戻して。
「特に花言葉が好き」
そう、言い残した。
「それより花穂。最近、『先生』とはどうなの?」
「……えっと」
わたし、ちょっとだけ言葉につまる。
だって。
どうなの? って言われたって。
「……よく、わからない……」
「わからない?」
「なんだか、天に昇ったり奈落に落ちたりを、くりかえしてるみたい」
そう言って、わたしは。
この数ヵ月のことを。
先生とのことで、起こった出来事を。
ひとつひとつ、あきちゃんに話しはじめた。
はじめての恋は、素敵なことばかりじゃなくて。
苦いもの、冷たいもの、みにくいものも含んでいて。
「ほんと、天国と地獄を何往復もしてるね」
「しみじみ言わないでよう」
「で? これからどうするの?」
「どうするのって……」
「いつまでも立ち止まっていることはできないのよ、花穂。そろそろどちらかを選ぶの。前に進むか、後ろに戻るか」
後ろに、戻る?
この恋を手放して。
先生を忘れて。
何もなかったころに、戻る?
「……戻れない」
気がついたら、わたし。
何も考えずに。
あたりまえみたいに、つぶやいていた。
「前に、進みたい」
「――よし」
あきちゃんは、隣でうなずいて。
「花穂のために、友達想いのあたしが一肌脱いであげよう」
「えっ?」
あきちゃんが、そんな意味深なことを言ったのは。
いつの間にか秋が通り過ぎていたころ。
冬の、はじまり。
1年の終わりは、どこのお店も忙しい。
お花屋さんも同じ。
特に〈Flower Days〉みたいに、
凝り性の店長さんがいるとね。
「今年のクリスマスはどうしようか、花穂?」
「また何かやるの?」
「だって楽しいだろう?」
子供みたいに笑うお父さん。
自分がいちばん楽しいくせに。
クリスマスは、どのお店もいわゆる稼ぎ時。
うちも毎年、特別なことを考えるんだよ。
「そろえるのはポインセチアに、ヒイラギに、クリスマスローズでしょ。去年のミニツリーはけっこう好評だったよね。今年もあれにする?」
「いやいや、同じじゃつまらないだろ。花穂、何か考えて」
「えー、わたし?」
「ごめんなさい、おじさん。花穂はクリスマスは忙しいの」
っていうのは、わたしの台詞じゃない。
どこからかの乱入に。
顔を上げてきょろきょろすると。
あきちゃんが、お店の前に立っていた。
隣に、別の人を並べて。
「先生……」
わたしが、思わずつぶやくと。
先生はどこか気まずそうに、小さく会釈してくれた。
「章子ちゃん、おはよう」
「おはようございます、おじさん」
「さっきのはどういう意味? 花穂、クリスマスは章子ちゃんと約束してるのか?」
お父さんがわたしを振り返る。
「いいえ、違います」
と答えたのは、やっぱりあきちゃん。
「花穂を貸してほしいのは、あたしじゃなくて」
あきちゃんの、視線が動く。
「この人です」
――え。
あきちゃんの目が、示す先には。
一緒に現れた、先生が、いた。
「ええと……」
不思議そうにしているのは、お父さん。
先生とは面識がなかったもんね。
先生は、小さく頭を下げる。
「船戸和臣です。花穂さんにお世話になった、小学校の……」
「ああ。先生ですね。娘が夏休みにお邪魔した学校の」
「花穂さんに来ていただいて助かりました。子供たちもすごく喜んで。それで、遅ればせながらお礼がしたいと」
「はい?」
「ですから」
先生は、あきちゃんの隣から一歩出て。
今度は自分の口から、それを告げた。
「花穂さんを、クリスマスイブに貸してください」
――これは、夢?
「そうですか。そういうことなら……」
お父さんはのんびりと笑って。
わたしのほうに向き直った。
「よかったな、花穂。イブは店はいいから、先生や子供さんたちと楽しんできなさい」
そのまま、嬉しそうにお店の中に入っていく。
「あの……」
わたしは、まだ夢の中みたいな気持ちで。
先生を見て、こう尋ねた。
「お礼っていうのは、学校でですか? クリスマスも何か行事があって、それに……」
「違う。おれの勝手な時間外労働だよ」
むすっとした顔。
ああ、なんだか久しぶり。
先生と、向き合ってお話してる。
「適当なとこを探すから……よかったら、一緒に行こう」
冷たい風。
冷たい空。
それでも、わたしの中には。
新しいお花が、またひとつ開く。
「じゃあ花穂、あたし今日は先に行くね」
そう言って手を振ったのは、あきちゃん。
去りぎわに、一瞬だけVサインを見せて。
『花穂のために、友達想いのあたしが一肌脱いであげよう』
「あの、先生。あきちゃんとはどこで……」
「すぐそこで捕まった。あんたの友達だって言ってたから」
これは、あきちゃんからのプレゼントだ。
先生と過ごすクリスマスイブ。
あきちゃんが、わたしのために用意してくれたんだ。
『でもあきちゃん、本当にスズランがいちばんなの?』
『そうよ』
『特に花言葉が好き』
ありがとう。
本当に、あきちゃんはスズランだったね。
だって。
だってね。
スズランの花言葉は。
〈幸せがやってくる〉――。
Copyright (C) Kizugawa Yui.All right reserved.