Flower Days
8.Pink
夏の間より、ずっと深くなった空。
制服のシャツも長袖に変わった。
それでも、朝と夕方は寒いくらい。
紺色のブレザーを再び羽織るのも、きっともうすぐ。
春のお花が、ふわふわのパステルカラーなら。
秋のお花は、目に染み込むような深い色ばかり。
コスモス、なでしこ、フリージア。
水仙にクロッカス、ラナンキュラス。
「おはよう」
お店の前で。
お花たちにそう言って、わたしは微笑む。
お花は、人の心を知っている。
がさがさした気持ちで世話しても、きれいには咲いてくれない。
たくさんの愛情を込めて、大事にゆっくり育てれば。
いちばんきれいなお花を、素直に咲かせてくれる。
わたしはお店を見回して。
秋のお花たちに、ひとつひとつ目を配る。
うん。
今日もみんな、きれい。
7時40分。
もうすぐ先生が、来る。
今までは、きっちり45分だったけど。
最近、少しだけ早いんだ。
ほんの1分でも2分でも。
それだけ、先生と長くお話できる。
これって、期待してもいいのかな。
先生が、早く来るようになったのは。
ただの気まぐれ?
先生と過ごせる時間が、のびて。
嬉しいのは、わたしだけ?
「――わあっ、きれい!」
突然割り込んだ、高くて澄んだ声。
わたしは、現実に引き戻される。
「あ、いらっしゃいませ!」
振り向いて。
そこに立っていたのは、若い女の人。
きれいな秋色のスーツを着て。
長い髪を揺らして。
「これ全部、花穂ちゃんが咲かせたの?」
「いえ、まさか。世話してるのはほとんど店長ですし、もともと開き済みのも――」
――あれ?
このひと、今なんて言った?
わたしのこと。
花穂ちゃんって、呼んだよね……。
もう一度、そのひとの顔を見つめる。
にっこり、彼女は微笑んでくれた。
お化粧はひかえめで、上品な感じの美人。
記憶にある顔と照らし合わせてみるけど。
お店の常連さんじゃない。
ましてや、わたしやお父さんの知り合いじゃ……。
「和臣くんの言ったとおりね」
そのひとが、急にそう言って振り向く。
わたし、呆然。
かずおみくん?
「……くん付けしないでくださいよ」
うんざりした顔で、彼女の隣に立ったのは。
船戸和臣さん――先生。
「だってー、まだ可愛い後輩って感じが抜けないんだもの」
「もう社会人ですよ」
「先輩から見ればまだまだひよこよ」
二人だけで進んでいく会話。
ふと、わたしに視線を戻してくれたのは、女の人のほうだった。
「ごめんね、花穂ちゃん。いきなりでびっくりしたよね」
「いえ……」
「私、和臣くんと高校が一緒だったの。この春から偶然、同じマンションに住んでて。和臣くんが、すっごく可愛いお花屋さんと知り合いになったって言うから、私も会いたくなっちゃって」
高いけれど落ち着いたメゾソプラノ。
すらすらと、でもおっとりとした、可愛らしい話し方。
その声が、何度も口にする。
和臣くん……。
先生の、名前。
「私もお花が大好きなの。それ、なでしこでしょう?」
可愛い女の人は、わたしの側のプランターを指差す。
「は、はい」
「秋の花ね。すごくきれい」
「あ、ありがとうございます……」
深いピンクのなでしこの花。
冷たい空気にさらされても、凛として咲いている。
大和撫子の名前そのままに。
品が良くて、それでいて可愛らしい花。
「花穂ちゃん、高校生なんでしょう? なのに立派なお花屋さんで、すごいね」
「いいえ……」
「和臣くんから聞いて想像してた通り。こんな可愛い子と知り合ったなんて、どうしてもっと早くおしえてくれなかったのよ」
言葉は責めているけど、あくまで笑顔。
ふわふわと、優しくて柔らかい態度を崩さない。
上品で、だけど気取ってなくて。
お嬢さんらしいけどしっかりしている。
大人っぽいけど、少女みたいに可愛い。
そう、まるで。
なでしこみたいな女の人……。
「――時間」
横から、先生の声が差し込んで。
わたしは一気に、現実に引き戻される。
先生との朝のやりとり。
いつもあっという間だけど。
今日は、ほとんど何も話せなかった。
「本当。行かなくちゃね」
撫子さんが、時計を見ておっとりと言う。
わたしは、先生と何も話せなかったのに。
撫子さんは、先生と一緒に歩いていくんだ。
わたし、何を考えてるの?
目の前にいる撫子さんが。
きれいで優しい、こんなに素敵な女の人が。
憎らしいと思うなんて。
「それじゃ」
「またね、花穂ちゃん」
ひとつずつ言葉を残して。
先生と撫子さんは、並んで離れていく。
スーツ姿の大人がふたり。
わたしには、届きそうにない後ろ姿。
どうしちゃったんだろう。
側にあるなでしこの花は、変わらずきれい。
でも今は、なぜか目に痛いの。
お花を見ても、心が晴れないなんて。
胸にぶあつい雲がかかったみたい。
わたし、今。
自分がすごく……嫌い。
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