Flower Days [ 7 ]
Flower Days

7.Cosmos
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 小さいころ、夏休みが過ぎるのはあっという間だった。
 高校生になっても、それは変わらない。
 長くて短い夏が終わると。
 空が深くなって、秋がやってくる。
 お花たちの第2の季節。

「はーあ」

 鉢植えを並べて、思わずため息。
 朝のお店の前なのに。
 どうしても、もやもやが消えてくれない。

「はーあ」

「どうした、花穂」
 お店の奥から、お父さんが顔を出す。
「センチメンタルになって」
「……秋だもん」
「そうだなあ。でもお客さんの前でため息はよせよ」

 そう言って、〈Flower Days〉の店長さんは。
 わたしが並べた、背の高い鉢植えに目を移す。

「コスモスはこんなにきれいなんだから」
「……はーい」

 秋のお花といえば、なんといってもこれ。
 ピンク、赤、白、オレンジ。
 薄い花びらに細い茎。
 可憐に見えて、芯は強い花。
 〈秋の桜〉ことコスモスは、
 その名のとおり秋の花のヒロイン。

 ……こんなにきれいなのに。
 眺めていても、わたしの心は晴れない。

 夏休み。
 先生に連れて行ってもらった小学校。
 すっごくすっごく楽しかった。
 だけど、悲しい気持ちにもなったの。

 子供たちと一緒の先生の笑顔。
 わたしの知らない先生が、他にもたくさんいる。

『この人は、先生の彼女じゃない』

「……はーあ」

 なんて。
 店番も忘れて、ぼうっとコスモスを眺めていたとき。
 隣に、人影があることに気が付いた。

「いらっしゃいませ――」

 慌てて笑顔を作って、顔を上げる。
 その、瞬間。

「きゃー、花穂っ!」

 がばっ。
 わたしの前に、その人影がかぶさってきた。
 正確に言うと、抱きつかれたってこと……。

「あ、あの……」
「会いたかったぁっ、わたしの可愛い花穂ちゃーん!」

 離れようとして、はっと気が付く。
 このよく響くソプラノボイスは。
 わたしにくっついている、長い茶色の髪は。
 そしてこの、ふんわりしたお花の香りは。

 慌てて体を離して、相手を見る。
 見覚えのある顔が、わたしににっこり微笑んだ。
 わたしによく似てる。
 けれどちょっとお化粧が濃くて、大人っぽい顔立ち。

「――花菜(かな)ちゃん! 帰ってきたの!?」
「そうよっ。久しぶりね、花穂ー!」

 高い声を弾ませて。
 彼女はもう一度、わたしに抱きついた。

 小林花菜ちゃん。
 〈Flower Days〉の店長さんの上の娘。
 つまり、わたしのおねえさんです……。


「帰るなら電話のひとつくらいしなさい、花菜!」

 朝のお店の奥。
 めずらしく、お父さんの叫び声が響く。
 だけど、叫ばれた花菜ちゃんは知らん顔。

「いーじゃなーい。驚かせたかったんだもん」
「夏休みにも帰らないと思ったら、今ごろになって急に!」
「大学はまだ夏休みだもーん。8月はずっとバイトだったから、やっと休みもらえたのよ」

 花菜ちゃんは、わたしより4つ年上。
 隣の県の大学に通って、ひとり暮らしをしている。
 大学もバイトも、……恋愛も忙しいみたい。
 めったに帰ってこなくて。
 たまにひょっこり現れては、お父さんを怒らせている。

「花菜ちゃん、香水変わってないね」

 いろんなお花を混ぜた、ほんのり甘い香り。
 これが家の中に漂うと、花菜ちゃんが帰ってきたなあって気がする。

「お花の世話には興味ないけど、咲いたお花を楽しむのは好きよ」
「それが花屋の娘の言葉か?」
「あらっ。お店は花穂が継ぐんでしょ?」
「花菜ちゃん、気が早い」
「そんなことより、花穂」

 花菜ちゃんは、そう言うと。
 ぐいっ。
 わたしの腕を引っ張って。
 お父さんから離れて、お店の前まで連れてきた。

「花菜ちゃん?」
「花穂、彼氏できたわね」
「え……」

 かれし?

「そんなっ! 彼氏なんて……」
「じゃ、候補がいるのね。片想い?」
「……なんでわかるの?」
「さっき声かける前から、ぴんと来たのよ。ユーウツそうな顔して、年ごろの娘さんになっちゃって」
「花菜ちゃん、おばさんみたい……」
「何か言った?」
「……言ってない」
「で、相手は誰? 同じ高校の子?」
「……」
「言いにくい相手なのね。店のお客さん?」

 ずきゅーん。
 胸の真ん中を撃ち抜かれたみたい。

「なっ、なんでわかっ……」
「あら、アタリ?」
「お父さんには言わないでねっ?」
「言わない言わない。花穂には昔からいろいろ助けてもらったし?」

 花菜ちゃんは、小さいころから恋する少女だった。
 小学校高学年からデートしてたんだよ。
 それから、高校を卒業して家を出るまで。
 アリバイ作りに協力したのは、もちろんわたしだった。

「それで? 告白はしたの?」
 コスモスの、ピンクの花びらをなでながら、花菜ちゃんが聞く。
「お花、傷めないでねー」
「だいじょぶよー。コスモスって意外としっかりしてるでしょう?」
「……告白は、まだ」
「してないの?」
「だって……自信ないもん」

 毎朝、ほんの少しお話しするだけのわたしなんて。
 しかも、7つも年下の高校生なんて。
 先生にとっては、学校の児童がひとり増えたようなもの。
 ううん。
 可愛かったあの子たちより、ずっと小さな存在なんだよね。

 花菜ちゃんにそれを伝えると。
「ネガティブねえ。何もしてないのに、ひとりで悩んで」
「花菜ちゃんにはわかんないよっ」
「あら、わかるわよ。片想いの時って、みんなそんなもんよ。勝手に悪いほうにばっかり考えちゃうの」
 わたし、びっくりして花菜ちゃんを見る。
「……花菜ちゃんも?」
「あたりまえでしょ」
「だって、わたしよりずっと小さいころからモテモテで、彼氏さんも次々にできて、いつもデートの予定で埋まってて」
「あのねー。わたしが好きになった人みんな、ほっといても向こうから寄ってきたとでも思ってるの?」

 目をぱちくりさせるわたし。
 花菜ちゃんは、にっこり。
 きれいにお化粧した顔を、笑顔に変えた。

「だいじょうぶ。花穂は強いから。菜っぱじゃなくて穂だから」
「……ほ?」
「稲穂の穂。細くてか弱そうに見えるけど、風が吹いても倒れないでしょ」

 花菜ちゃんは、そう言って。
 なでていたコスモスの花を指差した。

「コスモスも、穂に似てるわね。こんな可愛い花で茎だって太くないのに、風に負けない」
「だって、秋の桜だもん」

 日ざしも風も、春みたいに優しくない。
 厳しい冬の足音が聞こえる秋。
 お花たちはそんな中、第2の季節を迎えるの。
 その中心にいるコスモスが、見かけほど弱々しいはずがない。

「だから、花穂もだいじょうぶ。ちょっとくらい風が吹いたってね」
「……花菜ちゃん」
「何?」

 花菜ちゃんの真似して、ピンクの花びらをなでてから。

「あのね、菜っぱだって強いよ。強くて、優しいよ」
「……」

 一瞬の沈黙の後。
 花菜ちゃんは、吹き出して。
 さっきみたいに突然、わたしに抱きついた。

 コスモスの花言葉は、乙女のまごころ。
 いろんな花言葉の中でも、わたしがいちばん好きなもの。
 可愛くて、優しくて、芯の強い秋の花。
 わたしたちも、そんなふうになれたらいいね。

「ありがとう、おねえちゃん」

 わたし、風が吹いてもがんばるよ。


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