Flower Days
6.Sunflower
朝のお店に出ているわたしの格好は、
制服の上に白いエプロン。
肩まである髪は、邪魔にならないよう後ろでひとまとめ。
でも今日は、おろした髪を何度もブラッシングした。
パステルピンクの五分そでシャツに、あわい色のジーンズ。
8月最初の、晴れた月曜日。
海の底にいるみたいな広い空。
おっきなお日さまが、街を焼くみたいにじりじり照りつけてる。
今日は、先生と一緒に学校に行く日。
8時15分。うん。
約束5分前。
遅すぎず早すぎず、ちょうどいい時間だよね。
時計を見ていると、胸がどきどきしてくる。
先生、もう来てるかな。
どんな格好で来るのかな。
わたし、本当に、一緒に行っていいのかな。
どきどきどきどきどき。
1歩進むたびに、速くなる心の足音。
どきどきどきどきどき。
駅の改札と、切符売り場が見える。
その前に、見間違えられないひとりの顔。
「――先生」
呼びかけると、先生はわたしに気付いて手を上げた。
いつものスーツ姿じゃない。
黒いシンプルなTシャツに、清潔なジーンズ。
うわー。
全然、雰囲気がちがう。
「おはようございます」
「……ああ」
相変わらず、ぶっきらぼうな返事。
服がちがっても、変わらない。
ちょっとだけ緊張がとけて、胸があったかくなって。
わたしは、くすくす笑ってしまう。
「じゃあ、今日はよろしくお願いします」
「……」
先生の目が、わたしの前で止まっている。
「……先生?」
どきどきしながら呼びかけてみると。
「……ああ」
よくわからない返事をしながら、先生は目をそらした。
何?
わたしの顔、何か変?
思わず、不安になってしまう。
「……ごめん。ちょっと意外で」
「はい?」
「その、髪」
「かみ?」
先生は、そらした目を気まずそうに戻して。
「……いつもは束ねてるから」
「……」
またひとつ。
心の中に花が咲く。
「じゃあ、切符買おう」
先生は、背中を見せて改札へと歩き出した。
ねえ先生、知ってる?
そうやって、ひとこと言ってもらえただけでね。
わたし、すっごく嬉しくなるんだよ。
朝からがんばって、きれいにとかしてきてよかったって。
じたばたするくらい、幸せになれちゃうんだよ。
*
「あー、先生のカノジョだっ!」
――えっ?
先生に連れられて、小学校の校庭に入るなり。
元気いっぱいのそんな叫びが、わたしを迎えてくれた。
「かのじょ……?」
「こらー、騒ぐなよ」
先生は、もう〈先生〉の顔になってる。
素朴なレンガで囲まれた、小さな花壇。
その前に4人の子供たちが集まって、わたしと先生をはやし立てていた。
「うわーっ。ほんとだ、カノジョだー」
「ひゅーひゅー」
「先生、紹介してよー!」
わたしの顔、きっと真っ赤になってる。
10歳から12歳くらいかな?
Tシャツにショートパンツ姿の、元気のいい子供たち。
「こら、失礼なこと言うんじゃない」
大喜びの子供たちを前に。
先生は、いたって冷静な声で告げる。
「この人は、先生の彼女じゃない」
ちくり。
わたしの胸に、小さなトゲが刺さる。
本当なんだけど……。
本当に、彼女なんかじゃないんだけど……。
「このおねえさんは、花屋さんだ。みんなに花のことを教えに来てくれたんだぞ」
「は、はじめまして!」
先生にうながされて。
わたしははじめて、子供たちの前に立つ。
「小林花穂です。えっと、お花屋さんって言っても、まだ高校生なんだけど……。今日はみなさんと一緒に、お花の世話をさせてください」
「カホ先生、しつもーん」
背の高い、上級生らしい女の子が手を上げる。
「船戸先生とは、いつから付き合ってるんですか?」
再び、子供たちの間で歓声が上がる。
「いい加減にしなさい。小林さんに失礼だろ?」
先生は、相変わらず冷静な声。
小林さん……。
事務的な呼び方が、ひりひりしみる。
そういえばわたし、先生に名前を呼んでもらったことって、一度もないんだ……。
「じゃあ、仕事するぞ。まずは雑草抜きだ」
先生のひと声で、子供たちもわたしも現実に戻る。
いけない、いけない。
今日は、花壇委員のお手伝いに来たんだから。
「ねーねー、カホ先生っていくつですか?」
花壇の雑草を抜きながら。
さっきの女の子が、わたしに声をかけてきた。
「15歳だよ。高校1年生」
「じゃあ、わたしと4つしか変わらないんだ」
「なのにいろいろ知ってて、すごーい」
子供たちの素直な言葉に。
わたし、思わず照れ笑いしちゃう。
雑草を抜くときの注意や、ひとつひとつのお花の種類。
少し教えてあげるだけで、みんな素直に喜んでくれる。
本当に可愛いんだ。
「よし、草むしりはこれくらい。次は水やりだ」
先生のかけ声。
子供たちが、走ってホースを運んでくる。
「きゃー、冷たいっ!」
女の子のひとりが笑って叫ぶ。
ホースを持った男の子が、みんなにシャワーを向けたんだ。
「涼しくていいだろ。くらえー!」
「やだーっ。カホ先生、助けて!」
「あはは。みんなびしょぬれ」
青空の下にひるがえる、水のカーテン。
降りそそぐ光が、その中に虹の橋をかける。
「こら。水は人じゃなくて花にかけるんだよ」
先生はそう言うと。
暴れん坊の男の子の後ろから、ホースを奪った。
水の方向がめちゃくちゃになって、また女の子たちが悲鳴をあげる。
「せんせー、へたくそっ!」
「なんだと。今度はお前の番だ」
「ぎゃー、やめてっ!」
まるで、先生も子供のひとりみたい。
やんちゃな小学生たちと一緒に、
走り回って、叫んで、笑って。
だけど、その時。
わたしは、ひとりだけ取り残されたように立ち尽くしていた。
先生は、あんなふうに笑うの?
子供みたいに、楽しそうに、嬉しそうに。
心からの笑顔。
わたし、あんな顔、見たことない……。
「ねえ、カホ先生?」
女の子の声に、はっとする。
気がついたら、水遊びは終わっていて。
ホースの水は、花壇のヒマワリにまっすぐ向けられていた。
「な、何?」
「ヒマワリって、太陽を追いかけるんじゃないんですか? このお花、全然ちがうほうを向いてるけど」
女の子の言うとおり。
花壇に並んだヒマワリたちは、太陽に背を向けていた。
「ああ、それはね」
わたし、気を取り直して説明する。
「ヒマワリが太陽に向かって咲くのは、本葉のころから蕾までの間なの。お花が開いたら、追いかけるのをやめちゃうんだ」
「えー、なんかショック。ヒマワリの花って、太陽に恋してるみたいな感じだったのに」
太陽に恋してる……。
わたしも、お父さんからこの話を聞いて。
少しだけショックだったのを覚えてる。
太陽を追いかけるヒマワリの花。
好きな人は、高い高い空にいて、届かない。
それでも1日中、目で追ってしまうの。
太陽が西に沈んだら。
ヒマワリは、夜の間に東に向き直る。
明日また会えるのが、待ち遠しくてしょうがないの。
なのに、お花が咲くと追いかけなくなってしまう。
どうして?
わたしは、もう一度、先生を見る。
子供たちと笑い合ってる、わたしの知らない先生を。
あのね。
わたしは、いつまでも追いかけちゃうよ。
遠くても、手が届かなくても。
会いたくて、顔が見たくて。
いつまでも、しつこく追いかけちゃうよ。
ねえ先生、気付いてる?
わたし、あなたのことが好きなんだよ。
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