Flower Days [ 5 ]
Flower Days

5.Morning Glory
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「朝顔は、咲いたその朝のうちに枯れちゃうんです。だから早起きして、枯れる前に見てあげなくちゃ」

 〈Flower Days〉の前で、今朝もお花の講義。
 お相手は、〈先生〉。

 船戸(ふなと)和臣(かずおみ)さん、22歳。
 この春、大学を卒業したばかりの新米教師。

「そんなに、早く」

 先生の口から、少しの言葉がこぼれる。

「――枯れるのか」
「毎朝お花があるから、ずっと咲いているように見えるでしょう? でも、一度咲いたお花は、その日のうちにしか見られないの」

 お花の命は短いけど、朝顔は特にそう。
 早朝に蕾が開いて、日が高くなる前に枯れてしまう。
 朝寝坊していたら、あのきれいな色には出会えない。
 同じ花は、二度と咲かない。

「朝顔なら、小学校で育てたりしないんですか?」
「1年生が育ててた。3年は確か……」

 先生は、まだクラスを持っていない。
 3年生の副担任なんだって。

「ヒマワリですか?」

 わたしの言葉に、先生の目が丸くなる。

「なんで知ってるんだ」
「うちのお店、学校からの注文やご相談も受けてるんです」

 ふんわりと、ゆるむほっぺた。はずむ声。
 先生とお花の話をする時は、いつもこう。

 名前を知ってから1ヵ月。
 先生は変わらず、7時45分にお店の前を通る。
 変わったのは、自分から足を止めてくれるようになったこと。

 毎朝5分。
 ううん、それにも満たないくらい。
 わたしは先生に、お花の名前を教える。

「1年生が朝顔。2年生は、ヒヤシンスじゃないですか?」
「――おれよりよく知ってるな」
「ふふ。ヒヤシンスは水栽培でしょう?」
「……さあな。――あ」

 腕時計をのぞき込む先生。

「時間だ」

 その途端。
 風船みたいにふくらんだ心が、しゅるしゅるとしぼんでいく。

 この言葉を聞くのが、毎朝悲しくて。
 だけど次の日会えると、すごく嬉しい。

 1日1日を大事にしたい。
 5分にも満たない、この短いやりとりを。
 ひとつひとつの、先生の言葉を。表情を。
 大切に受け止めたい。

 この恋を、大切に育てたい。


「――ふしぎなの」

 歩道を歩きながら、わたしは、つぶやく。

「好きって気付いてから、毎日がすごく短く感じるの」
「それは、〈先生〉に会えるから?」

 お話を聞いてくれるのは、やっぱりあきちゃん。
 登校中、下校中。学校にいる間も。
 わたし、毎日、先生のことばかり話してる。

「なんだかね、朝顔みたい」

 今朝も咲いていた、透き通るような青い花。
 わたしが帰るころには、あの花はもう見られない。

「今日の先生には、今日しか会えない。先生が好きっていう気持ちは、今しかわからない。だから大事にしたいの」

 5年後、10年後。
 わたしは、もっと素敵な人に出会うかもしれない。
 もっと大好きな人に出会うかもしれない。

 でも今は、先生が好き。

 同じ朝顔が、二度と咲かないように。
 この恋は一度だけ。
 だから、枯らしたくないの。

「朝顔かあ。もうすぐ夏休みだね」

 ふいに、あきちゃんが空を仰ぐ。
 真っ青な空に、入道雲が広がっている。

「もう。あきちゃん、聞いてる?」
「聞いてるって。だから、夏休みでしょ? 〈先生〉は学校の先生なんでしょ? 毎日会えなくなるんじゃない?」

 ――う。
 本当にあきちゃんは友達想い。
 わたしが心配していたこと、ずばり言い当てちゃうんだから。

 先生は、お仕事前にお店に寄ってくれる。
 夏休みの間、小学生はもちろんお休み。
 先生はどうなのかな。
 お仕事の日もあるだろうけど、毎日じゃなくなるのかな。

 毎朝、たったの5分なのに。
 それさえも、なくなってしまうの?


 わたしの心配の答えが出たのは、次の日の朝のこと。

「夏休みも店番やるのか?」
「――え」

 意外にも、切り出したのは先生のほう。
 いつものように、鉢植えをふたりで囲んで。

 今朝も開いた朝顔の花。
 赤、青、白、紫。
 儚い命の夏の花たちは、本当にきれい。

「もちろんです。お休み中は朝夕だけじゃなく、1日中お店にいます」
「――そっか」
 先生は、いつものようにそっけない声。
 だけど、なんだろう。
 何かがつっかえてるような顔。

「どうしたんですか?」
「――」

 きれいな朝顔も見ないで、目をそらす先生。
 そのまま、唇がゆっくりと動いて。

「――やっぱり、休めないか」
「はい?」
「その――店、休めないか? 夏休み中、1回くらい」

 どうしたんだろう。
 ほんのちょっとだけ、顔が赤いのは気のせい?

「休めますよ?」

 そう答えた瞬間、

「そうか?」

 いきなりこっちに戻る、先生の顔。

「どうしたんですか?」
「うちの小学校に、花壇委員てのがあってな」
「はい?」
「夏休み中も、当番が水やりに通うんだ。おれもその監視で」
「そうですか……」

 平静をよそおいながらも、実は嬉しくて飛び上がりそう。
 夏休み中も先生は、お仕事に学校に行く。
 それだけ会えるんだって、思ってもいいよね?

「――で、その……来てくれないか?」
「え?」
「水やりに、一緒に来てやってくれないか。1回でもいいから」

 なんて言われたのか気付いたのは、たっぷり5秒は経ってから。

「……え? え?」
「だから、花のこととか教えてくれたら、児童も喜ぶし!」
 先生の顔が、どんどん赤みを増していく。

「……いいですよ?」

 むしろ、わたしが聞きたいくらい。
 一緒に行って、いいの?
 先生と、お店以外の場所で会えるの?

「お店はお父さんに任せられるし、わたしも行きたいです」
「――そうか」
 先生の顔から、すっと力が抜ける。

「じゃあ、詳しいことはまた今度」

 手を上げて、先生はわたしから離れていく。
 いつもは悲しい、おしまいの時間。
 今日だけは、夢みたいな気持ちでいっぱい。

「一緒に来てやってくれないか……」

 言われた言葉を、口の中でくりかえす。
 うん、夢じゃない。
 夏休み、先生に会えるんだ。
 先生と一緒に、学校に行けるんだ。

「やったぁ!」

「うわっ! 花穂?」
 外に出てきたお父さんが、驚いた声を出す。
 だけど、わたしは気にしない。
 両手を広げて、お店の前で飛びはねる。

 一度しか咲かない花。
 一度しかできない恋。
 ――だから、大切にしたいの。

 この気持ちを、枯らしたくないの。


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