Flower Days [ 4 ]
Flower Days

4.Rose
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 クレオパトラに、マーメイドに、テディベア。
 楽園、羽衣、かざぐるまにいちばん星。
 プリンセス・ミチコにクイーン・エリザベス。
 ときめき、シルエット、アブラカダブラ。

 これ、なんだかわかる?
 実は全部、バラの品種の名前。
 すごいでしょ?
 もちろん、今あげたのは、ほんの一部。

 バラもそうだけど、ランもチューリップもガーベラも。
 品種がたくさんあるお花は、名前も個性的で楽しいの。

 どうして急に、こんなお話をするのかっていうとね。
 うちの店長さんが、またいつもの癖を出しはじめたみたいなの。

「花穂、好きなの見つかったか?」

 お店の奥のレジに座るわたし。
 手元には、バラの写真がいっぱいのパンフレット。
 お父さんが、横からそれをのぞき込む。

「えっとね。この、〈ムーンシャドー〉ってきれい」
「コンクールで香りの賞をもらった花だな。いい香りがするぞー」
「ブルー系のバラって、あまり見かけないけど素敵なのが多いよね」
「そうか……よし、今年はブルーやオレンジなんかの、あまり知られてない品種中心でいくか」
「でも赤や白も捨てがたいなー。〈銀世界〉とか、真っ白でほんとにきれい」
「色だけじゃなく、形も見ろよ。小さい花なんて可愛いと思わないか?」
「思う! 〈アンジェラ〉や〈咲耶姫〉なんて、一見バラじゃないみたい」
「お客さんもきっとそう言うぞ」
「ねえねえ、この黄色のも素敵!」
「〈ピース〉か。いいなあ。あー、仕入れが楽しみだなあ」

 と、〈Flower Days〉親子の会話は続きます。

 春が過ぎて、もうじき梅雨が訪れようとしている季節。
 凝り性の店長さんとその娘は、今度はバラのコレクションをしようとしているの。
 しかも今度は、切り花じゃなくて鉢植えでそろえるんだって。
 お母さんはお店の帳簿とにらめっこして、頭を抱えてる。

 でも、わたしはとっても幸せ!

 バラは、お花の中のお花。
 庭園の女王様。
 あでやかな真紅のバラも、可憐なピンクのバラも、清楚なブルーのバラも。
 みんな大好き。

 素敵なお花を見つけたら、誰かにおしえたくなるよね。
 いちばん、大切な人に。
 それは友達だったり、家族だったり、おなじみのお客さんだったり。
 そして、時には……。

「あ」

 バラの写真から顔を上げて、外を見る。

「なんだ? お客さんか?」

 お父さんの言葉も放って、わたしは、外へ。
 お店の前に、少し背中を丸めて立っている、スーツの男の人。
 そういえば、もういつもの時間だ。
 でも、どうしたんだろう。
 いつも通り過ぎていくのに、今日はじっと、立ち止まってお花を見ている。

「おはよう……ございます」

 あいさつしながらも、ちょっとどきどき。
 あきちゃんのあの言葉が、頭の中をぐるぐる回ってる。

『恋でもしたか?』

「ち、ちがうっ!」
「な、なんだ?」

 いきなり頭を振るわたしに、あのひとが目を丸くする。
 いけない、いつも通りにしなきゃ。

「あの、お店に何か?」
 店員の顔に戻って、聞いてみる。
 本当にめずらしい。
 いつもは、わたしが呼び止めてやっと話してくれるのに。
 自分から足を止めて、並んだお花を見ているなんて。

「あのさ」
「はい?」
「花を……買おうと思って」
「え?」
 言いにくそうにつぶやかれて。
「あの……今から、お仕事なんじゃ」
「そうだけど。だから、その、仕事に」

 目をそらして、色とりどりのお花を見て。
 どもりながら、いっしょうけんめい、何かを伝えようとしてる。

 わたしは、思わずにっこり。
 胸の前で両手をあわせる。

「お仕事場に持って行かれるんですね?」
「ああ、そうだよ」
「どこに飾られるんですか?」

 このひとが、お花に詳しくないのはよく知ってる。
 だから目的を先に聞いて、それからお花を選んだほうがいいよね。
 仕事場ってことは……上司さんのお部屋や、会社の玄関かな?

 でもこのひとは、目元をけわしくして。
 なんだか、いつもより機嫌が悪そう。

「……」
「どうしたんですか?」
「……その、子供が……」
「え?」
「子供が喜びそうな花を、選んでほしい」
「こども?」
「……」

 気まずそうに、顔をそむけて。

「教室に飾るんだ」

 ……。
 少しだけ、沈黙。
 わたしの中で、何かがほどけていく。
 かたく閉じていた蕾が、ゆっくりと開くように。

「……先生なんですか?」
「そうだよ」
「小学校? 中学校?」
「小学校だ」
「じゃあ、あの時のチューリップも?」
「……覚えてたのか」

 彼は、わたしを見る。
 そしてまた目をそらして、少しだけ顔を赤くして。

「そうだよ。子供に見せようとしたんだ」

 花びらが、開いた。

 まるで、夜明けに目覚めたお日様。
 春に芽生えた小さな種。
 心の中にふわりと咲いた、小さなお花。

――子供に、見せようとしたんだ。

 お花なんかちっとも知らないくせに。
 このお店に来るのも、きっとすごく恥ずかしかったくせに。
 でも、新学期がはじまる前に、ここに来て。
 春らしいお花がほしいと言った、このひと。

「……新任で、子供とちゃんと話せるか心配で。チューリップでも見せたら……喜ぶかなって。でもあの日はまだ春休みで、入学式まで置いておこうとしたのにすぐに枯れて……って、なんだよ」

 気がついたらわたしは、くすくす笑っていた。

「じゃあ今日は、再挑戦するんですね?」
「……そうだよ」
「わたしが、おしえてあげます。素敵なお花も、それを長持ちさせる方法も」

 くすくすをにっこりに変えて、彼に向ける。

「その代わり、わたしにもおしえてください」

 バラの名前は知ってても、あなたの名前は知らないから。


 マーメイド、ムーンシャドー、咲耶姫。
 アンジェラ、かざぐるま、クレオパトラ。
 広い庭園に咲く、たくさんのバラの花たち。

 わたしの中にも、小さな蕾が花開いた。
 今ならわかる。
 心に咲いた、たったひとつの花の名前。

 わたしは、あなたが、好きです。


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