Flower Days [ 3 ]
Flower Days

3.Tulip
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 はじめて会った時のことは、今でもちゃんと思い出せる。
 あれはまだ、少しだけ寒さの残る、春のはじまり。


「お父さん。どうしたの、このお花!」

 大量の切り花が入ったバケツを見て、わたしは声を上げる。

「うん? まとめて仕入れてきたんだ。きれいだろう?」

 バケツの中は、形も色もとりどりのチューリップたち。
 同じ種類のものは、ひとつもない。
 それぞれに違う花。

「ほら、もう春休みだろう? 春の花といえば、まずチューリップじゃないか」
「だからって、こんなに何種類も?」
「お試し用だよ。いろんな種類を店に出して、お客さんの反応を見る。人気があるやつは次にたくさん仕入れるんだ。だから今日は、ありったけの種類を1輪ずつもらってきた」

 だからって、これはすごすぎ……。
 数えきれないけど、20種類はあるんじゃないかな。

 うちのお父さん、つまり〈Flower Days〉の店長さんは、とってもこり性。
 ただ売るだけじゃつまらないって、すぐにめずらしいことを試したがる。
 去年の春は、いろんなお花の苗を集めて、寄せ植えにチャレンジしてた。
 パンジーに、マリーゴールド。
 プリムラにマーガレット。
 デイジー、ゼラニウム、スターチス。
 春は、お花たちの天国。

 今年はチューリップかぁ。

「というわけで花穂、これ、1輪ずつセロファンかけておいて」
「もう。受験が終わったばっかりなのに」
「好きでやってるんだろう?」

 そう。
 ぶつぶつ言いながらも、わたし、お花屋さんの仕事が好き。
 お花が大好き。

 嬉しいな。
 志望の高校に受かって、春休みはずっとお店を手伝えるんだ。

 わたしは、しゃがんでチューリップたちをのぞき込む。

「はじめまして。わたし、花穂」

 ようこそ、〈Flower Days〉へ。
 きれいに咲いたあなたたちを、きっと最高のお客さんに届けるからね。

 そう。そのときだった。
 わたしとチューリップたちの上に、突然、影がかぶさったのは。

 ゆっくりと顔を上げて、振り返る。
 思ったとおり、背後には、人が立っていた。

 若い男の人。
 明るい灰色のスーツに、エンジ色のネクタイ。
 大人にしてはちょっと顔が幼いけど、学生さんではなさそう。

「いらっしゃいませ!」

 わたし、立ち上がって笑顔になる。
 けれど、そのひとはむすっとしたまま。
 笑ってくれない。
 お花を見に来たわけじゃ、ないのかな。
 確かに、男の人がひとりで来るのはめずらしいけど……。

 わたしが、声をかけようとすると。
 そのひとが先に、口を開いた。

「あんた、花としゃべれるのか?」
「……はい?」

 一瞬とまどったあと、はっとする。
 さっきの声、聞かれてたんだ。
 ちょっとびっくりしたけど、別に慌てたりしない。
 恥ずかしいことじゃないもん。

「はい。しゃべれるんです」

 にっこり笑って、そう言うと。
 そのひとは、あきれたように顔をしかめた。

「本当ですよ。お花は、言葉がわかるんです」

 わたし、がんばって説明する。

「優しい言葉をかけてあげると、きれいに育つし、逆に世話をしても放っておいたら、枯れてしまうこともあるんです。元気なときや寂しいときは、お花のほうから語りかけてくれたりするんですよ」

 本当なんだから。
 お花は、とっても素直なの。

 でも、そのひとは、表情を変えない。

「……音楽を聴かせたらよく育つって話は、たまに聞くけど」

 あ。わかってくれたのかな。

「でも、うそっぽい」

 な。

「なんでですかっ。本当なんですよ!」
「別にうそだとは言ってない。うそっぽいって言っただけだ」
「でも、信じてないでしょう?」
「だから、うそっぽいから」
「うそじゃないです」
「別にどっちでもいい」
「よくないです!」

 わたし、地団駄ふんで声を上げる。

「……大声出すなよ。みんな見てるぞ」

 はっと気付くと、道行く人たち、みんなわたしたちを振り返っていく。
 いけない。
 こんな声を聞かせたら、チューリップたちも怖がっちゃう。

「うちの店に何かご用ですか?」

 わたしは、店員の顔に戻って言う。
 少しだけトーンの落ちた、冷たい声で。
 このひと、どう見てもひやかしっぽいもん。

 ところが。
 次にこのひとが言ったのは、予想を裏切る言葉だった。

「……花を買いたいんだけど」

「えー?」
「客にえーはないだろ」
「あなたみたいなひとに、お花、もらってほしくないです」
「そんな態度じゃ商売できないぞ」
「……どんなお花をお探しですか?」

 しぶしぶそう聞くと。
 そのひとは、急に困った顔をした。

「……」
「なんですか?」
「……聞きたいんだけど」
「はい」
「春の花ってどんなのがある?」

 ……。
 しばしの、沈黙。

「お花、知らないんですか?」
「……なんだよ」
「だって、春は誰でも知ってる素敵なお花が、いっぱいあるのに」
「だから、それを聞いてるんだ」

 これ以上、お花屋さんに似合わないものはないような、無愛想な声。
 こんなひとが、春のお花を買いに来るなんて。
 不思議に思いながらも、わたしは、喜んで答える。

「花壇やプランター栽培なら、パンジーやマリーゴールドがおすすめです。苗から植え替えても元気できれいですよ。色や種類もたくさんあります。あっ、マリーゴールドはね、今年はちょっと変わったのを仕入れました。ハーレクインっていって、赤と黄色のストライプの花びらがきれいなんです」

「それからマーガレット。鉢植えもいいけど、わたしは切り花がおすすめかなあ……。花束にするなら白いのを集めて小さくまとめると可愛いんです」

「あ、花束といえば、カスミ草もたくさん仕入れてるから、いろいろコーディネイトできます。カスミ草って白ばっかりだと思いません? でも、ピンクもあるんですよ。知ってました? 逆に主役のお花を白いのにすれば可愛いし、それにね」

 次々とまくしたてるわたし。
 ふと気がつくと、前にいた男の人は。
 ――立ったまま目を閉じていた。

「……寝ないでくださいっ!」

 思わず叫んだわたしに。
 そのひとは、目を開いて言う。

「あんたの話、長い」
「あなたが教えてって言ったんですよ!」
「……もういい」
「よ、よくないです。お花、買いに来てくれたんでしょう?」

 どうしよう。
 お客さんに向かって、えらそうなこと言いすぎたのかな。
 わたしは、おろおろ。
 でもそのひとは、ゆっくりと、手をあげた。
 指さした先には、たくさんのチューリップたち。

「それでいい。1本、ください」
「――はい!」

 嬉しくて、思わず叫んじゃうわたし。

「たくさん種類がありますけど、どれがいいですか?」
「……春っぽいやつ」
「春っぽいと言われても……色なんかは?」
「……じゃあ、赤」
「赤ですね。わたしが選ばせていただいて、いいですか?」
「そうして。任せた」

 それっきり。
 そのひとは、そっぽを向いてしまう。

 ほんとに。
 なんのためにお花を買いに来たんだろう。

 男の人が、お花屋にひとりで来るなんて。
 たいてい、理由は限られているんだけど……。

「これ、いかがですか?」

 赤いチューリップといっても、たくさんの種類がある。
 わたしが選んだのは、いちばんオーソドックスな形のもの。
 咲いた、咲いた、っていう、チューリップの歌にもふさわしい素直な花。
 春の天使みたいなお花だよね。

「ああ、それでいい」
「ありがとうございます!」

 たった1輪の、チューリップを抱えて。
 スーツの背中は、お店から去っていった。


 あのひとが、お客さんとしてうちに来たのは、そのときだけ。

 それから、新学期がはじまって。
 わたしは、高校に入学して。
 毎朝、お店の前に立つようになって、あのひとが通っていく姿に気がついた。

 あれからあのチューリップは、どうなったんだろう。

 男の人が、ひとりでお花屋に来る理由。
 お見舞いか、ご家族へのおみやげ。
 それか……彼女さんへのプレゼント。

 何にしますかと聞かれて、春の花と答えたあのひと。
 無垢で素直で、春のイメージそのままのチューリップ。

 もし、あのお花を受け取ったのが、彼女さんだとしたら。
 きっと春の女神のような、可愛らしいひとなんだろうな。

――あんたは、1年中、春みたいだな

 この前言われた、ちょっとだけ嬉しかったセリフ。
 今は、ちょっとだけ、胸に痛い。

 どうしてなんだろう。
 お花に聞いても、答えはわからない。


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