親愛なる元婚約者
5.雨に濡れた手紙
アーネスト・グレアムさま
まず、前回の手紙での失礼の数々をお詫びします。わたしの心からの気持ちだったとはいえ、きつい書き方をしてしまったと後悔しています。あなたのことは好きではありませんけれど、あなたに傷ついてほしいと思っているわけでもありません。そうとしか思えないような手紙をお見せして、申し訳ありませんでした。
それから、わたしの仕事のことまでお気遣いくださって、ありがとうございます。
教えるのが楽しいというのは嘘ではありません。お給金をいただく仕事ですから、もちろん辛いことが何もないと言えば偽りになります。でも、ほとんどの教え子は素直で練習熱心なお嬢さんですし、ご家族や使用人の方も親切にしてくださいます。ときどきはわたしにピアノを弾かせてくださることもあるのです。あなたにご心配いただく必要はありませんので、どうぞお気になさらないでください。
でも、あなたがご心配くださったことは、とても、とても嬉しいです。辛いことがあれば話してほしいと言ってくださったことも。
今の暮らしに疲れてしまった時――それは、ごくたまにしかないことなのですが――あなたが書いてくださったお言葉が、どんなにわたしの支えに、慰めになっていることか。
わたしはあんなにひどいことを書いたのに、あなたはそのことをまったく気になさらないで、友人としてわたしを気遣ってくださって。
わたしはあなたのそういうところが、好きではありませんけれど、素晴らしいと思っています。好きではありませんけれど。
すみません、お見苦しい文面になってしまいました。
スターリングさんのことはもちろん存じています。わたしがまだ子どものころから父のもとで働いてくださっていました。とても親切な方でした。父の葬儀以来お会いしていませんが、お元気そうで、そしてわたしたちを心配してくださっていると聞いて、とても嬉しく思います。知らせてくださって本当にありがとうございました、アーネストさま。
スターリングさんは父の秘書で、銀行の経営に関わっていらしたわけではありませんが、世の中の数字の動きには最近の父よりもお詳しかったようです。きっと、あなたに的確なアドバイスをしてくださると思います。あなたや公爵家が何も失わずに済むと知って、わたしも安心しています。
この手紙を書こうと思ったのは、あなたにぜひ申し上げたいことがあったからです。
あなたからの手紙をお読みした翌日、わたしとアレンの住まいにお客さまがいらっしゃいました。
アリシア・メイナード嬢です。覚えていらっしゃいますよね。わたしとあなたがはじめてお会いしたメイナード家のお嬢さまです。
アリシアはわたしと同い年で、わたしが社交界にお招きいただくようになったころから仲良くしてくれていました。とても明るくて、優しくて、素敵なご令嬢です。あなたに申し上げる必要はないと思いますが。
アリシアと会うのは父が亡くなってからはじめてでした。彼女もわたしのことを心配してくれていたようですが、連絡をとることはご両親に禁じられていたのだそうです。この時はどうしてもわたしと話がしたくて、信頼できるメイドとふたりで密かに訪ねてきてくれたのだそうです。
わたしのみすぼらしい身なりや、狭くて汚らしい家を見ても、アリシアは何ひとつ嫌な様子を見せませんでした。かわりに、笑顔でわたしを抱きしめて、こう言ってくれました。
「会いたかった、フィリス。ずっと心配していたの」
アリシアの魅力は、これだけでじゅうぶん、おわかりいただけると思います。
「ありがとう、アリシア。でも大丈夫なの? お父さまに知られたらあなたが叱られるのではない?」
「絶対にわからないよう計画してきたから平気よ。それに、もし叱られることになっても構うもんですか。あなたとこうしてお話できたのだから」
アリシアは明るくて優しいだけではなく、少しきれいになったようでした。もともとつややかな黒髪が印象的な美人でしたが、この時は華やかさにいっそう磨きがかかったように見えました。
わたしはアリシアに椅子とお茶を勧めました。アリシアはいつかのあなたと同じように、椅子の固さも、お茶の質の悪さも、まるで気にしていないようでした。
「今日ここに来たのはね、フィリス。あなたにじかに知らせたいことがあったからなの」
「まあ、どんなこと?」
「実はわたし、婚約したのよ」
「本当に? おめでとう、アリシア」
「ありがとう。――あ、まだ正式なものではないのだけれど。でも、ほとんど決まったようなものなの」
「お相手はどなたなの?」
アリシアはここで少しうつむき、口を閉ざしました。ほほえみはずっと浮かべたままで、やがてわたしに顔を近づけて、ささやくように言いました。
「グレアム家のアーネストさまなの。フィリス、あなたにいちばん先に言いたくて」
父を亡くして以来、わたしは、この時ほど嬉しい気持ちになったことはありませんでした。
「驚いたでしょう、フィリス?」
アリシアはほほえんだまま、少し心配そうにわたしを見ていました。
「公爵からわたしの父にお話があったそうなの。本当は、わたしもまだ知らないことになっているのだけれど、父と母の話を聞いてしまったのよ」
「おめでとう、アリシア」
「あなたの婚約者だった方と結婚することになるなんて、わたしも思ってもみなかったの。噂になってあなたの耳に届く前に、どうしてもわたしの口から知らせたかったのよ。ねえ、フィリス、喜んでくれる?」
喜ぶに決まっています。アリシアは本当にいい子で、誰よりも幸せになってほしい、大切な友達です。そんな彼女があなたのような方と一緒になると知って、祝福しないはずがありません。
「もちろんよ、アリシア。本当におめでとう」
「残念だと思っていない? アーネストさまは、つい最近まであなたに求婚し続けていらしたようだし」
「思っていないわ」
アリシアはほっとした笑顔を見せました。そして、嬉しさのあまり声も出ないわたしに対して、素直な気持ちを聞かせてくれました。以前からアーネストさまのことを素敵だと思っていたこと、自分があの歴史ある公爵家に嫁ぐなんて思ってもみなかったということ。
アリシアは本当にいい子です。幸せそうな彼女の顔を見て、わたしも心の底から嬉しくなりました。
おめでとうございます、アーネストさま。まだ正式には発表されていないようですけれど、こうして先にお祝いを申し上げることができて、それだけでもあなたと手紙を交わしていて良かったと思います。
あなたのことは好きではありませんけれど、お幸せになっていただきたいと願っています。心から。
あなたとアリシアの友人 フィリス・ウォード
追伸 何か所かインクが滲んで、お見苦しい手紙になってしまってごめんなさい。書き終えた後、外で読み返していたら、雨に降られて濡れてしまったのです。このままでも読めないことはないと思いますので、失礼ですがお出ししてしまいますね。
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