親愛なる元婚約者
3.心からの手紙
グレアムさま
お手紙をありがとうございました。
拝読いたしましたところ、あなたはいくつか思い違いをなさっているようだと気づきました。ですから今度はまわりくどい書き方をせず、はっきりと、わたしの心からの思いをお書きしますね。
あなたがこの家からお帰りになった後、わたしは弟のアレンと話をしました。アレンはあなたが来てくださったことをとても喜んでいました。以前そちらのお家であたたかく迎えてくださったことも、わたしに再び求婚してくださったことも。
「いい人だとは思っていたけど、あんなに頼りがいがあるとは思わなかった」
失礼な言い方でごめんなさい。アレンは素直な子なんです。あなたのことを本当の兄のように慕っています。
「それで、フィリス。どうするの?」
「どうするって?」
「求婚のことだよ。返事しないままお帰ししてしまったけど」
しっかりしてきたとはいえ、まだまだ子どもです。わたしがお受けできないことなんて、少し考えればわかるでしょうに。
「もちろん、お断りするわ」
「どうして」
「どうしてって、あなたにもわかるでしょう、アレン。わたしたちが公爵家に差し上げられるものはもう何も残っていないのよ」
アレンに言ったことはもちろん、求婚をお断りする第一の理由です。あなたはお優しい方ですから、そんなことは気にしなくていい、何も持たずに嫁いできてもいいと言ってくださるのでしょうけれど。
わたしにはもうひとつ、アレンには言えない第二のの理由がありました。
あなたとの婚約を解消した時、わたしはほっとしたとお伝えしました。あれは正確な書き方ではありませんでした。わたしはほっとしたのではなく、喜んだのです。
そもそも、あなたと婚約したのは父がそれを望んだからです。そのことはあなたもご存じですよね。
あなたのことを嫌いだったとは申し上げません。他に好きな方がいたとか、そういうわけでもありません。ただ、あなたが公爵家のご嫡男でなければ、父がその縁組みを望んでいなければ、わたしはあなたの求婚を決してお受けしなかったということです。
前回の手紙ではつい感傷的になって、あなたに誤解を与えるような書き方をしてしまいました。父が亡くなったばかりでしたし、住まいを移したり、他にも大きな変化をいくつも経験したところで、わたしも気が動転していたのだと思います。
アーネストさま、わたしはあなたに好意を持ったことは一度もございません。こんなにはっきりと書くのは失礼だとは思いますけれど、あなたに誤解されたままではたまらないので書かせていただきます。
男性にはわからないかもしれませんが――女性でも人によるのかもしれませんが――好きでもない方との結婚を考えることは、わたしにとって苦痛でしかないのです。上流階級では多くの方が経験することですから、父が生きているあいだはわがままは言えませんでしたけれど。自由になった今ははっきりと、自分の意志で、求婚をお断りすることができます。
アレンがわたしの兄ではなく、まだ子どもの弟で良かったと思います。もし成人している兄がいたら、父に代わってわたしに結婚を命じようとしたでしょうから。
ごめんなさい。少しきつい書き方になってしまいました。
あなたのことを好きではありませんが、嫌いなわけでもありません。公爵家のご嫡男らしい、ご立派な方だと存じ上げます。
あなたの素晴らしさは、わたしよりもアレンのほうがよく知っているようです。義理の兄弟にしてやることはできませんが、もしどこかであの子がお目にかかる機会があれば、お声くらいはかけてやってくださると嬉しく思います。
前のものを最初で最後の手紙だと書きながら、再びこうしてペンをとることになったのには、きっかけがありました。
わたしは今、中流階級のいくつかのお家で、小さなお嬢さまにピアノをお教えしています。とても楽しい仕事です。教え子たちはとてもかわいらしいし、お母さまも使用人のみなさまも、わたしに親切にしてくださいます。大好きなピアノに毎日のように触れることができて、わたしはとても幸せです。
今日お邪魔したのは、新聞社を経営されている方のお家でした。わたしが教えに通っている中でも豊かなお家で、旦那さまが社交行事に招かれることもおありだそうです。
教習を終えておいとましようという時、教え子のお母さまがお声をかけてくださいました。
「ウォード先生、あなたは公爵家のご嫡男と婚約なさっていたのでしたね」
「はい、奥さま」
「まさか、グレアム家のアーネストさまではなくて?」
「そうです、奥さま。昔のお話ですけれど」
わたしが答えると、お母さまは困ったような笑みを浮かべました。
「まあ、ではあなたなのね」
「何がですか、奥さま?」
「アーネストさまが公爵に勘当されてでも結婚したがっているという娘さんですわ。主人が聞いてきたのですけれど、社交界はその話題で持ちきりなのだそうですよ」
これを聞いた時、わたしがどれほど大きな衝撃を受けたかおわかりですか。
そのお母さまはお話し上手の明るい方で、わたしにこと細かく聞かせてくださいました。
アーネスト・グレアムさまがかつての婚約者である令嬢に再び求婚していること。持参金を求めなくてもいいように、公爵家の財産を手放すよう主張していること。そのことに反対なさった公爵と大喧嘩になり、廃嫡のお話まで出てきているということ。そのすべてが上流階級のあらゆる場所で噂の的になっていること。
あなたのお考えのことは前回の手紙でお聞きしました。公爵家にとって――いいえ、この国にとって大切な、素晴らしいお屋敷や価値ある品物を売ってしまわれるだなんて。あの手紙をお書きになった時のあなたは、失礼ですけれどどうかなさっているのだと思っていました。しばらくして冷静になられたら、自分が何をしようとしているかおわかりになるはずだと。あるいは、あなたが正気を取り戻す前に、公爵があなたをお止めしてくださるはずだと。
まさか、まだお考えを捨てていらっしゃらないなんて。公爵に反対されても、それどころか廃嫡のお話まで持ち出されても、まだ思い直しをなさっていないなんて。
お願いですから、これ以上はおやめになってください、アーネストさま。
あなたがそこまでわたしを想ってくださることはとても嬉しく感じています。けれど、そのことであなたのご両親、弟さんや妹さん、公爵家にかかわるすべての方にご迷惑が及ぶのは、わたしにとって幸いではありません。
あなたもです、アーネストさま。公爵が本当に親子の縁をお切りになるとは思いませんが、あなたはすでに社交界で物笑いの種になっていらっしゃるのです。落ちぶれた元成金の娘に誘惑されて、貴族の義務を忘れかけている令息として。わたしだって、みなさまからそんな好奇の目で見られることは耐えられません。
何度も書きますが、わたしはあなたのことが好きではありません。財産の問題がなくなっても、あなたの求婚をお受けしたいとは思いません。
今のあなたがなさっていることは、誰にも何ひとつ良い結果をもたらさないのです。
最後に、あなたにひとつ、お尋ねしたいことがあります。
わたしに再び求婚する決意をなさったのは、わたしの父が病床についていた時だと、いただいたお手紙の中にありました。父の看病に疲れ、粗末ななりをしたわたしを見て、守りたい、苦労はさせたくないと思ってくださったと。
あなたは、銀行家ダグラス・ウォードの令嬢であるわたしよりも、すべてを失って落ちぶれているわたしに惹かれてくださったのですよね。
では、あなたの求婚をお受けし、未来の公爵夫人に戻ることができたら、その時わたしはあなたの目にどう映るのでしょう。
あなたに守られ、すべての苦労から遠のき、何不自由ない上流階級の女に戻ったら、わたしはあなたにとって魅力のある妻ではなくなるのではないでしょうか。
生意気なことを言ってごめんなさい。どうしても、心から純粋に、疑問に思ってしまったものですから。
いいえ、お返事はいただかなくてけっこうです。ご自分で少しでもお考えになってくだされば、この求婚がどんなに意味のないものかおわかりになるでしょうから。
何度も言うようですが、わたしはあなたを好きではありません、アーネストさま。
わたしにこれ以上のお手紙をくださるのは無駄なことだと、あなたが早くお気づきになるようお祈りしています。
フィリス・ウォード
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