水晶の空 [ 5−9 ]
水晶の空

第五章 再会 9
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 晴れた日の朝、シルファは大勢の護衛に伴われながら小舟で王宮から出た。前を行く船にはやはり数人の護衛が同乗し、中心に座る一人の人物を囲んでいる。その後ろ姿をシルファはずっと目で追いかけた。数日のあいだ拘束されていたラウドである。
 協議の結果、ラウドはセフィードの監視のもとでエレセータに送り返されることになった。その後の処遇についてはエレセータ側に任せるという寛大な処置に、異を唱える者ももちろん何人かはいただろう。しかし、シルファが無事に王宮に戻ってきたこと、そのシルファがラウドの厳罰は望まなかったことで、今の結論に落ち着いたのだった。
 ラウドの変化を見抜けなかったことはシルファにも責任がある。無罪放免とはいかなくとも、罪人として裁かれるような状況に彼を追いやりたくなかった。
 シルファに庇われてエレセータに送られるということを、ラウド自身が喜んでいるのかどうかはわからないが。
 王宮に戻ってきた日以来、ラウドとは一度も口をきいていないし、顔もあわせていない。今日の見送りにはセレクに頼み込んで同行させてもらったが、船は別々で、何人もの護衛が二人をそれぞれ囲い込んでいる。結局、今日もシルファはラウドと目もあわせていない。
 シルファの見送りは首都を出るまでというのが決まりだった。そこでラウドは別の船に乗せられ、シルファは乗ってきた船で王宮に引き返すことになる。その際には一言くらい声を交わすことができるだろうか。
 そんなふうに思い悩んでいるうちに、二艘の小舟は首都の端までたどり着いていた。
 ラウドの船が先に止まり、護衛たちが彼を促して船着き場に上げている。シルファはその横につけるよう命じようとしたが、船頭が先に船の向きを変えて引き返そうとした。
「待って。私も降ろしてください」
 シルファが慌てて訴えると、護衛の一人が困惑した顔で言った。
「船を降りてどうなさるのですか」
「ラウドと――彼と話をさせてください」
「何をお話しになるのですか?」
「彼とは幼馴染です。私の輿入れが決まった時、真っ先に同行を申し出てくれたのも彼でした。おそらく今日を最後に会うことはないでしょう。別れを惜しんではいけませんか?」
 護衛たちは互いに顔を見合わせた。彼らはシルファやラウドを憎く思ってためらっているわけではないのだ。ただ、二人の関係を詳しくは知らないので、シルファの言うことがすぐには呑み込めない。また、シルファがこのように申し出た時の対応について、上官の指示を仰いでいなかったのかもしれない。
 シルファはたたみかけるように続けた。
「あなたたちに迷惑はかけません。私が強引に命じたのだと報告して結構です。お願いします、彼と話をさせてください」
 護衛たちはまだためらっていたが、表情はそのままに船頭に声をかけ、船をラウドの近くに寄せてくれた。シルファは船着き場に降りるために立ち上がろうとしたが、護衛の一人に止められた。話はここからするしかないらしい。
 ラウドは護衛に挟まれて陸地に立ち、船に座るシルファを見下ろしていた。シルファが密かに心配していたように、縛られたり戒められたりはしていない。武器はもちろん持っていないが、両手は自由になっている。ただ、少し痩せたようだとシルファは思った。
「具合はどう?」
 シルファは最初に浮かんだ疑問を口に出した。
 ラウドはゆっくりと首を振った。表情はなかったが、疲れているようにも見えなかった。
「悪くありません。シルファーミア様は」
「私はとても元気よ」
 シルファはラウドを安心させるために笑顔をつくったが、それきり続く言葉を見つけられなかった。顔をあわせたら言おうと思っていたことはいくつもあったが、今それを口に出しても作りごとめいて聞こえる気がした。
「――申し訳ありませんでした」
 ラウドのほうが口を開き、シルファから目をそらしてうつむいた。
 シルファは真顔になって首を振った。
「いいえ」
「罪は償います。たとえエレセータの王と王妃が赦してくださっても、私なりの方法で」
「ラウド」
 シルファは思わず船の上に立ち上がりそうになった。なんとかそれは思いとどまったが、陸に上がるのと同じ勢いでラウドに言った。
「あなたのこの先のことは、父上と母上がお決めになるわ。どうかそれに従って、勝手なことはしないで」
「しかし――」
「これは命令よ。本当だったら私も一緒に償うべきだもの。嫁いできてから自分のことで精一杯で、あなたが苦しんでいることに気がつかなかった。ごめんなさいね」
 一番言いたかったのはこのことだったと、シルファは今になって気がついた。
「あなたは私をずいぶん支えてくれたのに、私はあなたを支えることができなかったわ。本当にごめんなさい」
 ラウドは勢い込んで首を振った。ようやくシルファと目をあわせた顔は、苦痛に歪んでいた。
「私は、あなたをお支えするためにこの国に来ました」
「知ってるわ。その通りにしてくれたもの。あのね、ラウド。私はエレセータのことを忘れていないわ。セフィードの暮らしに慣れて、この先もここで生きていくけれど、私はエレセータの人間でもあるの。あなたのおかげで気がついたのよ」
 あの時、ラウドがあの問いを突きつけてくれなかったら、シルファは二つの国の間で揺れたまま生き続けなければならなかった。どれほどセフィードに馴染み、幸福を感じることがあっても、奥底にある違和感は取り除けなかっただろう。
「私はこれからもこの国で、セフィードとエレセータ、両方の人間として生きていくの。だからラウド、エレセータに帰っても、私と完全に切り離されたとは思わないで。ときどき私のことを思い出して、あなたはあなたの残りの人生を生きて」
 ラウドがシルファから目をそらし、空を見つめた。そして、何かに耐えるような表情で、再びシルファを見た。
「はい。シルファーミア様」
「元気でいて。あなたが今まで側にいてくれて、本当に嬉しかった。ありがとう」
「シルファーミア様も、お元気で」
 ラウドははっきりとそう言い、ようやく笑顔になった。
 やがて、ラウドは別の船に乗せられ、その船でセフィードの都から去っていった。シルファは護衛たちに頼み込んで、しばらくその場所に留まった。
 ラウドを乗せた船が小さくなり、やがて水路の先に消えるまで、一言も口を開かずに見守っていた。


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