水晶の空 [ 5−8 ]
水晶の空

第五章 再会 8
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「本当に良かったです。シルファーミア妃がお帰りになられて」
「心配をかけてごめんなさいね」
 シルファとリューネは向かいあって座りながら、何度目かわからない会話を交わした。王宮に戻ってきた翌日から、さっそく講義を再開してもらうことにしたのである。
 リューネはシルファが戻ってきたとき笑顔だったが、心から心配してくれていたことはよくわかった。セレクを押し切ってまでシルファを休ませようとしてくれたのだ。シルファが湯を使い、着替えるのを手伝ってくれたのもリューネだが、五日間どこで何をしていたのかは訊かず、ただただシルファの帰りを喜んでくれた。
「久しぶりですね。今日は何の話から始めましょうか」
 リューネは自分が教える立場であるにもかかわらず、面白い話を聞かせてもらえる子どものように楽しそうだ。
「あなたのことが聞きたいわ、リューネ」
 シルファが少し考えてから言うと、リューネはきょとんとした。
「私のことですか?」
「ええ。ずっと仕えてくれているのに、きちんと聞いたことがなかったでしょう。生まれはどこ? ギルロードどのの他に兄弟はいるの?」
 リューネは不思議そうに首を傾げていたが、やがて嬉しそうに笑って口を開いた。
「ありがとうございます、シルファーミア妃。私はこの都で生まれたのですが、親はもともとエレセータとの国境に近い、小さな村の出です。兄の他に弟と妹があわせて三人います」
「ご両親も王宮に仕えていらっしゃるの?」
「いいえ。父はリュークの街で船頭をしていました。今は体を悪くして働くのをやめたのですが」
「船頭?」
 意外と言ったら失礼になるだろうか。しかし、息子と娘がそろって王宮に仕えているのだから、親もそれに近い職についているのかと思ったのだ。地方から出てきた船頭の子どもたちが、どうして王宮に入ることになったのだろう。
「シルファーミア妃はご存じないかもしれませんが、この都で船頭というのは」
「船を操るだけが仕事ではないのです」
 説明の続きを奪われ、リューネがさっと顔を横に向けた。シルファも無意識にそれに倣う。
 視線の先にはいつの間にいたのか、ギルロードが扉を背にして立っていた。
「兄さん、シルファーミア妃に失礼じゃないですか。黙って入ってくるなんて」
「――構わないわ」
 リューネがめずらしく声を上げるのを、シルファは諫めた。
 ギルロードに会うのは王宮に戻ってから初めてだ。それだけではなく、ここ東の宮で彼の姿を見るも初めてのような気がする。
「お見舞いに参りました」
 ギルロードは以前と変わらない淡々とした声で言い、シルファの前まで来て礼の姿勢をとった。
「ご無事に戻られて何よりでした、シルファーミア妃。お加減はいかがですか」
「悪くありません。ご心配をおかけしました」
 病人のような扱いだと思いつつ、シルファは答えた。
 ギルロードの態度はあいかわらずだが、シルファが姿を消している間、彼もさまざまに骨を折ってくれたことは想像がつく。シルファの不在が王宮のごく一部の者にしか知られなかったことも、セレクが倒れるほどまで追いつめられなかったことも、ギルロードの尽力によるところが大きいのだろう。
「お手を煩わせて申し訳ありませんでした、ギルロードどの」
 シルファは立ち上がってそう言ったが、ギルロードは答えなかった。代わりに妹のほうを向き、短く告げた。
「リューネ、少し外してくれ」
「でも……」
 リューネは食い下がろうとしたが、兄に一瞥されただけで口を閉じ、シルファに一礼して部屋から出ていった。
 唐突にギルロードと二人きりにされたシルファは、席を立ったまま途方に暮れた。
「どうぞお座りください」
 ギルロードに促され、シルファは我に返った。
「ギルロードどのも」
「いいえ、私はこのままで結構です」
 気まずい空気に耐えながら、シルファは自分だけ腰を下ろした。
 嫁いできたばかりのころよりは慣れたが、やはりこの副官は苦手である。
「あの、先ほどの……」
 長く沈黙していたくなかったので、シルファは自分から口を開いた。
「船頭の他の仕事というのは、どういうことですか」
「ああ」
 自分が言ったにもかかわらず、ギルロードは忘れかけていたようだった。
「船頭というのはご存じの通り、船を操って王宮や街で人を運びます」
「はい……」
「つまり、それだけ広い範囲で人と接することの多い仕事です。しかも船と一体のものとして扱われるので、気にとめない人間も多い。人目を忍んで情報を集めるのに適した職種です」
 シルファはぎょっとした。嫁いできてから何度も見た船頭たちのことを思い出したのだ。
「もちろん、すべての船頭がそうした職を兼ねるわけではありません。ごく限られた一部の者だけですよ」
「ギルロードどのやリューネのお父上も、そのうちの一人だったと」
「私どもの生地である村は、古来より隠密や密偵を多く育ててきたのです。気配を消したり、組織の中に入り込んだり、人の懐を探ったりする技に長けています」
 ギルロードとリューネの父親もそうした能力を買われ、王宮に使われていたということか。そして兄妹もその縁で宮仕えをするようになったのだろう。
「私やリューネもその血を濃く引いています。だから私は、妹を使ってあなたの身辺を探らせていました」
 シルファは目を見開いてギルロードを見つめた。
 すでにリューネから聞いていたことだったので、事実そのものには驚かない。しかし、ギルロード自身の口からそのことを聞くとは思わなかった。
「ご存じだったようですね」
 ギルロードにまっすぐ見据えられ、シルファは正直にうなずいた。
「リューネが話してくれました」
「まったくの予想外でした。妹に手ひどく裏切られるとは」
 言葉とは裏腹に、ギルロードの表情には困惑や苦悩は見えていない。それが彼の性質によるところなのかはシルファにはわからなかった。
「リューネがその使命を手放してから、別の者が私の身辺につくことはありませんでしたね」
 シルファは言った。以前から訊ねてみたいと思っていたのだ。
 ギルロードがなぜ、リューネ以外の者にシルファを探らせなかったのか。
「私のことを信用していただけたと、思ってもいいのでしょうか」
 ギルロードは立ったままシルファを見ていた。
 初めて会った時から、小柄な人だと思っていた。今思えばそれも、隠密行動に適した一族が備える資質のひとつだったのかもしれない。
 やがて、ギルロードは口を開いた。
「あなたがいらっしゃらないと、王子が倒れるまで無理をなさるので困るのです」
 シルファの問いかけの答えにはなっていなかった。
 だが、その意味するところは充分に伝わった。
「二度とこの王宮から――王子の側から離れたりなさらないでください」
「はい」
 シルファは真顔で答えたあと、思わず微笑んでしまった。


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