水晶の空 [ 5−6 ]
水晶の空

第五章 再会 6
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 セレクは南の宮の一室に駆けつけると、従者や衛兵が動くのも待たず自分でその扉を開け放った。
「シルファ――」
 かすれた声で呼ぶと、部屋の中にいた全員がセレクに顔を向けた。何人もの侍女たちが目を丸くしてセレクを見つめていたが、セレクが見ているのはその中にいるただ一人だった。
「王子」
 シルファは侍女たちの間から進み出て、セレクの前で膝を折った。裾が少し汚れているが、五日前に王宮を出た時と同じ姿をしている。
 シルファだった。この五日間、一目でも姿を見たいと思っていたシルファだった。
 セレクは大股でシルファの前に歩み寄り、顔を覗き込んだ。多少の疲れは見えるが顔色は悪くなく、一見してわかるような怪我もない。
「無事だったか」
「はい。申し訳ありませんでした」
 シルファはセレクから目をそらし、うつむいた。
「ラウドの身柄はすでに捜索隊の皆様に預かっていただいています。彼の変化を見抜けなかったことも、不用意に連れ去られてしまったことも、私の落ち度です。ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
 セレクはシルファの背に腕をまわしかけ、侍女たちの目があることを思い出して止めた。
 シルファを連れ去ったのがラウドだったということは、捜索隊が先に寄越した知らせで聞いていた。国境に近い無人の建物にいたが、シルファに怪我はないということも。シルファは保護された道すがら、捜索隊の詰問からラウドを庇っていたという。
「王子。ひとまずシルファーミア妃には東の宮にお帰りいただいてよろしいでしょうか。お着替えをして休んでいただかないと」
 側に控えていたリューネがおずおずと、しかし迷いのない口調で言った。部屋にいる他の侍女はみなエレセータ出身の者たちで、先ほどまでシルファの無事を喜んでいたようだ。
「そうしてくれ。私も一緒に行く」
 セレクが言うと、リューネより先にシルファが驚きの声を上げた。
「王子、ご政務の途中なのでは」
「構わない」
 セレクは即答し、もう一度シルファの顔を見つめた。

 東の宮に移り、侍女たちがシルファの身支度を終えるまで、セレクは居間の一つで待った。
 シルファが一人で現れると、セレクは掛けていた椅子から立ち上がった。シルファは自分からはセレクに近づかず、うつむいたまま言った。
「王子、このたびは本当に――」
「顔を見せてくれ」
 セレクはシルファの言葉を遮り、足早に歩み寄った。
「無事なのだな? 本当にどこも怪我はしていないな?」
 シルファは言われた通り顔を上げたが、どこか戸惑ったような表情を浮かべていた。
「はい。なんともありません。それより――」
「良かった」
 セレクはまたシルファを遮り、両腕をその背中にまわした。ほっそりした体を抱き寄せ、目を閉じる。この五日間、再びこうすることをどれほど待ち望んだだろう。
 シルファはセレクの腕の中で少しも動かず、黙ってされるがままになっていた。怪我はなかったとはいえ、疲れてはいるだろう。早く休ませるか、せめて座らせるべきかもしれない。それはわかっていても、セレクはすぐにシルファを放す気になれなかった。
「無事で良かった、シルファ」
 腕の中でシルファが少しもがいた。
「王子、説明を――させてください」
「説明?」
「姿を消していた間、私がどこにいたのか」
「そんなことはいい」
 シルファがこうして無事に戻ってきたこと、それだけで充分だった。
 国境の近くで同郷の者と消えたこともあり、重臣たちの中にはシルファにある種の疑いをかけている者もいる。彼らを納得させるために真相を話してもらうことも必要だろう。
 だが、今はただこうして、腕の中にシルファがいること確かめていたかった。
「会いたかった、シルファ」
 セレクはささやき、シルファを抱く腕に力を込めた。
「……私もです」
 腕の中でシルファが動き、両手でセレクの肩に触れる。やんわりと押しのけられ、セレクはシルファから距離をとった。
「説明を、させてください」
 セレクはうなずいた。まっすぐな目で見上げられるとそうせざるを得なかったが、両腕はシルファの背にまわしたままだった。
「ラウドが私を連れ去ったのは、私自身に隙があったためです」
「――隙?」
「自分が何のためにセフィードにいるのか、自分がどちらの国の人間なのか、わからなくなっていました。ラウドはそんな私を見かねたのでしょう」
 それでシルファを連れ去るほどまで思いつめたということか。
 セレクはこみ上げてくる怒りをなんとか抑えようとした。ラウドにはラウドの苦労があったことはわかっている。生まれ育った故郷を離れて異国に移り、忠誠を捧げた王女が自分より先にその異国に馴染んでいくのを見ていたのだ。そこに並大抵ではない葛藤が生まれたことくらい想像はつく。だからと言って、シルファを連れ去ったことを許す気にはなれない。
「ラウドに、何のためにこの国にいるのかと問われました。答えることができませんでした」
 シルファが説明したいのはラウドのことではなく、あくまで自分自身のことのようだった。セレクは言葉を挟まず黙って耳を傾けた。
「逃げようと思えば逃げられたのに、そうしなかったのは、答えられないままここに戻ることはできないと思ったからです」
 セレクはシルファの目を覗きこんだ。また抱きしめたくなる衝動をこらえ、静かに問いかける。
「今は答えられるのか」
「はい」
 シルファはセレクを見上げたまま、ふわりと微笑んだ。
「私がここにいるのは、エレセータのためでも、セフィードのためでもありません」
「では、何のために?」
「あなたと一緒にいるためです」
 セレクは息を呑み、腕の中にいるシルファを見つめた。
 シルファはそんなセレクを見上げ、微笑んだまま続けた。
「あなたの側にいれば、私はエレセータの人間でも、セフィードの人間でもあり続けられるのです」


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