水晶の空 [ 5−4 ]
水晶の空

第五章 再会 4
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「王子、そろそろ切り上げませんか」
「先に片づけていてくれ」
 声をかけてきたギルロードに、セレクは顔も上げずに答えた。
 執務机の上には膨大な報告書が積まれている。どれも、セフィード国内のあらゆる場所から王宮に送られてきたものだ。火急のものではないが、少しずつでも目を通さなければすぐに溜まってしまう。
 北の宮の執務室はすでに暗く、机の上にはいつの間にか蝋燭が置かれていた。すでに今日の政務は終わり、文官たちは先に下がらせている。
 セレクは蝋燭の明かりを頼りに、報告書にひたすら目を走らせた。今年は例年よりも冬の訪れが早く、水路が使えなくなる恐れがあること。西部の鉱山で起こった事故は幸いにも小規模の被害で済んだということ。穀物の価格が安定しないということ、研究所の責任者が予算の増額を訴えていること。
「王子」
 ふいに視界が遮られ、セレクは目を瞬いた。読んでいた報告書の上に、細い手が載せられている。視線を上げると、険しい顔をしたギルロードと目があった。
「ギル。なんのつもりだ」
「これはすでに一度、目をお通しになったでしょう」
 ぎくりとしたが、それを顔に出すことはなんとかこらえた。目をそらし、ギルロードの手の下から報告書の束を抜き取る。
「もう一度読んでおこうと思っただけだ」
「すでに手は打ったというのにですか」
「手は打っても解決するとは限らない。その時に備えて現状を把握しておくことは必要だろう」
「気を紛らわせるものがほしいのはお察ししますが、そのために臣民の陳情を利用するのは感心しませんな」
 セレクは再び顔を上げ、ギルロードの目を見た。
「――気を紛らわせる?」
「する必要のないことまでなさるのは、シルファーミア妃のことをお考えになりたくないからでしょう」
 セレクは何か言おうとしたが、少し迷って口を閉ざした。言い逃れようとしても、結局この副官には見抜かれてしまう。
「――捜索隊から新しい報告は」
「一刻前にここに来たばかりでしょう。宿舎のある街から国境一帯に捜索範囲を広げたが、手がかりは何も見つからなかったと」
 手にしていた報告書を机に置き、椅子の背もたれに身をよりかからせた。
 シルファが姿を消してから今日で三日目になる。国境に置いている軍はもちろん、王宮からも捜索隊を派遣して捜させているが、届くのはセレクが望んでいない知らせばかりだった。
「明日はエレセータへの使者を出す日ですが、予定どおりに決行してよろしいでしょうか」
 セレクはうなずいた。三日捜しても見つからなければ、エレセータにも知らせて協力を請うことに決めていた。逆に言えば、それまでに見つかるだろうとどこかで楽観していた。
 しかし今日になってもシルファの姿どころか、手がかりさえ一つも見つかっていない。シルファと同時に姿を消したと思われるラウドも、いまだに行方不明のままだ。
「これだけ捜しても見つからないということは、国境の向こうにいらっしゃるということも考えられます。エレセータに知らせるのはまず得策でしょう」
 ギルロードの口調は思いやりが感じられないこともなかった。そしらぬ顔をしているが、彼なりにシルファのことを心配しているのだ。
「ですから王子、ここはそろそろ引き上げましょう。もう夜も遅いですし、シルファーミア妃のことで知らせがあれば東の宮に直接参らせます」
「――ここで眠っていく」
 ギルロードが眉間に皺を寄せた。
 昨夜もセレクは東の宮には帰らず、執務室の近くにある仮眠室で休んだ。必要なものはそろっているので不自由はないが、休んだ気がしなかったのは事実である。横になっても眠れそうになかったので、今のようにすでに読み終えた書類を持ち込んで朝まで過ごした。
 東の宮に戻る気にはなれなかった。戻れば思い出してしまう。姿を消す前、いつも自分を待っていてくれたシルファのことを。そして、そのシルファが今はいないということを。
 シルファが嫁いでくる前は、いつも誰もいない東の宮に帰り、一人で眠っていたというのに。今はそのころのことがまったく思い出せない。
「そうやって無理ばかりなさっていると、またお倒れになりますよ」
 セレクは再び顔を上げた。
「――と、シルファーミア妃ならおっしゃるでしょうね」
 ギルロードは机の上を片づけながら、淡々と言った。
 セレクは思わず笑い、その直後に顔を歪めた。
 シルファの姿は、声は、表情は今でもはっきりと目に浮かぶのに、本物のシルファはここにはいない。


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