水晶の空 [ 4−9 ]
水晶の空

第四章 神話 9
[ BACK / TOP / NEXT ]


 手をたずさえて部屋から出てきた姉妹を見て、セレクは微笑んだ。
 シルファはセフィードの正装である水色の衣装。そして、ウィンリーテも同じものを着ている。
「よくお似合いです、義姉上」
「ありがとうございます」
 ウィンリーテは妹の手を借りながらこわごわと歩いている。嫁いできたばかりのシルファもそうだったが、エレセータの女性にとってセフィードの靴は歩きづらいらしい。
 そのシルファは姉に手を貸しながら、もうすっかりセフィードの正装が板についている。
 衣装の慣れ具合を除けば、二人の姉妹はよく似ていた。特に、小柄だがすらりとした背格好がそっくりだった。後ろ姿ならば見慣れない者は間違えてしまうかもしれない。
「歩けますか、リーテ姉上。船はすぐそこに待たせていますから」
「王宮の中でも小舟で行き来するのね」
「ええ。始めは不思議な感じがしましたが、慣れてくるといいものですよ」
 姉妹が歩きながら言葉を交わすのを、セレクは微笑ましく見守った。
 三人は東の宮から南の宮に向かう。エレセータ王女ウィンリーテを歓迎する宴が広間で開かれるのだ。
 王宮の水路を小舟で渡ると、水明宮がよく見える。シルファは姉にセフィードの結界について説明していた。
 シルファはよく喋り、よく笑い、心から幸せそうだった。久しぶりに実の姉に会えたのだから当然だろう。ウィンリーテが来てくれて本当に良かったと、セレクは思った。そして、もっと早くにこちらから招けば良かったとも思った。
 ウィンリーテの到着から宴の準備が始まるまで、姉妹は部屋にこもって二人だけで話をしていた。久しぶりに会ってお互いに聞きたいことはいくらでもあっただろう。シルファはウィンリーテに故郷の様子を、ウィンリーテはシルファにここでの暮らしを。
 シルファは、セフィードでこれまで経験してきたことを、どのように姉に話したのだろう。
 そしてまた、姉からエレセータの話を聞いて、寂しくなったりはしなかったのだろうか。

 南の宮での宴は会食と談話が中心で、舞踏は行われなかった。ウィンリーテがセフィードの舞踏ができず、シルファも覚えたばかりでそれほど得意ではないからだ。
 セレクはシルファとともにウィンリーテを連れ歩き、広間に集まった要人たちに紹介した。ウィンリーテの足を心配して、頻繁に休むことも忘れなかった。
 広間の端に設けた席に座らせると、ウィンリーテは大きく息をついた。靴に慣れないことに加え、緊張しやすいたちであるらしい。エレセータからここまでの長旅で疲れてもいるのだろう。
「そろそろ東の宮に戻られますか?」
 セレクは義姉を気遣ってそう声をかけた。
「そうさせていただいてもよろしいですか。せっかく宴を開いていただいたのに、申し訳ありませんが」
「いいえ。こちらのほうこそ、お疲れのところ連れ回して申し訳ありませんでした。この国の者たちがぜひご挨拶をと申しておりましたので」
 エレセータに婚姻を申し込んだ時、セレクはどの王女を娶りたいとは言い出さなかった。エレセータ王が三人の娘のうちいずれかを選んでくれればいいと思っていた。そして嫁いできたのが、第二王女のシルファーミア――シルファだった。
 第一王女のウィンリーテには、すでに婚姻を誓いあった者がいたと聞いている。つまり、その相手がいなければ、セフィードにやってきたのはこのウィンリーテだったかもしれないのだ。
 セフィードの重臣たちもそれを忘れられないのか、どこか値踏みするような、場合によってはシルファと比べるような目をその姉に向けていた。ウィンリーテもシルファもうすうす察していただろう。
「すぐに船を用意させます。ここでシルファとお待ちください」
 セレクはシルファとウィンリーテを残し、広間から出た。側近を見つけて船を呼ぶように命じると、しばらく水路に面した回廊で夜の景色を見つめた。
 義母と妹たちを見送る宴の夜、シルファと話をしたのもここだった。お互いに本心を打ち明けて話し合ったのは、あの時が初めてだったように思う。あの夜を境に二人は改めて歩み寄ることができたのだ。そしてまた日々を重ね、この日までやってきた。
「王子」
 声がして振り向くと、シルファが少し離れて立っていた。
「義姉上をお一人にして良かったのか?」
「平気です。エレセータの側近たちと話をしています」
 シルファは歩み寄ってきて、セレクの前で立ち止まった。
「ありがとうございました。いろいろとお気遣いいただいて」
「いや」
 セレクは苦笑し、自分もシルファに向き直った。礼を言うためにわざわざ姉を置いてここに来てくれたのだろうか。
「義姉上には申し訳ないことをした」
「え?」
「先ほどの重臣たちの態度だ。ずいぶんと不躾な目を向ける者もいただろう」
 シルファもやはり気づいていたのか、とぼけたような顔はしなかった。そのかわり頷くことも、否定することもせず、どこか曖昧な表情でセレクの顔を見上げていた。
「王子は……何もお思いになりませんでしたか」
「何を?」
「その……私の姉をご覧になって、何かお感じになったことは……?」
 セレクはまばたきして、シルファの顔を見つめた。暗がりでよく見えないが、頬がわずかに赤くなっている気がする。
「すみません。私、自分の姉にこんなことを……」
 シルファらしくないたどたどしい言葉に、セレクはようやくその真意を悟った。
 つまりシルファは、セレクが自分と姉を比べたのではないかと心配しているのだ。広間にいた重臣たちと同じように、ウィンリーテが嫁いでいた場合のことを想像したのではないかと。
 セレクは思わず微笑み、シルファの肩に手を置いた。
「何も思うわけがないだろう。私の妃はシルファだけだ」
「本当ですか?」
「ああ。もちろん義姉上も素晴らしい人だと思うが、シルファのいる場所に義姉上がいらっしゃることは考えられない」
 ここにいていいのはただ一人、シルファだけだ。その思いを込めてシルファの目を覗き込む。
 シルファはしかし、セレクから目をそらし、暗がりでもわかるほど真っ赤になってうつむいた。自分の姉に嫉妬めいた感情を持ってしまったこと、それをセレクの前で表に出してしまったこと、両方を恥じているようだった。
 セレクはシルファの背に腕をまわし、自分の胸に抱き寄せた。
「シルファはどうなんだ?」
「私ですか?」
「久しぶりに義姉上にお会いして、寂しくなったのではないか? エレセータに――帰りたくなったりはしなかったか?」
 セレクはシルファを腕に抱いたまま、恐れていたことを口にした。顔を見られていなくて良かったと思った。
「寂しくないと言ったら、嘘になります」
 セレクの腕の中で、シルファがゆっくりと声を出した。
「姉から、エレセータの話を――私のいない祖国の話をいろいろと聞きました。私がいなくなってもあちらでは時間が動いていて、両親も、きょうだいも、仕えてくれた者たちも、それぞれの日々を営んでいるのだと思うと、たまらなく寂しくなりました」
 素直な言葉を聞き、セレクは腕に力を込める。シルファの寂しさを埋めることはできないだろうが、せめて抱きしめることで慰めることができればいい。
「でも、帰りたいとは思いません」
 シルファははっきりと言った。
「私のいる場所はここですから。もう、他のところにいる自分は想像できません」
 腕の中のシルファが少し動いたと思うと、セレクは背にあたたかいものを感じた。シルファが自分の両手を伸ばし、セレクの背中を抱きしめたのだった。二人の間の隙間がなくなり、シルファの顔がセレクの胸に直に触れる。
 セレクは両腕にいっそう力を込めて、シルファの体を抱きしめた。
 こうしている限り、シルファはここに、セレクの腕の中にいてくれる。永遠に。
 何人たりとも――たとえ、天から降りてきた神の遣いであっても、セレクからシルファを連れ去ることは決してできないだろう。


[ BACK / TOP / NEXT ]

Copyright (C) Kizugawa Yui.All right reserved.