水晶の空 [ 4−3 ]
水晶の空

第四章 神話 3
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 一日だけ雨が降った後は晴天が続いていた。季節は冬に向かっているので朝夕はさすがに冷え込むが、光がふんだんに降り注ぐ日中はあたたかい陽気に恵まれる。
 セレクは毎日同じように東の宮から北の宮に通い、朝から晩まで政務に取り組んでいたが、不思議と疲れは溜まらなかった。水明宮に渡る役目のうち、二回に一回をシルファが引き受けてくれたためでもあるが、それ以上に大きな違いは、セレク自身が以前ほど気負わなくなったことだろう。
 国を守ることも、妃を守ることも、一人で何もかもやろうと思わなくてもいい。守ろうとしていた妃がその一部を引き受けてくれる。そのことを受け入れただけでずいぶんと気持ちが楽になった。
「もう終わりか?」
 読み終えた書類を揃えながら、セレクは副官に訊いた。
 ギルロードは執務机を挟んでセレクの正面に立っている。
「はい。今日は午後から街の視察がおありですので、ここはこのくらいで」
「そうだったな。出かける前に一度東の宮に戻るから、船をそちらに回してくれ。視察にはシルファも連れていく」
 ギルロードの片眉がつり上がった。
 あまりにも予想通りの反応だったため、セレクは思わず笑ってしまった。
「気に入らないか?」
「いいえ。仲睦まじいことで結構です」
「仲がいいというか、もちろんそれもあるが、シルファを連れていくのは一緒に過ごすためではない。シルファにこの国のことを知ってもらい、必要があれば意見を聞くためだ」
「これまでの王妃や王子のお妃で、そのようなことをなさった方はいらっしゃいませんでした」
「では、シルファが最初の一人ということになるな」
 セフィードでは、女性の王族は政にはほとんど関わらない。王妃でさえ一年の大半を住居である東の宮で過ごし、王子や王女の世話をして王の帰りを待つ。裕福な商人や豪族の妻とほとんど変わらない。
 おそらく、エレセータでは少し違うのだろう。輿入れしてきたシルファと考えが食い違ってしまったのは、ここにも原因があったのかもしれない。
「シルファは和平という同じ目的のために、私の力になると言ってくれた。もちろん苦労ばかりをさせるつもりはないが、シルファにできることは頼ってもいいだろう」
「もちろんでございます」
 思いの外ギルロードが素直に答えたので、セレクは首を傾げた。何を言ってもセレクが改めようとしないので、投げやりになっているのだろうか。
「ギル、何かあったか?」
「――王子とシルファーミア妃にとっては、朗報かと思います」
 ギルロードは朗報だと言いながら、まったく嬉しくもなさそうに続けた。
「妹が、これまでの人生で初めて私に刃向かいました」
「おまえの妹というと、シルファの侍女のリューネだな。刃向かったとは?」
「シルファーミア妃のご身辺を探ることはもうしたくない、私にせがまれても二度と報告はしないと、はっきり言ってきたのです」
 セレクは目を見開いた。意外だったからというより、ギルロードの言った意味がすぐには呑み込めなかったからだ。
 ギルロードの妹のリューネは、いつもシルファや他の侍女とにこにこ楽しそうに話している。彼女がシルファのことを偵察し、兄であるギルロードに報告していたことなど、頭からすっかり抜け落ちてきた。
「そうか、そうなのか」
 セレクはゆっくりと言い、少しずつ嬉しさがこみ上げてくるのを感じた。
 リューネがギルロードの命令に背いた。シルファのまわりを探ることを拒んだ。
 つまり、リューネはシルファの人柄を知り、セフィードの王族として仕えることに決めてくれたのだろう。
「それは残念だったな、ギル。妹に裏切られるとは流石のおまえでもこたえただろう」
「嬉しそうなお顔で慰めていただかずとも結構です」
「別に嘘は言っていない。今までご苦労だったな、ギル」
「私はシルファーミア妃を完全に信用したわけではございません」
 ギルロードは念を押すように言ったが、声には以前ほどの覇気はなかった。やはり投げやりになってきているのかもしれない。
「それより、王子」
 ギルロードは話題を変えたいらしく、畳みかけるようにセレクに言った。
「例の使いの準備をそろそろ始めてもよろしいかと思いますが」
「ああ、そうだな」
「シルファーミア妃にはお伝えになったのですか」
「まだだ。今日にでも話そうと思っていた」
 セフィードはもうじき雪の季節だ。名前ほど雪が多く降るわけではないが、それでも寒さは厳しい。一度この季節に入ってしまうと長旅は厳しくなるため、使者を出すなら今のうちに急いだほうがいい。
 使者の行き先は、シルファの故郷エレセータである。
 シルファが輿入れしてきた際、エレセータの王は数多くの結婚祝いを持たせてくれていた。セレクも答礼の品を送ったが、いずれ改めて使者を送り、王女を嫁がせてくれたことへの感謝を述べるつもりだった。王と王妃はセフィードでのシルファの様子も知りたがっているだろう。シルファの兄弟姉妹である王子と王女たちにも、義兄弟として何か贈り物がしたい。
 もちろん、シルファ自身にも意見を聞き、家族への書簡を書いてもらうつもりだ。
「本当なら、私がシルファと一緒にエレセータに赴くべきだが」
 それもいずれは実現させるつもりだ。だが今はとりあえず、使者を送ることでシルファの祖国に敬意を示したい。
 シルファは、この計画を知ったら喜んでくれるだろうか。
 その光景が目の前に浮かぶようで、セレクはギルロードの鋭い視線も意に介さず、機嫌よく使者に持たせるものを考え続けた。


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