チョコレート王女の決断 [ 5 ]
チョコレート王女の決断

第5話 告白と決断
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 シュゼット・エストレは宮殿でしばらく収監された後、父親の領地に送られ生涯謹慎の身となった。
 王女を毒殺しようとしたにしては軽い刑だが、その毒殺が未遂に終わったこと、背後でジェラールが糸を引いていたことが加味された結果だった。
 アデリナの毒殺はシュゼットが独断で行おうとしたことだが、ジェラールがシュゼットを利用して、アデリナとフェルナンの仲を裂こうとしていたのは事実である。甥たちに甘いアメール国王もこれにはかなり立腹らしい。
「わたしはジェラールさまのやり口がよくわかりません。姫さまが婚約者の不実を知って、泣いてドゥルセに帰ると言い出すとでもお思いになったんでしょうか」
 呆れ果てた口調でベルタがこぼすと、アメール出身の侍女たちも口々に同意した。
「殿方は、わたしたち女は嫉妬の塊だと思ってらっしゃるから」
「自分たちだって足の引っ張りあいはお手のもののくせにね」
 ベルタも含めた侍女たちは心からうなずきあっている。妙なところで国境を越えた結束が強まったものだ。
 アデリナは彼女たちほどジェラールをこき下ろす気にはなれなかった。まんまと騙されてしまったのは事実だし、まったく嫉妬しなかったと言えば嘘になるからだ。
「王女、オービニエ公がおいでになっています」
「あ、向こうの部屋にお入りいただいて」
 毒を盛られかけたアデリナを心配してか、フェルナンは以前より頻繁に訪れてきて、ときどきは座って話もしていってくれる。
 特に事件のあったその夜は晩餐を欠席し、ふたりでいろいろな話をした。

「今日は駆けつけてくださって、ありがとうございました、フェルナンさま」
 アデリナはまず感謝の言葉を伝えた。
 騒ぎの起こった時にフェルナンが近くにいたのは偶然なのだろうが、自分の無事を確かめに来てくれたのは素直に嬉しかった。
「いいえ」
 フェルナンはいつものように短く答えたが、何か思い直したようにアデリナの顔をまっすぐ見つめた。
「あなたに謝らなければなりません、アデリナ王女」
「え?」
「ぼくがもっとあなたのことを気にかけていれば、あなたはジェラールに騙されることも、こんな危険に晒されることもなかったでしょう。婚約者としてあなたを守る義務を怠った、ぼくの落ち度です」
「そんな、フェルナンさま」
 アデリナは慌てて首を振った。
「フェルナンさまはお忙しいのですもの。わたしのことまでお気遣いいただかなくても……」
「あなたは、本当は、ジェラールと結婚したかったのではないですか?」
 思いがけない言葉に、アデリナはきょとんとした。なぜここでジェラールの名前が出てくるのかわからない。
「ジェラールはあなたと年もつりあうし、あのとおりの容姿で女性の扱いにも手慣れています。勉学でも武芸でも何ひとつ彼に適わない年下のぼくよりも、ジェラールのほうがあなたには――」
「そんなことありません」
 アデリナは思わず、フェルナンの声を遮った。
 シュゼットのことを尋ねた時、なぜあれほどフェルナンが冷たい目になったのか、ようやくわかった気がした。アデリナがジェラールの恋人のことを気にしていると誤解したのだ。折りも悪く、アデリナはフェルナンに黙ってジェラールと会ったばかりでもあった。
「フェルナンさまがそんなふうに思っていらしたなんて――」
「思わずにはいられません。昔から彼とは何かにつけ比べられてきましたから」
 フェルナンは堰を切ったように話しはじめた。
「幼いころから宮殿に出入りして、兄弟のように一緒に過ごしてきました。でも、ジェラールはなんでも当然のようにこなせるのに、ぼくはいくら努力しても彼に適わないんです。血筋の上ではぼくのほうが王位に近くても、本当にふさわしいのはジェラールだと皆が思っていたでしょう」
「フェルナンさまはジェラールさまより四つもお若いのですから、同じようにできないのはあたりまえです」
「だから、あなたと一緒にいるのが辛かった」
 けんめいにフェルナンを励まそうとしていたアデリナは、突然の告白に目を丸くした。
「本当はジェラールが次の王になるべきなのに、あなたが嫁いできたためにぼくが王位を奪ってしまったと、皆が思っているのがよくわかりました。ドゥルセの王女を妻にしなければぼくは王になれないのだと、あなたとお会いするたび思い知らされるようで」
(それは……思いちがいではないかしら)
 アデリナとの婚約でフェルナンが有利になったのは事実だろうが、フェルナン自身も誰より努力しているし、素質も悪くない。そうでなければ伯父である王にあれほど可愛がられないはずだ。アデリナはベルティエ宮殿に来て二ヶ月になるが、ジェラールを褒め称える噂は耳にこそすれ、フェルナンを貶めるような噂は耳にしたことがない。
 子どものころから年上の従兄と行動をともにしていると、誰に言われなくとも自分は劣っていると思ってしまうものなのだろうか。
 アデリナは、シュゼットのことを思い出さずにはいられなかった。他人のために自分を犠牲にしようとしたり、自分と他人を比べて落ち込んだり、誰もが多かれ少なかれ、どうにもならないことに人生をかき乱されている。
「許してください、アデリナ王女。ぼくは自分のくだらない引け目のために、あなたの命を危険に晒すところでした」
「いえ、そんな、フェルナンさま」
 アデリナはけんめいに言葉を探した。話をするのは苦手だが、こういう時はきちんと自分の気持ちを伝えなければならない。
「わたしこそ、ひとりで勘違いしていて、ごめんなさい」
 アデリナがゆっくり言うと、フェルナンは目を丸くした。それからようやく、おずおずと微笑んでくれた。

「どうぞ、お掛けになってください、フェルナンさま」
 アデリナは自室のひとつでフェルナンを迎えると、侍女たちに用意させたテーブルを指し示した。テーブルの上には銀製の沸かし器とふたりぶんの茶器、そして、小皿に盛ったチョコレートの塊がそろっていた。
 前日にフェルナンと会って話した時、今日は一緒にチョコレートを飲むと約束したのだ。
 アデリナはフェルナンと向かいあって座ると、さっそくチョコレートを沸かし器に入れ、その上に湯を注いだ。
 チョコレートの固形を作るには数日かかるので、前日に頼んだものを今日のテーブルに運ばせることはできない。アデリナは厨房に作りおきの量と種類を問いあわせ、その中からいちばんくせのないものを選んだ。スパイスはバニラとシナモンをそれぞれ少しだけだ。
 アデリナが攪拌棒を上下させるのを見ながら、フェルナンが口を開いた。
「エストレ嬢の両親から申し出が来ています。あなたに謝罪と感謝をお伝えしに参りたいと」
「え……どうして」
 謝罪はともかく、シュゼットの両親に感謝されるようなことを何かしただろうか。
「あなたに娘の命を救われたからだと思いますが」
 フェルナンに言われ、アデリナはようやく思いいたった。あの時アデリナは、毒を飲もうとしていたシュゼットを止めたのだった。
「おばあさま――王太后陛下も感心していました。自分が毒を盛られたというだけで動揺しただろうに、毒を盛った相手のことをよく気遣えたものだと」
「いえ……そんな」
 攪拌棒を動かす手がわずかに速くなる。褒められるのには慣れていないのだ。
 それよりもアデリナは、事件に使われたのがチョコレートだったことが残念でならない。ベルティエでのチョコレートの印象が今以上に悪くならなければいいのだが。
「あのチョコレートが毒入りだと、どうしてわかったのですか」
「あ、それは、毎日飲んでいるからだと思います」
 沸かし器を傾け、ふたつの茶器に中身を流し込む。つやつやしたチョコレートで器が満たされる瞬間は、何度目にしても胸が躍る。
「あたたかいうちに、お召し上がりください」
 アデリナは自分のものにはすぐに手をつけず、フェルナンが茶器を持ち上げるのを見守った。フェルナンは一口飲むと、少し目を開いて器の中を見つめ、また一口飲んだ。
「……いかがですか?」
「美味しいです、とても」
 アデリナはフェルナンの言葉にほっとして、ようやく自分の茶器を口もとに運んだ。舌先から喉まで甘い熱に満たされて、体の芯からとろけてしまいそうだった。
「もっと甘ったるいか、もっと苦いかのどちらかだと思っていたのですが、そうでもないのですね」
「カカオと砂糖の配分が大事なんです。それと、今日はバニラとシナモンしか入れていませんが、スパイスをあわせて苦みを消したり、甘みを増したりすることもできます。砕いたナッツを入れても美味しいことがわかって、いろいろ試しているところで」
 フェルナンが自分を見つめているのに気づき、アデリナははたと止まってうなだれた。
「ご、ごめんなさい。わたしひとりで長々と」
「いえ――あなたが何かについてそんなに熱心に話すとは」
 フェルナンは茶器を手にしたまま、はじめて見るかのようにアデリナを見つめている。
 アデリナはそのフェルナンに微笑み、気恥ずかしくなりながらも続けた。
「わたし、チョコレートのことだったら、一日中でも考えていられるんです。どんな材料をあわせたら美味しいかとか、お湯の温度を変えたらどうなるかとか、考えていると時間を忘れてしまいます」
 どんなに辛いことがあった時も、チョコレートを作っている間はそれを忘れられるし、作って飲み終えた後は気持ちが晴れ晴れとして、目の前にあることと向きあえるようになる。
「だからわたし、決めました。フェルナンさま」
 この数日ずっと思っていたことを、アデリナは婚約者に告げた。
「ベルティエのみなさまにも、チョコレートを好きになっていただきます」
 本当は、チョコレートでなくてもいいのかもいれない。
 どうにもならないことで思い悩むのをやめ、夢中になって打ち込める何かがあれば。誰かと自分を比べて惨めになってしまった時、愛する人の心が手に入らない時、暗い感情から救い出してくれるものがあれば。
 アデリナにとってそれはチョコレートだった。だから、そのチョコレートをベルティエの人々にも愛してもらいたい。
 フェルナンは目を丸くしていたが、やがて小さく微笑みかけてくれた。
 アデリナは笑顔を返し、天使の飲み物を再び口に含む。
『チョコレート王女』
 そう呼ばれることが、アデリナは決して嫌いではないのだった。



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