魔法の花嫁 [ 6 ]
魔法の花嫁

6.舞踏会
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 エイミは目を覚ました。
 肩に、何かごつごつした感触が当たっている。
 目をこすって見てみると、それは木の幹だった。
 びっくりして一度に目が覚める。気が付いてみると、辺りは朝まだきの森だった。東の森だ。
 エイミは左右を見回した。
 魔法使いはどこだろう。エイミは昨夜、彼の館にいたはずなのに。
 二人だけの舞踏会のあと、どうなったのかまったく覚えていない。
 エイミはもう、魔法でできたきれいなドレスを着ていなかった。いつもの粗末なエプロンドレス。きれいに結われた髪も元通りになっている。
 何もかもが夢だったのかと思うくらいに。
 でも、彼がちゃんと抱きしめてくれたことだけは夢じゃない。
 ふと脇を見ると、小さなトランクが置いてあった。開けてみると、二着のドレスが勝手に飛び出してエイミの前に広がる。アリエとマリラのドレスだ。昨日、彼に魔法をかけてもらって完成した。
『三つ、契約事項が完了したら二度とこの館へ来ないこと。』
 エイミは泣きそうになって、森の中をかけまわった。
 ここが東の森なら、どこかにあの石があるはずだ。初めてここに来た時に見つけた、光の石。それに触れたら空気の精(シルフィード)の歌が聞こえて、魔法使いの館に導いてくれる。
 けれど、どんなに探し回っても、あの美しい石を見つけることはできなかった。
 エイミは途方に暮れて、息を切らしながら立ち尽くした。
 その時、自分の肩にかけられた上着に気が付いた。大きな黒いジャケット。
 魔法使いの着ていたものだ。
 エイミは自分の体ごと、上着を抱きしめた。
 契約は、終わってしまったのだ。

 家に帰ると、妹たちも父さんもまだ眠っていた。
 エイミはドレスを置いて、しばらく一人でぼんやりと座っていた。
 初めて会った時から、彼の魔法は本当に美しかった。
 空気の精。歌う花。騎士の人形。幻のカーテン。光の花。双子のためのドレス。
 そして、昨夜のプレゼント。
 いつも妹たちの引き立て役だったエイミ姉さんが、昨夜だけはたった一人のお姫様だった。
 彼の魔法が、それを叶えてくれた。
 あの無表情で岩みたいな魔法使いが。
 エイミは一人で、くすくすと笑った。
 触れた頬の冷たさを思い出す。胸に抱きついても心臓の音が聞こえなくて、エイミが何をしているのか不思議そうにしていたっけ。
『また、ここに来てもいい?』
 尋ねたエイミに、魔法使いは首を振った。
『私は人形だからです』
 わかってる。もう十分だ。
 エイミの舞踏会は昨夜でおしまい。
 魔法使いは、たった一人の王子様だった。

「おはよう、姉さん」
「おはようアリエ」
「おはよう、姉さん」
「おはようマリラ」
 妹たちが起きてきた。
 エイミ姉さんはいつものように、一人一人に答えてやる。
「今日は舞踏会の日ね」
 エイミはにっこり、双子たちに笑った。
「そこのトランクを開けてごらんなさい」
 そう言って指差したのは、テーブルの上。
 アリエとマリラは小鳥のようにはしゃぎながら、二人してそれを開けてみる。
「わあ、とってもきれいね」
「姉さん、これあたしたちの?」
「そうよ。こっちがアリエの、こっちがマリラの。舞踏会に着ていけるでしょう?」
「ありがとう、姉さん」
「ありがとう、姉さん」
 二人は声をそろえて、にっこり笑った。
 エイミも微笑み返して、妹たちを抱きしめる。
「楽しんでくるのよ。素敵な人に出会えたら、姉さんにおしえてね」
「姉さんは行かないの?」
 アリエが青い目を丸くして聞いた。
「そんなのだめよ」
 マリラは口をとがらせて言う。
 エイミは肩をすくめて笑った。でもやっぱり、姉さんは行かないのだと言おうとした時。
「姉さん、こっちに来て」
「こっちに来て」
 アリエとマリラが、エイミの両腕をそれぞれ取った。
 二人は嬉しそうにかけだして、エイミを引っぱっていこうとする。
「なんなの? アリエ、マリラ」
「いいから来て」
「こっちよ」
 二人が連れてきたのは、エイミの寝室だった。きれいなベッドと、小さめのクローゼットがある。
「姉さんはここにいてね」
 エイミは妹たちの手で、ベッドの側に立たされる。
「なんなの?」
 首を傾げているうちに、双子はクローゼットの前に立った。
「姉さん。三つ数えてね」
 アリエがそう言って、クローゼットの取っ手に手をかけた。
 反対側の取っ手には、マリラの手が付いている。
 一つ、二つ、三つ。
「姉さん、いつもありがとう」
「あたしたちからのプレゼントよ」
 アリエとマリラの小さな手が、クローゼットの扉を開く。
 空色のきれいなドレスが、中から現れた。
 エイミは息が止まったまま、ベッドの上に腰を下ろす。
「素敵でしょう?」
「かわいいでしょう?」
 双子が側に来てくるくるとしゃべる。
「あたしとマリラで仕立て屋さんに行って頼んだの」
「デザインはあたしが考えたの」
「色はあたしが決めたのよ」
「姉さん、これを着たらきっとすごくきれいよ」
 二人が見せたドレスは丈が長く、胸には白いリボンが飾られていた。仕立てのいい、かわいらしい服だ。
 昨夜の魔法のドレスに比べたら、宝石一つ付いていないけれど。
「……ありがとう。アリエ、マリラ」
 エイミは泣きながら微笑んで、妹たちを抱きしめた。
「舞踏会に行くでしょう? 姉さん」
 二人は身を乗り出して聞いてくる。
「これを着ていってね。姉さんも素敵な人を見つけなくちゃ」


 舞踏会の会場であるお城は、すでに国中から集まった人々でいっぱいだった。少女たちのドレスが色とりどりに咲いている。あちこちに小さな輪ができ、笑い声が飛び交っている。
 初めて来たアリエとマリラは、目を輝かせて辺りを見回し、あれやこれやとエイミに話しかけてきた。
「あのね姉さん、マリラは好きな人がいるのよ」
 ブルーのドレスを着たアリエが、エイミの耳元でささやいてくる。エイミは目を丸くした。
「アリエだってこの前、誘われてうなずいていたじゃない」
 ピンクのドレスのマリラが言い返す。
 双子の姉妹はじゃれあって、誰と踊るかの話に夢中になった。
 エイミは二人を見て、ため息混じりに笑う。
 魔法のドレスはいらなかったかもしれない。二人は姉さんの知らないところで、ちゃんと自分の王子様を見つけているのだ。
「アリエ、マリラ、エイミ」
 見慣れた顔ぶれが、三人に近付いてきた。同じ村の若者たちだ。
「こんばんは、みなさん」
 アリエとマリラはドレスのすそを持ち上げて、彼らにご挨拶。エイミも同じようにお辞儀をした。
 若者たちは双子に言い寄るかと思いきや、エイミを見て口々に言い出した。
「君がそんな格好をしているの、初めて見たよ」
「びっくりだなあ」
「……なあに? おかしい?」
 エイミは首を傾げる。
 若者たちは慌てて言った。
「まさか。すごくきれいだよ」
「驚いた」
「いつも地味な格好だけど、そんなドレスも似合うんだね」
 そう。妹たちがくれたドレスは、驚くほどエイミにぴったりだった。エメラルドブルーの瞳が、空色のドレスによく映える。豊かな髪は肩に垂れて、波打って揺れている。ほっそりした手に白手袋をはめたら、品のいいきれいなお姫様だ。
『あなたはきれいです』
 くり返し言ってくれた、魔法使いの言葉を思い出す。
 広間で音楽が始まった。
 今夜は故郷も身分も構わず、誰が誰と踊ってもいい日だ。そこら中で若者と娘が声をかけ合っている。
 アリエとマリラはそれぞれ別々に、人だかりの中に走っていった。アリエは同い年くらいの男の子を、マリラは背の高い青年を見つけて、手を取り合っている。
 エイミのところにも、何人かの若者が声をかけてきた。彼らは口々にエイミをほめ、一緒に踊ろうと言ってくれた。けれどもエイミは、どれも受けなかった。
 音楽がワルツに変わる。パートナーを見つけた者は、いっせいにステップを踏み始めた。
 エイミは、広間の片隅で見つめていた。
 今夜のエイミは最高にきれいだ。妹たちにも見劣りしない。みんながエイミを見て、たくさんの若者がダンスに誘ってくれる。
 まるで、おとぎ話のお姫様になったみたいだ。
 でも、エイミは幸せじゃなかった。
 舞踏会は楽しいし、妹たちも嬉しそうだし、みんなが親しげに話してくれる。
 でも、大切なものが欠けている。
 エイミは、初めて知った。みんなのお姫様になることが幸せじゃないんだ。たった一人の王子様と踊れることが、本当の幸せなんだ。
 エイミの王子様は、ここにはいない。
 エイミは自分のドレスを見下ろし、少し笑った。
 外に出よう。あたしの居場所はここじゃない。

 エイミは広間を背に、階段へと歩いていった。ワルツの演奏と明るい笑い声が遠のいていく。
 石でできた廊下は、とても静かだった。空気もひんやりとして心地よい。
 エイミはワルツを遠くに聞きながら、階段の上で一人、踊り始めた。
 相手がいるかのようにお辞儀して、見えない手を取って目をつむる。

 妖精の歌に雪の結晶。
 光の雫に咲きたての花。

「素敵なものをみんな集めて、三つ数えて目を覚ましたら」

 魔法の花嫁のできあがり……

 前夜と同じように、エイミは、ゆっくりと目を開けた。
 そのまま、動けなくなった。


  妖精の歌に雪の結晶

「こんばんは」

  光の雫に咲きたての花

「エイミさん」

  素敵なものをみんな集めて

「……どうして」

  あなたにすべて差し上げましょう

「私はあなたに会いに来ました」
 そう言ってエイミの前に立っていたのは、黒い髪に黒い瞳の魔法使い。
 エイミは、自分が泣きそうになっていることに気が付いた。だから反対に、思いきり微笑んだ。
「会いたかった」
 魔法使いは何も言わず表情も変えず、エイミの手を取った。
 誰もいない寂しい廊下で、二人は昨夜と同じように踊り始める。

  魔法の花嫁 愛しい花嫁
  あなたが笑ってくれるのならば
  すべての魔法はあなたのために
  今宵 誓いは星となる

「会いたかった。来てくれてありがとう」
 足の動きを止めて、エイミはもう一度くり返した。魔法使いの黒い瞳を見つめて。
「あなたはとてもきれいです」
 なつかしい無表情で、彼は言った。
 エイミは微笑んで涙を浮かべた。
「ありがとう」
 なんて素敵な夜。まるで魔法にかかったみたい。
 エイミは魔法使いの首に腕を伸ばし、唇にそっと口づけた。
「ありがとう。愛してるわ」

 それが、たった一つのエイミの魔法。

 エイミはふと体を離した。魔法使いの顔が、いつか見たように固まっている。
 もしやと思って腕を揺さぶった。動かない。
 目の前で手を振っても、何も返ってこない。
「ちょっと。大丈夫?」
 声を上げたが、やっぱり反応はなかった。思ったとおりだ。
「ゼンマイは!? ちゃんと持ってきてる!?」
 慌てて、ポケットを探ろうとした時。
 魔法使いの体が傾いた。
「きゃ」
 エイミは、倒れ込んできた青年をとっさに支えた。抱きつかれる形になって、はっとする。
 頬に触れた彼の肩が、とても、あたたかい。
「……エイミさん」
 魔法使いの声がした。
 ゼンマイを巻いていないのに。
 エイミの体が軽くなった。寄りかかっていた魔法使いが、自分の足で立ったのだ。
 向き合った彼の顔は、今までと同じで表情がない。
 けれど、何かが違う。
 エイミは手を伸ばし、彼の頬に触れた。陶器のような肌じゃない。あたたかい。血の通った人間の肌。
「魔法が、とけたのね」
 エイミが言うと、魔法使いは自分の手をエイミの手に重ねた。
 そのまま目元がゆるみ、唇の形が変わる。
 初めて見る、彼の微笑みだった。
 再び魔法にかかったような気持ちで、エイミは聞く。
「でも、どうして?」
「あなたがといてくれたのです」
 魔法使いは言った。
 エイミの頬が真っ赤になる。
「……さっきの?」
「私は、魔法の使い方を誤って自分の魔法にかかりました」
 魔法使いは続ける。
「でも昨夜と今夜、初めて誰かのために魔法を使いました」
「あたしのために?」
「そうです。自分の研究のためにしか使わなかった魔法を、初めて、人のために」
「そしてあたしは、幸せになれたわ」
 エイミは顔いっぱいに笑顔を咲かせ、魔法使いに抱きついた。
「あなたは、最高の魔法使いよ」

 二人は手を取り合って、舞踏会の広間に入った。
 すると突然、音楽がやんだ。広間中の人々がエイミと魔法使いを見つめている。
 エイミが首を傾げていると、どこかから声が上がった。
「王子!」
 エイミの目が丸くなった。
 ところがその隣で、魔法使いが口を開いた。
「ここだ。今、そちらに行く」
 呆然とするエイミの手を、青年の手が引く。エイミはわけがわからないまま、彼と並んでお城の家来たちの前に引き出された。
「セリオ・クーベルト王子、戻られたのですか」
 初老の大臣が、魔法使いの前に膝をついた。
「ああ。このとおり、無事に戻った」
 悠々と答える魔法使いを見て、エイミは今度こそ開いた口がふさがらなくなった。
「……本物の王子様だったの?」
「本物の王子で、本物の魔法使いです」
 青年は、再びエイミの手を取った。
 王子様の出現に広間はざわめき、人という人がエイミたちを見ていた。音楽は止まり、舞踏会どころではなくなっている。
 魔法使いはエイミを、広間の中央へと導いた。
 辺りが静まり返る。みんなが二人を見ている。
「改めて自己紹介を。私はセリオ・クーベルト・オフィリア。この国の第二王子です」
 青年の声が、エイミだけに向けられる。
「エイミ嬢。私の花嫁になっていただけますか?」
 答える代わりに、エイミは青年の手を取った。
 どこかで拍手が弾け、エイミを祝福する声が上がる。アリエとマリラだ。
 拍手は次第に広まり、広間全体を包んでいった。村の若者たちが、舞踏会に来たすべての人々が、エイミと魔法使いを祝福している。
 二人が手を取り合うと、それを待っていたように音楽が始まった。
 周りにいた人々も、再びパートナーを見つけて踊り始める。
 魔法使いと踊りながら、エイミはくすくすと笑い始めた。
「何がおかしいのですか?」
 魔法使いが真顔で聞いてくる。この顔はちっとも変わっていない。
「だって」
 エイミは笑いながら言った。
「たくさん素敵なことが起こりすぎて、わけがわからない。これもあなたの魔法?」
「まさか」
 魔法使いは、呪文のようにささやいた。
「私に魔法をかけたのは、あなたのほうでしょう」
 セリオは手を離すと、頭上にかざして指を鳴らした。
 シャンデリアの光が無数に舞い散り、雨のように降りそそぐ。
 広間には歓声が広がった。
 たくさんの光を浴びた花嫁は、目を閉じて歌を口ずさむ。

  妖精の歌に雪の結晶
  光の雫に咲きたての花
  素敵なものをみんな集めて
  三つ数えて目を覚ましたら
  魔法の花嫁のできあがり



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