魔法の花嫁 [ 2 ]
魔法の花嫁

2.契約
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 エイミが案内されたのは、玄関から一番近い部屋だった。
 扉を開けたとたん、エイミはむせ返る。部屋の中には、一面に分厚いほこりが積もっていたのだ。
「何これ! 掃除してないの?」
 エイミが叫ぶと、青年は真顔で言った。
「不快ですか」
「それはね。悪いけど」
 思わずはっきり言ってしまう。
 青年はまったく表情を変えず、落ち着いた声でこうつぶやく。
「申し訳ありません」
 なんだこの人は。
 エイミは心の中でこっそり思う。
 東の森の魔法使いが変人というのは、本当みたいだ。
 青年はお構いなしで、すっとソファを指差した。
「座ってください」
「……先にほこりが座ってるけど」
「嫌ですか」
「当たり前でしょ!」
 どうもおかしい。
 この人、ほんとに人間だろうか。
 思わずそこまで考えてしまう。
 けれども立ちっぱなしではいられず、エイミは仕方なくソファを叩いた。ほこりがいっぱい舞い上がる。
 エイミが座ると、魔法使いも前に座った。
「用は何ですか」
 彼はいきなり切り出した。
「丁寧なのかそうじゃないのか、わからない人ね」
「それはどういう意味ですか」
「……もういい。あらためて、はじめまして。あたしはエイミ。あなたにお願いがあって来たの」
「お願いとは何ですか」
 さあ来たぞ。
 エイミは姿勢を正した。
「ホレ薬をつくってほしいの」
 意気込んだエイミに、魔法使いの顔は変わらない。石のように黙ったままだ。
 見つめるエイミは、ふと別のところに視線を取られた。
 魔法使いの右手の上。
 一冊の本がふわふわと宙を飛んで近付いてくる。
 魔法使いは右手を上げて、本を手に取った。
「オフィリア魔法法典、第二章、禁止」
 青年は本を広げて読んだ。
「第三条、魔法による恋愛感情の操作の禁止。恋愛とは人の心が引き起こす本能的な奇跡であり、これを魔法によって操ることは」
「いちいち読まなくても知ってるわ!」
 エイミは思わず声を上げた。
 魔法使いは本を閉じると、真顔のままこう言った。
「私はホレ薬をつくれません」
「そんなにはっきり言わないで。とにかく、話を聞いてくれる?」
 それからエイミは、話し始めた。
 アリエのこと、マリラのこと。
 舞踏会のこと、ホレ薬のこと。
 エイミが二人の姉さんとして、とても心配していること。
 話が終わると、エイミは胸の前で手を組んだ。
「お願い、魔法使いさん。あたしと妹たちに力を貸して」
「私はホレ薬をつくれません」
「……あなたって、岩みたいな人ね」
 表情も口調も変えない魔法使いに、エイミはちょっぴり口をとがらせる。
「私は岩ではありません」
「わかったわかった。もういいわ」
 エイミは立ち上がった。これ以上この人と話していたら、頭がおかしくなりそうだ。
「帰るのですか」
「だって、頼まれてくれないんでしょ」
「私はホレ薬をつくれません」
「もうわかったから!」
「しかし、私は別の方法であなたの妹たちを守ることができます」
 機械みたいな平たい声が、何と言ったのか。
 エイミは悟ると、再びソファに腰かけた。
「……どういうこと?」
「あなたはドレスを作ってください」
「意味がわからない!」
 エイミが叫んだ時だった。

  落ち着きなさい、お客さん
  ご主人様は立派なお方
  ちゃんと話を聞いてれば
  あなたの願いも叶えてくれる

「誰?」
 さっき森で聞いたのと同じ声だ。
 エイミは周りを見回した。でも、青年以外には誰もいない。
「あれは空気の精(シルフィード)の声です」
 青年が言った。
「空気の精?」
「空気の精は屋敷の周りに住んでいて私を手伝ってくれます」

  そうです、我らは空気の精
  魔法使いの聖なるしもべ

「姿は見えないの?」
 エイミは宙を見ながら聞いた。

  空気の精には姿がない
  影も形も見えはしない
  風にのって声ふるわせば
  その歌だけがあなたに届く

「あなたの注文にも空気の精が役に立ちます」
 魔法使いが言った。空気の精たちの歌うような声と、彼の機械みたいな声は対照的だ。
「何? どういうこと?」
「あなたはドレスを作ってください」
「それはさっき聞いたわ」
「私はそのドレスに魔法をかけます。その魔法はドレスを着る人の美しさを最大限にふくらませてその人にもっともふさわしい相手の目にとまるようにする魔法です」
「もっともふさわしい相手?」
 エイミはつぶやいた。
「空気の精はそれを見きわめる力を持っています。私はその力を魔法に変えてドレスにかけます」
「わかったわ。そのドレスを、アリエとマリラに着せればいいのね」
 エイミは手を打った。
 なんてすばらしい魔法。もっともふさわしい相手にめぐり会えるなんて、ホレ薬よりずっといいじゃないか。
「あなたはドレスを作れますか」
「もちろんよ! お裁縫は得意なの。言われなくても、二人には舞踏会のために新しいドレスを作ってあげるつもりだったわ。……あ、でも、ちょっと時間はかかるけど」
「それは構いません。私の魔法も時間がかかります」
「じゃあ、ここに毎日通ってドレスを作ってもいい? 妹たちには舞踏会まで内緒にしておきたいの」
「それは構いません」
「よかった!」
「それでは契約です」
 魔法使いはそう言って、前に両手を出した。エイミがまばたきしているうちに、その手の上には紙が一枚。
 彼が空中で指を動かすと、そこに金色の文字でサインがほどこされた。
「あなたもサインをしてください」
 魔法使いはエイミに差し出した。
「書くものがないわ」
 青年は答えるより早く指を鳴らす。
 たちまち、エイミの右手は黒いペンを握っていた。
 すごい。
 エイミは思わず、胸の中で拍手する。
 彼は変わってるけど、村の魔法使いよりずっと腕がいい。
 この人に頼んで正解だったと思いながら、契約書に目を通す。
 一つ、契約に関しては最後まで責任を負うこと。
 二つ、契約のことを他人に話さないこと。
 エイミは首を傾げた。
「どうして言っちゃいけないの?」
「私は他人に見られるのが嫌いです」
 魔法使いは淡々と答えた。
 三つ、契約事項が完了したら二度とこの館へ来ないこと。
 最後まで読み終えると、エイミはその下に小さく名前を書いた。
「契約が結ばれました」
 魔法使いは空中で契約書をくるくると丸め、指を鳴らしてそれを消した。
「私は今日から準備に取りかかります」
「あたしは明日から来させてもらうわ。舞踏会まで七日しかないから、急がないと。よろしくね、クーベルトさん」
 エイミは笑って、右手を差し出した。
 名前を呼ばれた魔法使いは、無表情のまま静止している。
「……あの、握手」
「握手ですか」
 青年はやっと手を差し出した。
 握り合った瞬間、エイミはどきりとする。
 この人の手、なんて冷たいんだろう。
 まるで、血が通っていないみたいに……。
 人形と握手しているような気持ちになり、思わず振り払った。
 魔法使いが、顔を上げる。
 エイミははっとして、とたんに申し訳なくなった。
「ごめんなさい……」
「いいえ」
 魔法使いの表情は、少しも変わらない。
「じゃあ、また明日」
「はい」
「空気の精たちもね」

  さよならエイミ、また明日
  お日さま沈んでまた昇ったら
  東の森で会いましょう
  あなたが来るのを待ってます

 歌に導かれるようにして、エイミは扉へ歩き出す。
 けれどふと、振り返った。
 魔法使いはさっきのまま、椅子に黙って腰かけている。
「……あなたは、行かないの?」
「どこへですか」
「舞踏会。国中の若者はみんな行くのよ」
「私は行きません」
 青年は無機質に答えて、それから聞いた。
「あなたは行くのですか」
 エイミは、少しどきっとした。
 妹たちのことでいっぱいで、自分がどうするかなんて考えてなかった。
「わからない。行くとしたら、妹たちの付きそいね」
「そうですか」
 魔法使いは、やっぱり無表情で言った。


 家に戻ってドアを開けると、妹たちがかけ寄ってきた。
「おかえりなさい、姉さん」
「ただいま、アリエ」
「おかえりなさい、姉さん」
「ただいま、マリラ」
 エイミは一人ずつにちゃんと答えた。
 アリエとマリラはいつも、鏡に映したようにそっくりに動き、そっくりにしゃべる。
「留守の間に何もなかった? 変な人にからまれなかったでしょうね?」
「ううん」
「ずっとお兄さんたちとお話してたの」
 エイミはひそかに舌打ちする。
「いーい? アリエ、マリラ。舞踏会のことで誘われても、絶対にうなずいちゃだめよ」
「舞踏会、行けないの?」
「行けないの?」
「いいえ。二人とも行けるわ」
「ほんと? 姉さん」
「ほんと? 姉さん」
「本当よ。それまでに素敵なドレスを作ってあげるからね」
 妹たちは嬉しそうに叫んで、エイミ姉さんに飛びついた。
 エイミは両腕に妹たちを抱きしめる。
 その時、アリエが顔を上げて言った。
「姉さんのドレスは?」
 エイミはきょとんとする。
「姉さんは舞踏会に行かないの?」
 反対側からマリラも聞く。
 エイミは、ちょっと苦笑した。
「あたしはあんたたちの付きそいで行くのよ。ドレスなんていらないわ」
「どうして? 姉さんもきれいなドレスを着なくちゃ」
「そうよ、着なくちゃ」
「あたしはいいの! あんたたちみたいなかわいい妹がいるんだから」
 心から言いながら、エイミは再び妹たちを抱きしめる。
 そのとき思い出したのは、魔法使いの冷たい手。
 彼は人形みたいな顔をして、舞踏会には行かないと言った。


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